第七話「未知の知」①
喫茶フーデングーブにて。
「西の森に竜が出たって」
「南の海に危ない鮫が来そう」
「東の岬で船がたくさん沈んでた」
「北はまだしばらく静かかも」
真っ黒な翼を持つ小さな鳥、夜燕が口々に囀る。それを興味深そうに聞くのは碧雲隊の専業調査員、ルヴィケスだ。
暑い茶をずずと啜りつつ、手元の菓子を砕いていく。
「赤い竜ですか? 黒い竜ですか? 碧い竜ですか?」
「赤! とても熱い!」
「鮫が来るとしたら何日後でしょうか?」
「三回! それで来なかったら来ない」
「沈んでた船の特徴は?」
「お酒の匂い、果物の匂い。東の島の匂いがした!」
「北で最も争いが激しいのは?」
「縄張り争いのとこ。建物と壁。高い壁」
ルヴィケスは砕いた菓子を店員に見つからないように机の下に撒く。すると嬉しそうに夜燕たちが足元に降り立ち、それを啄んでいく。
「角の女はどうです?」
「見つからない。呼ばれもしない」
「皇宮の情報を持っている子はいますか?」
「まだぴりぴりしてない! 大丈夫!」
「相変わらず例の鎧は見ないですかね」
「冬の地の温かいところで見たかも? 気のせいかも?」
「危ないところはどこかありますか?」
「西の森、穴ぼこの砂場、春の地!」
「三角の家、精霊の湖、霧の街!」
「雪のぎざぎざ、血の柵、顎鬚のねぐら!」
鳥たちの言葉は非常に難解だ。大まかな意図は分かるが、細かい意味は分からない。すぐに忘れるし誤情報も多い。そのため、鳥たちから情報を得ようとする人間は少ない。
だが、何より難しいのは鳥たちと会話をすることそのものだ。野生の鳥たちは人間を信用していない。敵として警戒している。だから会話をしようとはしない。
それゆえ、ある程度知見のある人であれば、ルヴィケスのしていることの異様さに目を剥いただろう。
そのままルヴィケスはしばらくの間夜燕たちと会話し、礼と言わんばかりに菓子を足元にまき散らす。その様子を羨ましそうに幼子が眺めていたが、ルヴィケスは気にせず茶をすすった。
夏の強い日差し。大きな笠の作る影。
暑い日に熱い茶を飲んで汗を流していると、そんなルヴィケスに走って近づいてくる人物がいた。
「ルヴィケスさぁん! やっと捕まえた! この嘘つき!」
そう叫びながらルヴィケスに掴みかかったのはオウカだった。目は閉じたまま、しかし眉は吊り上げて胸倉を掴み上げる。
ルヴィケスは抓んでいた菓子を更に一度置き、首を傾げる。
「あれ、ここらへんで任務あったんですか、オウカ」
「ええ私はどこでも任務してますよなんたって今日で八十連勤目ですからね!!」
「それはお疲れ様です。その調子でがんがん実績積んでいきましょう」
オウカはルヴィケスの体を吊り上げた。それにより襟が締まって呼吸ができなくなるルヴィケス。体格差などものともしない力強さに、周囲の人がざわつく。
低い声で凄むオウカ。
「ルヴィケスさん言ってましたよねぇ! 観測者なんて名目上は【独立命撰特務】とはいえ後ろからあれこれ指示出してるだけだって。偉そうに他の隊員を使い走りにするだけの簡単な仕事だって!」
「違うんです?」
「話が全っ然違います! そりゃよっぽど想定外のことが起きない限り私が戦うことはないですけど! でも仕事量が阿保なんです! 私、第五分隊の隊員なのに第三と第四の仕事もやらされてるんですよ!? 人探しから索敵から盗聴まで! どうなってるんですか碧雲隊は! なんでこんなに観測者の人員が足りないんですか!」
がくがくと揺らされ、ルヴィケスの首が更に締まる。だが、オウカの手が緩むことはない。茶屋の店員や周りの客の視線も気にせず喚き続ける。
「休みたいんです! 休みたい! 髪を整えに行きたいし湯浴みにも行きたいし流行りの首飾りや口紅も買いに行きたいんです! 有り余る給金があったって使う暇がなければ意味がありません! 休ませろ!」
叫びながらオウカはルヴィケスを椅子に投げつけた。幸いなことに椅子は頑丈な木製であり、壊れることなくルヴィケスの腰を痛めつけただけだった。
ルヴィケスは脂汗を流して腰を摩りつつ呻いた。
「オ、オウカ。いくつかあなたは思い違いをしています。まずはそれを訂正させてください」
「あん!?」
