第六話「風に乗り花開け」②
認めたくはないが、認めなければならない。ムーベフは自身を叱咤した。
数多の【鐵の篩】の目を曇らせるのはいつだってつまらない先入観と矮小な矜持だ。それをムーベフは知っている。認めることは弱さではないし負けでもない。それをムーベフは知っている。協力と連携こそが力をうむ。それをムーベフは知っている。知っている。知っているし、理解している。
(認めるべきだ。ルヴィケスはこれ以上ないほど有能だと)
だが、それはなかなか難しい。いとも容易く境界を踏み越える倫理感。人を尊重しない軽薄な態度。規律も法律も顧みない傲慢さ。そのすべてがムーベフに取って不愉快の限り。同僚でなければさっさと証拠を探って警邏に突き出している。そうしないのは、一重にフォフォにとって有益だからだ。
ルヴィケスのことを捕まっていないだけの犯罪者と呼ぶ輩は多くいるが、ムーベフはその評価は甘いと思っている。ルヴィケスは投獄されているべき大罪人だ。絶対にそれだけの罪を犯している。四十余年の波乱に満ちた人生で、ムーベフはそう断言できるだけの直感を育ててきた。だから断じる。あれに関わるべきではないと。
しかし、現実としてムーベフはルヴィケスと同僚であり、縁を切ることはできない。それが何よりも苦々しい。
現在、碧雲隊の主力を担っているのはほぼムーベフが連れてきた戦士だ。成熟した技量と鍛え上げた心身を持つ師団長級上位の戦士たち。ムーベフはそれを誇りに思っている。
だが、三年後にはそれはルヴィケスが連れてきた戦士に入れ替わっていることはほぼ確実だ。次の第一分隊長候補であるヒノスバを筆頭に、たった六年でルヴィケスが引き入れた戦士たちは碧雲隊の中核を成している。
あり得ないほど広い情報収集力。呆れるほど深い洞察力。そして、強引にでも自身の隊に引き入れるだけの智謀。それらを持って、ルヴィケスは毎年必要不可欠な人材を確実に引き入れている。
(ようやく息切れか、と思った去年でさえあれだ。オウカ゠スバッネなんて逸材をどうやって見つけたのか。本当に呆れる)
味方であるのだから喜ぶべき。そんな素直な理屈を二十年近く碧雲隊を支えてきたという自負が邪魔をする。捨て去ろうにも、うまくいかない。
「まだまだ未熟だな、私も」
ムーベフは自嘲しながら襟元を整えた。
だが、まだ降参したわけではない。自分より優秀な相手からは学べるものは学ぶ。ムーベフはそう決めたからこそ今日ここにきている。
――まずは、無意味な慣例を捨て去ることから。
ムーベフの目の前にあるのは荘厳な石造りの建物。数多の窓からは無数の部屋が伺え、その中には多くの少年少女が同じ格好をして行き交っている。
教導院直轄ケウパ大学主授講舎。全帝国民が無料で教育を受けられる家塾とは異なり、高額な授業料を払わないと学ぶことのできない上級教育の場。しかも、同じく授業料の必要な高等学校とも異なり、有力者からの推薦無くては入学試験さえ受けられない。正真正銘、貴族の子弟の集まる学び舎だ。
ここに集まる人材は幼い頃から厳しい教育を受けてきた者ばかり。戦士学部の生徒が戦闘に優れるのは当然として、教育学部、創作学部の生徒ですらそこらの開拓者では歯が立たない武力を併せ持つ。帝国民が畏れを抱く選民だ。
しかし、【独立命選特務】の面々は毎年ここの生徒を精査してはいない。理由は単純で、ここが冥弓隊の縄張りであり、冥弓隊以外が任命しても拒否されるからだ。任命されるのも戦士学部の主席と決まっている。それ故に、誰もこの大学で有望な戦士を探すことはしない。
(なんと、もったいないことか)
貴族としての矜持。見栄と虚構。それらに支えられてその無意味な慣習は続けられてきた。
今年はそれらを打ち砕く。そのための仕込みは三年ほど前から少しずつ進めてきていた。ムーベフは深呼吸をし、気合を入れ直した。
まずは警備小屋にと足を向けるムーベフ。すると、それを見た警備の人がにこやかな笑みを浮かべた。
「おや、碧雲隊の」
「ムーベフです。どうも、入構証をお借り出来ますか?」
「徽章を拝見しますね。はい、ではこちらに印を。いやはや、冥弓隊以外の方の視察は久々ですねぇ。ムーベフさんもやはり忙しいですか?」
「ええ、それなりに。考えてみれば私も四月ぶりですか。間が空いてしまいましたね」
「ええ、ですのでもう来られないのかと思っていましたよ。去年も指名されませんでしたしね。やはり難しいですか? 冥弓隊以外が指名するのは」
「中々、越えがたい壁があります。ですが、見るだけなら損はなし。今日もゆっくりさせてもらいます」
「どうぞどうぞ。生徒たちも喜んでますよ。多分ね」
ムーベフは笑みを浮かべて入構証を受け取り、門を潜った。
大学へ来るのが久々になったのは、忙しかったからと言うのもあるが、他の隊に情報を与えないように、という意図の方が大きい。他の隊の縄張りを荒らすのはただでさえ荒れるのに、相手は権力の権化ともいえる冥弓隊だ。刺激を最小限に抑えようとすると、年に数回しか通うことができない。
だが、細心の注意を払っていることもあってか、まだムーベフの狙いが相手に悟られた様子はない。派手に暗躍しているルヴィケスの存在も良い目くらましとなっている。
