第二話
「金貨三百枚で買い取りましょう」
宝石を持ち込んだネロに、店主はそう言った。
ネロは僅かに眉根を寄せる。
「安すぎない?」
「そう言われましてもね」
アレンの持ち物は少なかった。財布に入っている額も、決して多いとはいえない。
荷物を全て売り払っても、大した額にはならなかった。
その分、心臓から取り出した真っ赤な宝石だけは、納得出来る値段が付くまで手放すわけにはいかなかった。
結局、ネロは宝石を売らずに宿に戻った。
暗い部屋の中、ランプの中で揺れる炎へ、宝石を翳す。
何度見ても魅入るくらい、鮮やかな赤色だった。
「綺麗だね」
一人で微笑み、そう呟いた。
『だろ?』
そんな声が、背後から聞こえた気がした。
振り返っても誰もいない。
ネロはしばらくの後、宝石を布に包んで鞄の奥にしまった。
それから他の街に行く度、宝石を鑑定に出した。
毎回、似たような値段しかつかなかった。
その度に宝石は売らずに持ち帰った。
「物の価値が分からない人間っていうのは困るよな」
酒場の一番端にある卓で、ネロはそう呟いた。
『しょげるなよ。次の街ではもっと高く売れるかもしれないだろ?』
向かいの椅子から、そんな笑い声が聞こえた気がした。
視線を向けても、当然そこに誰の姿もない。
アレンはいつもネロの向かいの椅子に座り、酒を飲んでいた。
『飲みすぎじゃない?』
『おいおい、宝石病の人間から楽しみを奪おうとするなよ』
『お前の体を心配してるんだよ』
『優しいねえ。でも、酒が入ってる方が体調は良いんだよ。俺は』
いつかの会話が耳の奥で響く。
アレンはいつもその病の名を口にする時、決まって笑っていた。
痛みに耐える時でさえそうだった。
薬でも抑えきれない痛みを、よく酒で誤魔化していた。
「ここ、いいかしら?」
ふと、静かな声が聞こえた。顔を上げると、柔らかな髪を揺らした女性が向かいの椅子に手を添えていた。
女性はネロの目を見て微笑んだ。その笑みに含まれた意味は、すぐに分かった。
「悪いね。連れを待たせてるんだ」
そう言って、ネロは席を立った。
戻った宿の部屋には、当然誰もいなかった。
ある時は、狙った獲物を殺した。ある時は、脅して口止めをした後に別れた。
思い出すことなどほとんど無かった。
もう顔も、名前も覚えていない。
『俺は窓際で寝る。こうやって、寝転がりながら夜の空を見るのが好きなんだ』
ある日の晩、二つの寝台が並ぶ部屋でそんな声を聞いた。
アレンと初めて宿に泊まった時の記憶だった。
「お前もしつこいね」
ネロは肩を竦めた。
もうあれから二月は経っている。
それなのに、アレンの声も、時にはその姿さえ、記憶の中から鮮明に蘇った。
進む道に迷えば、隣でアレンは笑う。
『今日は右の気分だ。こっちの道に進もう』
街を歩けばアレンの声が耳に届く。
『おい、ネロ。あれ美味そうだと思わないか?』
宝石を明かりに翳せば、少しだけ眠そうな声で。
『ちゃんと、高く売れよ』
「……分かってるよ」
誰もいない部屋の中で、ネロはそう返事をした。
「金貨六百枚でいかがでしょう?」
ある日、宝石を持ち込んだ店の店主は嬉しそうにそう言った。
今までの倍近い金額が提示された。
ネロは何度か目を瞬く。
「大きさ。色。申し分ありません。持ち主は随分長く生きられたのですね」
白い手袋を嵌めた指で宝石を傾け、角度を変えながら店主は言う。
宝石の大きさは、命の長さだった。
その分だけ、苦痛に耐えてきた日々の積み重ねでもある。
ゆえに、大きい宝石の方が高値が付く。
だが、それにしても高額に思えた。
「なんで金貨六百枚も?」
ネロはカウンターに肘を置きながら問う。
店主は折り畳まれた布の上にそっと宝石を戻しながら答えた。
「とある芸術家の方が結晶を探しているんですよ。砕いて、作品に使いたいようです」
この結晶は、他の宝石とは少し性質が異なる。
細かく砕くと、光を反射して様々な色に変わるのも特徴の一つだった。
「砕くんだ」
何気なく復唱した。
その扱いは、特別珍しいことでもない。
希少な宝石を、より美しく見せるための手段の一つだ。
だが、ネロはしばらく口を閉ざした後に宝石を手に取った。
「やっぱりやめる」
鞄の底に宝石を押し込む。
踵を返したネロの背に、店主が不思議そうに首を傾げる。
「これ以上の高値はつかないと思いますよ?」
正論だった。
だが、ネロは足を止めることなく店を出た。
「……分かってるよ」
返事が出来たのは、もう声も届かない場所に立ってからだった。
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