第六話「風に乗り花開け」④
ラスティンは自室の寝台に体を投げ出し、枕に顔を埋めた。
「む、か、つ、きますわぁ~!」
そしてばたばたと脚で布団を叩く。それなりに激しい動きだというのに柔らかな布団はその衝撃を見事に吸収し、寝台の脚は折れる気配もない。
「なぁにが思わず? 少し興奮して? つい? おもっくそ町の不良共みたいな態度で絡んできておいて、愛しい君が登場したからって発情してんじゃないですわよ! 普段は淑女の在り方なんてのを偉そうにご高説している癖して、股座濡らして顔の良い男にすり寄って、あれじゃまるで淫売じゃありませんこと!? 二枚舌も良いところですわあれじゃさぞや舐めるのもお上手なのでしょうね!!」
枕を部屋の隅の木人に投げつけ、拳を振るう。狙うのは枕のあるところ。固い木人を殴るのは手が痛いからしない。
「ジョイネ! あの気障野郎! も同じですわ! 善人ぶって! 全員に! 良い顔して! 半端に庇われても嫌がらせは悪化するだけ! 根本解決を目的としない自慰行為は一人でやってろって話! ですわ! そもそも! あなたが! わたくしに無駄に! 話しかけるから! 嫉妬されてるん! ですわ!!」
枕を思い切り殴りつけ、強く殴り過ぎて拳が痛み、ラスティンは呻きながら座り込んだ。少しの運動だというのに息も上がっており、そのままの体勢で呼吸を整える。
ラスティンは額に滲んだ汗を拭い、枕を寝台に戻す。そして、机の前に立って呻いた。
「うう、お父様、申し訳ありません。ラスティンはお父様の期待に応えられそうにもありません。あの貴族ぶった雌豚どもと仲良くするのは無理ですわ……お父様のご商売はお父様ご自身の才覚でなんとかしてくださいまし……」
ラスティンはある商家の娘だった。大商家と呼んでも良い裕福な家に生まれたラスティンは、その財力と魔術の才能をもとに大学へと入れられた。それをラスティンは、貴族と繋がりを作って来いという意図だと解釈していた。
だが、それは上手くいかなかった。周りに馴染もうと必死に努力したが、それも空回りするばかり。作法の練習はした。教養も蓄えた。それでも障害となる要素は無数にあった。
まず、言語の壁があった。庶民も使う第一共通語という言語ではなく、帝国貴族の好む真言語を強制された。しかも、言葉遣いも宮言葉と呼ばれる特殊なもの。まず最初の意思疎通から躓いた。
「そのうえ思念伝達は優雅じゃないから使ってはいけないとか! なら石器でも使ってなさいよおばか! 頭でっかち! 思念伝達は、こんなに便利なのに!」
そして、教養。いくら努力しようが学ぼうが、生きているうちに生活の一部として染みついている者とは差が出る。そして、それは目敏い人であれば絶対に勘づく。匙の持ち方、椅子の引き方、笑うときに口元に当てる手の角度に、横髪を耳に掛けるときの指の本数。些細な違和感から、偽お嬢様だと即座にばれるのだ。
子供は異物に敏感であり、排斥したがる。それはもうすぐ成人するであろう少年少女であっても変わらない。警戒している相手と打ち解けるほどの話術は、残念ながらラスティンにはなかった。
そんなラスティンにも少人数ではあるが会話できる相手はできた。友人と呼んでもいい相手だ。
だが、よりにもよってそのうちの一人が大学中の人気者であるジョイネだったことが運の尽き。
『やあ、君の魔力量ものすごいね。僕じゃまったく敵う気がしないよ。君が操作精度を身に着けさえすれば、学年一の魔術師になることだって夢じゃないよ』
ジョイネにとっては挨拶程度の褒め言葉。それも、ラスティンの能力を買っただけの発言。
それが大学のほぼ全ての女子を敵に回させた。
「少しはご自身の顔の良さと性格の良さと能力の高さを自覚しなさいよこの女たらし……! あなたの一言は無垢な少女を血に飢えた猛獣へと変身させる魔法の言葉ですのよ……! 誰かに刺される前に剣よりも鋭い危険物だと思って慎重に扱うことを覚えることを推奨しますわ……!」
なお、ジョイネはラスティン好みの顔つきではないので、本当に全く嬉しくなかったりする。
ラスティンは暫し日課となった恨み言を呟き、やがてよろよろと立ち上がった。
無言で棚からごみ箱を取り出し、厚手の布をかける。同様に、厚手の布を。床に広げ、万一に備える。窓掛けは閉じ、服は汚れても良いものに着替え、扉の鍵は開けておく。そうして準備を終えると、ラスティンは床に座り込んだ。
座り方は、正座。背筋はぴっちりと伸ばし、手はへその前で組む。目は閉じ、口は薄っすらと空け、鼻で吸い、口で吐く。
帝国の魔術師が行う魂魄鍛練の基本姿勢だ。
