第六話「風に乗り花開け」⑥
ケウパ大学上期考査。それは大学の学生において最も重要な考査といって差し支えない。なぜなら、上期の考査の結果をもって下期に受けられる授業が半ば固まり、様々な優遇措置を受けられる上位層とその他では更なる開きが出るため。下期にも考査はあるが、そちらは事実上、上澄みの中の順位を決めるといった役割となっている。
戦士学科の授業科目は八つ。徒手格闘学、武器学、体育学、戦術学、魔術射撃学、系外術学、呪学、斥候学。各科目の総合評価の合計がそのまま席次に反映されるため、主席を取れるのは闘技魔術兼ね揃えた天才のみだ。
ラスティンはどうか。たゆまぬ努力により、体育学、戦術学、呪学といった座学の成績は高い。だが、徒手格闘学や武器学はからっきしであるし、系外術学や斥候学は並程度。頼みの綱である魔術射撃学も魔力操作が足を引っ張ってやや良好程度に収まっている。
つまりは、ラスティンにとっては上位を狙うことは元から不可能な闘い。しかし、今年は明確な目標があるため、やる気が失せることはなかった。
まずは魔術射撃学の基礎力の確認。魔力の励起、優。魔力の染色、優。魔力の操作、可。ラスティンたちは作業のようなそれらを淡々とこなす。
それが終われば、待ちに待った実戦力の確認。形式は毎年変わらない。不死結界内での一対一での魔術戦。非常に簡素な殺し合い。
ルヴィケスとムーベフが大学に着くころにはそれらは既に三分の一ほど終了していた。
会場を廊下の窓から見下ろしつつ、ルヴィケスはほっと胸をなでおろす。
「お、どうやらまだラスティンの番は来ていないようですね」
「時間を確認してもいなかったのか」
「同僚から予想外の邪魔が入ったのでね。まあ間に合ったので無問題です。彼女の勇姿を眺めていきましょう」
窓枠に体重をかける二人に、しかし、横から怒声が響く。
「おい、青の! 何故貴様らが今日入れている!」
「これはこれは冥弓隊専業調査員のンシバメ殿。お静かに。下の会場では考査の真っ最中ですよ」
「質問に答えろ。今日は部外者の立ち入りは禁じられているはず! それが【独立命撰特務】であっても関係はない。冥弓隊以外締め出していたはずだが?」
ムーベフは驚いた顔をしてルヴィケスを見る。門衛への受付はルヴィケスに任せたが、特に制止を食らっている様子はなかったのだ。
そこでムーベフは見てしまった。ルヴィケスがさり気ない動きで自身の徽章を付け替えていたところを。そして、その手の中にある徽章が冥弓隊のものであることを。
(こいつ……! 自分を黒の小隊だと偽って……!? そもそもどうやってその徽章を入手した! 偽造か? 追求されたらどうする! 形が似ていたから見間違えたのではないかとしらばっくれる気か?)