「まず、観測者が足りないのは碧雲隊だけではありません。とりあえず御前試合で拾える狙撃者や破壊者とは異なり、観測者と追跡者の採用はどこの隊も苦労しています。四小隊の平均で四人です。観測者の数は」
「でも今うちは二人で回してますよ! 私と第一分隊の先輩とで!」
「リクァロフが休養中なので仕方ありません。あと半月もしたら任務に戻る予定ですので、そうしたら少しはましになるでしょう」
「あと二十連勤しろってことですか!? そしたら百連勤達成ですよ私! 過労死待ったなしです!」
オウカは頭を振って乱暴に机に手を着いた。卓上の皿と茶器ががちゃんと音を立てる。
「そして、オウカが酷使されているのは観測者であるからというよりは、単純に有能だからです。仮に他に観測者がいたとしても、多分あまり仕事量は変わらないですよ。絶対量は減るかもしれませんが、その分密度が上がります。重要な護衛任務で一日中全方位警戒とかさせられます」
「いやぁ――! そんなの頭が沸騰して死んじゃう! 私が簡単そうにやってるからって簡単だと思わないでくださいよ
!? 一呼吸の間に何万人分の会話を処理してると思ってるんですか!?」
「大丈夫です。そこの評価を誤る人はいません。皆、あなたの能力には引いてます。正直怖いです。あなたの頭の中どうなってるんですか?」
「引かないで褒めてください! こんな可愛い女の子がこんなに命削って頑張ってるんですから! 褒めろ!」
ルヴィケスが伸ばした皿から菓子を奪い取り貪るオウカ。その目からは涙が零れている。暴力沙汰にはならなさそうだと周囲の客の視線も散っていく。
「うう、美味しい。なんで作戦中の行動食はあんなに美味しくないんですか……」
「さあ。予算の関係ですかね」
「お茶もください」
「どうぞ」
ルヴィケスは使ってない杯を差し出す。そして、店員に追加の注文をして謝罪を示す。
「まあまあもう少し頑張ってください。ほら、ファウーゼだって追跡者の数が足りてないから同じくらい酷使されてるはずですよ」
「知ってますよ。なんでこんなに女性に厳しいんですかこの隊。普通逆じゃないですか?」
「さて。隊長が女性だからか、ただの偶然か。あ、そうそう。最後にもう一つ。休みが欲しいなら私じゃなくてフォフォ小隊長に言ってください。そこが最大の思い違いです。私にはなんの権力もないので」
ルヴィケスはただの専業調査員。なんなら、十年勤務という基本的な取り決めもないため、来年には馘になっている可能性すらあり、そういう点ではオウカより立場は低い。
オウカは菓子を咀嚼しながら肩を落とした。
「フォフォ隊長には、言いにくくてですね」
「別に愚痴ったくらいで怒ったりしませんよ、あの人は」
「そうじゃなくて、がっかりさせたくないじゃないですか。褒められたいんです! フォフォ隊長に、よく頑張りましたね、って頭撫でてほしいんです! ルヴィケスさんだってわかるでしょう! あの溢れる気品と母性! 幻滅されたくない! よしよししてほしい!」
ルヴィケスは笑顔のまま首を傾げた。まったく共感されてないことにオウカは顔を赤くしながら机を叩いた。
そんな二人に遠慮がちに声をかける男が一人。碧雲隊第三分隊の追跡者、ダウビンナだ。
「あのー、ルヴィケスさん、そろそろ昼休憩が終わるんでオウカ回収していいですか?」
「あ、どうぞどうぞ。気にせず持って行ってください」
「やー! 嘘でしょうもうそんな時間ですか? 待ってくださいせめてこのお菓子を食べるまで……!」
ダウビンナは目一杯頬張るオウカを担ぎ上げ、一礼。そして、そのままかつかつと靴音を立てながら去っていく。
オウカはその背中越しにルヴィケスに向かって叫んだ。
「ルヴィケスさん! 今年は絶対に観測者を取ってくださいね! 取ってくれなきゃ私怒りますからね!」
「そういうこと外で大声で言わないの」
「絶対ですよ! 絶対ですからね!」
「はいはい、落ち着こうねー。今日の仕事はあと半分だからねー」
ルヴィケスはそれに苦笑いを返しつつ、足元を見る。しかし、そこに夜燕は一匹もいなかった。どうやらオウカに怯えて逃げて言ったらしかった。
ルヴィケスはため息を吐きつつ、店員が持ってきた追加の菓子を一つ抓むのだった。