感覚としては、魂魄を押し固めるもの。ぎゅうぎゅうに潰し、丸め、圧し潰し、飛び出た部分を丸め、潰し、潰して、潰す。粒弾きという魔術鍛練のものに近いが、それともまた少し異なる独特な鍛錬方法。
それをラスティンは毎日欠かさずやっていた。虐められて悔し涙を流した日も、先生からの落第の脅しに怯えていた日も、誕生祝いを食べ過ぎて腹痛を起こした日も。必ず集中して鍛錬していた。
(しかし、毎日やっているというのに、操作が上達する気配はありませんわね。やり方が間違っているのでしょうか。先生に聞いてもまともな答えは帰ってきませんし……いえいえ、【鐵の篩】の言葉を疑っていても仕方ありませんわ)
卒業の年には何度か会いに来る。そう言っていたムーベフの顔を思い出し、ラスティンは自身を奮い立たせる。
しかし、やはり不安は来る。
(春には一度、と言っていたはずなのに、来ませんわね、ムーベフさん。ルヴィケスさんは結構頻繁に顔を出してくださるというのに。あまりの成長のなさに失望されたのかしら。それは在り得るのが悲しいところですが)
ラスティンは首を振って嫌な想像を振り払う。それはラスティンなりの工夫であり持論だ。自分でできることをやり、その他のことは考えない。他人の行動を強制することはできないのだから、最初からしない。そうすることで、ラスティンは努力に没頭してきた。
ラスティンが【独立命撰特務】に入りたいと思ったのは、そうしたら自然と独り立ちできるからだ。両親に迷惑をかけることなく、世間のためになる形で、まともな仕事ができるから。強く在ればいい、という指針も分かりやすくてラスティン好み。だから、ムーベフから話を聞いた時にラスティンは即答した。
そしてそれは、【独立命撰特務】自体に思い入れがあるわけではないことを意味している。極論、ラスティンは開拓者や傭兵になっても構わないのだ。貴族たちからは金で動く下賤な者と認識されている彼らだが、ラスティンから見れば自身の腕のみで闘う仕事人であり、薄っすらとした憧れすらある。
戦うことに恐怖はなく、生きていく上では必須の要素だ。自身に唯一ある魔術の才を活かし、一人の人間として生きていければそれでいい。
ラスティンの夢と言うのは、この大学の生徒には似つかわしくないほど素朴なものだった。
しかし、それだけに最近の状況はラスティンにとって少し心苦しかった。思うように伸びない実力。素質はあるのに、と惜しむ声が嘲笑に聞こえてくる。ジョイネの慰めすら悪意を感じ取ってしまい、ラスティンの魂魄はぎしぎしと軋む。
深呼吸。そして思い出す助言。
『ラスティン安心してください。魔術師という生き物は二つに大別できます。器用な魔術師と不器用な魔術師、です。そしてそれはどちらが劣っているか、という話ではありません。どういう方向性に進むか、という話です』
ラスティンはその言葉を胸に抱き、ひたすらに魂魄を酷使した。
今、ラスティンには一つの目標がある。
それは上期末に行われる実技試験で、ジョイネをぶちのめすことだ。
この大学はとても安全な場所だ。常に授業には複数の監督官が付き、実戦からは遠ざけられ、小さな切り傷でも治療師が飛んでくる。だから、闘技の授業で使われるのは木剣が限界だし、魔術の授業では魔力の染色は許されない。
その安全が唯一後退するのが各期末の実技試験だ。実戦形式での一対一の模擬戦が行われるからだ。勿論、結界を利用して人死には出ないようにしているが、大怪我をさせて痛みと恐怖を与えることはできる。
ラスティンはそこで日ごろの鬱憤をぶつけるつもりなのだ。
「一物を震え上がらせてやりますわよ、ジョイネ! 首を刎ねて脳みそぐしゃぐしゃにしたって蘇生されるらしいですわね! 結界のその性能確かめてやりましょうではないですの! もし蘇生失敗しても恨まないでくださいまし! 大学が悪いんですの大学が!」
ジョイネ本人が聞いたら、何故僕? と首を傾げそうな物騒な台詞。
ラスティンはそれを想像し、少し気が晴れた。
しかし、すぐに気を取り直す。今のラスティンの技量ではそれは実現できない。力比べとなれば魔力量でごり押しできる自信はあるが、そうさせないのがジョイネという男の技量。だから達成するには強くなるしかないのだ。
そして、強くなるには。
「継続がなにより大事ですわ!」
そう思いながら、ラスティンはルヴィケスにもらった鍛錬計画を黙々と進めるのだった。ムーベフから渡してほしいと頼まれた、という言葉と共に受け取った鍛錬計画を。一枚目はもう捨てて良いから、と渡された二枚目を。