あまりにも堂々とした規則違反にムーベフは冷や汗をかく。頻繁に視察に来ていたことを考えると、今日だけでなく以前から身分を偽っていた可能性が高い。真っ黒だ。
一方、ルヴィケスは朗らかな笑顔でンシバメに近付き、その肩をぽんぽんと叩く。
「まあま、そうけち臭いこと言わないでくださいよ。どうせ主席は冥弓隊が取っていくんですし、他の子も任命拒否しますし。ね。だから私たちが見ていたところで鮮やかな躯華やかな楔振り返る姿は誰のもの――【天使の朝】」
「んぎょあががががをがげぇぇぇかごごご」
ルヴィケスの魂魄が振動し、強烈な波動が放たれ、ンシバメは口元から泡を吹きながら失神した。ルヴィケスはそれに満足そうに頷くと、ンシバメの肩から手を離して胸を小突いた。
背後に倒れるシンバメをムーベフは慌てて抱え、ルヴィケスを睨みつける。
「おい何をしたルヴィケス!」
「邪魔くさいので眠っててもらいました。直前の記憶も消しておいたので安心してください。私たちがやったとはまず発覚しないでしょう」
「古典魔術か! いや待て今の詠唱は知らないぞ。まさか禁術じゃないだろうな!」
「禁術指定されるほど知名度ないので大丈夫です」
「というかそもそも治療行為以外の記憶改編は違法だ馬鹿!」
糸の絡まった操り人形のように四肢を痙攣させるンシバメを見て、ムーベフは頭を抱える。だが、いくら悩もうがこの状況を綺麗に解決してくれるような策は思いつかなかった。
仕方なしにンシバメを柱にもたれるように座らせると、見なかったことにして窓から眼下を見下ろした。
「急に倒れるだなんて、冥弓隊の専業調査員も多忙なんですねぇ。まあ怪我していたりするわけでもなさそうなのでそっとしておいてあげましょう」
「ああ、そうかもな。死ぬほど疲れているんだろう。寝かせておくのが優しさというものかもな」
「ムーベフさんも悪い人ですねぇ」
「殺すぞ」
ムーベフの威圧に、ルヴィケスは怖い怖いと身を竦めて煽って見せた。
会場では、丁度ラスティンが舞台の上に進み出たところだった。
魔術射撃学の実践力の考査は決闘の伝統に則り執り行われる。そのため、生徒たちは部隊の横で一列に整列し、背筋を伸ばして見守っている。
決闘手順一。まず決闘の相手を指名する。
「ラスティン゠ティフタン。まずは決闘相手の指名を」
「ジョ、ジョイネ゠シンタイリ、を」
ラスティンの宣言にざわつく生徒たち。実力を測ることが目的であり勝敗は問わないというお題目があったとしても、勝敗は少なからず考査に影響する。そのため、今までは学年最強の魔術師であるジョイネは敬遠され続けていた。成績の低い生徒から順に決闘相手を指名していくため、最後に学年二位の生徒がジョイネを指定し、ジョイネに蹂躙される。それが毎年恒例となっていた。その慣例を破った。
ジョイネは少し驚いた顔をした後、愉快そうに笑って一歩前に進み出る。その表情にラスティンに対する侮りはなく、期待するような興奮がにじみ出ていた。
舞台に上がったジョイネに女子から黄色い声が投げかけられる。ラスティンには声援はなし。ラスティンからしてみれば、完全に敵地の戦の様相を呈している。
決闘手順二。指名された相手が環境を設定する。
「ジョイネ゠シンタイリ。環境を選択せよ」
「平地を」
少しだけ高くなった舞台。その上の様子が一変する。転がっていた岩が瞬時に消え、つるりとした石畳が無機質に広がる質素な舞台に変化した。
決闘手順三。互いの距離の設定。
「ラスティン゠ティフタン。開始時の距離を」
「百歩」
ぐにゃりと空間ごと歪むように舞台が変形し、二人の距離が延びる。その距離、百歩。射撃戦としては、中距離戦に分類される距離。
良いのか、とルヴィケスに目で問うムーベフ。ルヴィケスは肩を竦める。本人に訊けと言いたいようだった。
決闘手順四。勝利条件の決定。
「ジョイネ゠シンタイリ。勝利条件は?」
「いずれかが闘争継続不可状態となった場合」
降参は認めないぞ、という意思表示。それに男子から少し同情の声が上がるが、女子に睨まれて霧散する。不死結界は死なないだけであり、死ぬほどの傷を追えば死ぬほど痛い。それだけで呪いにかかり戦えなくなる人もいるほどに。
それを知っていて尚、ラスティンはふてぶてしく笑った。
二人の体を薄橙色の膜が包む。それは不死結界の不死の加護。魔術師にとっての戦闘不能とは気絶又は死のみ。その加護こそが勝敗を示す指標となる。