今年こそ、獲る。ムーベフは決意を新たに、野外戦技場へと向かった。
すれ違う生徒からの奇異の視線には反応しない。相手も教育を受けているだけあり、不躾なものは少ないから簡単だ。
期待、疑問、興奮、落胆。
なまじ小隊同士の徽章の差異が少ないがゆえに、すわ冥弓隊かとぬか喜びさせている。それを感じつつ、ムーベフは改めて任命の難しさを認識する。
(だが、大学で冥弓隊以外への忌避感を刷り込まれるのであれば、その前から唾を付けていればいい。簡単な話だ)
幸いなことに有望な生徒は入学前の時点で輝きを放っている。だから、縄張りさえ気にしないのであればそうするのは簡単だ。
ムーベフは足早に廊下を通り抜けた。
野外戦技場で行われているのは、戦士学科の魔術戦闘。属性を練り込まない魔力の操作を比べる、疑似魔術戦と呼ばれる訓練だ。
生徒たちを一望できる場所を陣取り、眺めようとしたムーベフは、しかし、直後に話しかけられる。
「おやおや、青のご年配。こんなところに一体何しに?」
「これは黒の翁ではありませんか。何しになど、語る必要はありますか?」
ムーベフに愉快そうな笑みを向けてきているのは、ムーベフと同年代の火傷後の目立つ男だった。冥弓隊専属調査員、ンシバメ。ムーベフの長年の敵。
火傷で引き攣る頬を歪め、ンシバメはムーベフの隣に座る。
「そう言わず是非教えていただきたいですなぁ。何もなしに遊んでいる余裕があるほど碧雲隊が暇なわけもなし。しかして任命できる相手がいるわけでもなし。何をしているのか非常に気になるところです」
「遊んでいるだけですよ。この凡骨は既に碧雲隊にて不要の身。任命のためにあくせく働かずとも影響ありませんのでね」
「ほっ。流石若手が育っているところは余裕がありますねぇ。ルヴィケスだったか。あの無法者にもう席をお譲りになられたので? まあ近年の実績だけ見れば妥当なところかもしれませんが」
ムーベフの額に青筋が浮かびそうになる。が、抑える。挑発に乗る意味はない。
「そちらこそここで何を? どうせめくらで主席を任命するだけでしょう? 視察など無意味ではないのですか?」
「めくらなどと人聞きの悪い。きちんと精査はしておりますよ。ま、この学び舎の教員は優秀であり、評価の基準も完璧なため、まともな頭を持っているものならば順当に主席を任命するのですがね。あ、任命する気もない相手に言っても伝わりませんか。失敬失敬」
「……そう驕っていると、優秀で非の打ちどころのない戦士以外を見落としますよ」
「ほう。詳しくお聞きしたいですなぁ」
ムーベフは野外戦技場に視線を向けつつ、余裕のある笑みを浮かべる。
「満点を取った生徒は、満点の実力を持っているということしかわからない、という話です」
「それが何か?」
「満点を取るということの重要性を説いているのですよ。私たちは誰よりもこの満点というものを正確に評価しなければならない。過大でも、過小でも駄目です。わかりますか? わかりませんよね」
「ふん。わかりますとも。満点を取れない時点でそれの底は知れる。十点満点の評価項目での十点と九点には天と地の差がある。【独立命選特務】に任命するような相手は満点を取れていない時点で落第です」
「浅い。浅いです。残念です。黒の隊はこの程度の人材しかいないのか」
ンシバメの禿頭が赤く染まった。昔からそうだった。ムーベフが少し煽るだけでンシバメはすぐに頭に血が上る。
ムーベフは立ち上がって鼻で笑った。
「失礼。私の用事はもう済みました」
「まだ話は終わっていませんよ」
「私と話がしたいのでしたら碧雲隊までどうぞ。お茶をお入淹れしますよ。来れるのならばね」
ムーベフには来ないという確信がある。なぜなら、眼の前の男は小さな男だから。自分の領域ではめっぽう強気だが、相手の領域には絶対に踏み込もうとしない臆病者だから。そう知っているから。
目は良いのに勿体ない。そう嘆息しながら、ムーベフはその場を後にした。
そして、少し歩いて心の中で肩を落とす。
当てが盛大に外れたのだ。
先ほどの授業で、唾を付けていた生徒が全く理想通りの成長をしていなかったことを、ムーベフははっきりと確認してしまった。端的に言って期待外れ。【独立命撰特務】へと誘うには実力が足らなすぎる。
先ほどのンシバメとの会話で思わせぶりなことを言ったのも、ムーベフがここの生徒を獲ろうとしているとンシバメに思わせるためだ。そう、既にムーベフはここの生徒の任命を諦めていた。
最初から博打気味の戦略ではあった。だがその生徒の才能は素晴らしい物であったし、なにより三年近くかけた計画がふいになった徒労感は非常に大きい。
(まあ元々尖り過ぎていた才能ではあったし、上手くいかない可能性の方が大きいとは考えていたが、しかし、あそこまで成長していないとは。渡した鍛錬計画、まともに実行しなかったのだろうな。十五、六の子供には厳しすぎたか? いやしかし、自主性がなければどちらにせよ――)
しかし、そこでムーベフは嫌なものを見た。
ムーベフはそれに足早に近寄り、肩に手を掛けた。
「おい、なぜここにいる。ルヴィケス」
その男は驚いた様子もなく振り返り、いつものように軽薄に笑った。
「そちらこそ。こんなところで何をしているんです? ムーベフ」