決闘手順、制限事項の決定。
「ラスティン゠ティフタン。制限に指定はあるか?」
「無」
どよめきが上がる。それは武器の使用や接近戦も許可するということ。魔術射撃学の授業としてありえない制限だった。
とはいえ、ジョイネも剣を抜くことはないだろう、と眺めていた生徒たちはさらにぎょっとする。ジョイネが躊躇いなく剣を抜き放ったためだ。
しかし、決闘に口出しは不要。それが伝統。そのため、先生も生徒も固唾を飲んで二人を見守った。
すべての条件が決まり、準備は終わる。監督の先生は片手を上げて呼吸を整える。
ジョイネが短杖と剣を構えるのに対し、ラスティンが構えるのは身の丈ほどの宝杖。先端についた巨大な緑の宝石が太陽の光をきらりと反射する。
ルヴィケスが楽しそうに呟いた。
「器用な魔術師と不器用な魔術師論。知ってます?」
「三十年ほど前に提唱された比較的新説の魔術理論だな。歴史上著名な魔術師を分析した結果、驚くほど性格と戦闘形態が二極化し、それらには非常に強い相関があったという話だったか」
「そうです。様々な応用技術を駆使して戦う器用な魔術師は温和で社交的であり、有り余る魔力量で圧殺するような戦い方をする不器用な魔術師は偏屈で冷徹。人相占いみたいな内容の話で、当時は馬鹿にされたものでした」
ルヴィケスは体勢を崩して床に倒れそうになるンシバメを脚で支え、再び柱にもたれさせながら笑う。
「でも知ってます? スンダッギはあの説、支持派なんですよ」
「……酒の席で聞いた気がするな。昔。なんだったか、魔力量の重要な要素である瞬発励起力は魂魄の強度に依存し、魂魄の強度は柔軟性に反比例するため、器用なやつは出力が低くなる傾向がある、とかいう論理構成だった。そして、感情と魂魄は非常に結びつきが強いから、性格もそれに相関があるとかだったな」
「そうそう。魂魄って発条みたいなもんなんですよ。だから、硬いほど強く反発するし、頑ななほど弾けたときの振れ幅も大きい」
「単純化し過ぎだと思うがな」
「そうかもしれません。なので、私確かめてみたかったんですよねぇ」
ムーベフは思わずため息を吐く。
「ラスティンを不器用な魔術師として育てようと?」
「そうです。歴史に名を刻みたいのであれば、中途半端が一番よくない。私の予想ですけど、あの子、それなりに派手に弾けると思いますよ」
実験体にするのは流石に悪趣味だ。そう口にしようとして、ムーベフは諦めた。ルヴィケスに小言など効果があるわけないし、何より、今まさに決闘が始まる瞬間だったからだ。
舞台で向かい合うラスティンとジョイネの思考は高速で巡る。
冷静に戦力差を俯瞰するジョイネ。
(ラスティンが得意なのは風魔術。飛ばすもののない平地は不得意なはず。百歩というのは彼女が得意な遠距離戦を仕掛けるための制限上の最大距離。勝利条件は少しでも物怖じしてくれればと決めたが効果はなさそうか。制限はこちらの選択肢を増やして思考を割かせようという魂胆かな。一番の負け筋は彼女の豊富な魔力量によるごり押し。お互い魔力励起の項目は満点だとしても、彼女、最低でも僕の五倍は魔力量がある。短期決戦で隙を突いて決める。それが最善)
そう、そこに手心などはなく、ジョイネは一切の油断なくラスティンに勝とうとしている。
一方、ラスティンは集中していた。専心していた。
(すかした顔し腐りやがりまして絶対殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ殺しますわ)
もしジョイネに心を読まれていたら、引かれるほど直球の殺意だった。
二人の肉体と魂魄が同時にぴたりと止まる。
会場が静寂に包まれる。
監督の先生が挙げていた手を勢いよく――振り下ろした。
「裁定開始っ!」
刹那、結界に包まれた舞台上を、爆発的な波動が駆け抜けた。
二人の魂魄が起こした波動がそれぞれの魔力を励起し、舞台の上でぶつかり合う。魔力量の割合としてはラスティン七対ジョイネ三。即座に魔力が収束・染色され、物質に干渉して相手に向かう。
ジョイネが操るは炎。ラスティンが操るは風。二人の魔術は真ん中でぶつかり合い、互いに互いを押し返した。
初撃は互角。量で勝るラスティンに質で対抗したジョイネが奮闘した形になった。
(良し、ここから中央の均衡を維持して左右の薄いところを突く!)
(ぶっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっ殺しますわあ!)
ラスティンの魔術の薄いところを突こうとしたジョイネに対し、ラスティンは魔術を更に重ねることで押し返す。魔力量を質で覆すというラスティンの戦略は、しかし即座に頓挫した。魔力を補充する速度が二人に差があり過ぎたのだ。
吹き荒れる暴風の勢いが増し、床の石畳が振動し始める。
(っ、中央に集中、脇のは押し返すんじゃなくて逸らすことに注力して、次に)
(殺しっ! ますわっ! 殺しますわっ! 殺します殺します殺しますわっ!)
不死結界が軋みを上げ、方形を崩して膨らみ始める。
(まずい、風に巻かれた炎の制御を失った! 浸蝕力にそこまで差があるとでも!?)
(ぶっころころころ殺しますわぁ! ころころ殺して殺して殺しますわぁ! 死!)
余波の風圧で生徒たちは壁際まで吹き飛ばされ、あちこちで悲鳴があがる。
(まっ、魔力が、途切れない! 緩まない! ありえないこんなの!)
(挽肉! 刻んで! ぶっ殺しですわ! 殺すのです! 殺します!)
ついには、ジョイネの炎は蝋燭の火のようにかき消された。
自分に向かってくる圧倒的な質量の空気の塊。まるで圧縮された嵐が殺意を形にしたかのような可視化された暴力。それを見てでジョイネは自身の二つの失敗を理解した。
まず、初撃で拮抗状態を作ろうとしたところ。ラスティンとの力比べを避けるためならば、魔力の収集を十分の一にしてでも、発動速度に全てを振ってラスティンの発動前を抑えるべきだった。そちらの方が確実な手段だった。
そして、その作戦を取らなかった理由。それはラスティンを舐めていたからだ。それで瞬殺してしまってはラスティンの実力を示せない。それは勿体ない。そこまでしなくても自分は勝てる。そう驕っていたのだ。
(ラスティンの魔力が、僕の五倍? はっ、見積もりが甘いにもほどがある。どう少なく見積もっても――!)
地面を削り取りながら猛進してくる空気の大鎚が、ジョイネの体に接触した。
(三百倍はあるじゃぁないか!!)
ぶれながら、回転しながら、吹き飛んでいくジョイネ。
その一方、ラスティンの脳裏に過るのは、ルヴィケス経由でスンダッギからもらった助言だった。
魔術の最大出力の出し方には個人差がある。そしてそれは他人に教えてもらっても意味がない。有用な訓練としては、大きな出力で魔術を行使できた時の感覚を言葉にすること。できれば、肉体的な動作であると好ましい。
ラスティンが見つけ、言語した感覚。それは酷く単純なものだった。
(難しく考えすぎていたのですわ! この思いを形にして世界に映したいなら、ただ心から叫べば良いだけ!)
だから、渾身の苛立ちを込めて、ラスティンは叫ぶ。
「お死にっ、あそばせぇぇぇぇ!!」
吹き飛び、壁に叩きつけられてめり込んだジョイネに、更なる勢いの嵐が襲い掛かる。それはジョイネとその背後の壁を吹きとばすだけには飽き足らず、その背後にあった校舎ごと根こそぎ吹き飛ばした。




