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第一話


 宝石病。

 人の心臓に、宝石のような結晶が生成される謎の病。

 その結晶は宿主の命を吸って育つ。

 患者は絶え間ない胸の痛みに苛まれ、鎮痛薬なしでは日常生活さえ送れない。

 長く生きられる者は、ほとんどいないという。


 そして、その宝石は非常に高い値がつくことでも有名だった。

 当然、それを狙う者もいる。

 焚き火の炎を穏やかな瞳で眺めている男、ネロもその一人だった。


「今日の分の薬は飲んだ?」


 ネロは振り返って問う。

 背後から近付いてくる男、アレンは頷きながら焚き火を挟んだ位置に腰を下ろした。

 

「さっき飲んだよ。過保護だな、お前は」


 苦笑を浮かべて肩を竦め、アレンは言った。

 だが、その額には拭いきれなかった汗が滲んでいた。

 当然の話だ。アレンの心臓はもうもたないと医者が告げている。

 宝石に蝕まれ、既に限界を迎えようとしていた。


 だが、こうしてあてのない旅を続けるのは、アレンの望みだった。

 病室に籠もって最期を待つより、色んな風景を見てみたい。

 以前、アレンがそんな話をしていたのをネロは思い出していた。


「明日は晴れそうだな」


 不意にアレンが夜空を見上げて言った。

 昼間は重い雲が覆っていたというのに、今は雲も薄くなり、切れ間からは星空さえ覗いていた。


「そうだね。もう街も近い。明日はちゃんと宿のベッドで寝られるかもしれないね」


「最高。さすがに野宿が続きすぎて、腰が痛いぜ」


「君はベッドで寝たって、朝には床に落ちてるけどね。寝相が悪すぎて」


 言いながら、ネロは双眸を細める。

 宝石病によって生じるその結晶は、呼吸が止まってすぐに取り出さなければ色がくすんでしまう。

 つまり、宝石としての価値が下がる。

 もし街中で倒れられようものなら、手間もかかる。


「もう、やるか」


 そんな呟きは、火が爆ぜる音に掻き消されるほど小さかった。

 荷物の中から短剣を取り出す。

 鞘から刃を抜いた。そこには予め毒が塗ってある。


 ネロは、こうして生きる人間だった。

 笑顔で取り入り、油断させ、価値のある物を奪っていく。

 時に盗み、時に殺す。

 恥も躊躇も無かった。その後、感傷に浸ることも。

 明日の話をしながら、明日を奪うことができる。

 自分はそういう人間だ。

 そうとしか言いようがなかった。


 刃を抜くネロを、アレンは黙って眺めていた。

 立てた膝に肘をつき、頬杖をついている。

 その表情から読み取れる感情はない。

 ただ、ネロの手の動きを目で追っていた。


「ねえ、その心臓。俺に頂戴」


 立ち上がり、雑談の延長線上のような落ち着いた声でネロは言った。

 その顔には作り慣れた笑みが貼り付けてある。

 他人の警戒を解くのに丁度いい、柔らかい笑顔。


 アレンは何も言わなかった。

 驚くわけでも、怯えるわけでもなく、ネロの瞳を、次にネロの握る短剣を見た。

 そしてほんの短く、溜息を吐いた。

 来たか、とでも言いたげな表情だった。


「思ったより驚かないね」


「まあ、予想はしてたからな」


「どうして?」


「宝石病の人間に好き好んでついて回る奴の望みなんて、大抵知れてるからだよ」


 アレンは自分の左胸を指差しながら言った。

 その先には心臓が、そしてその内には希少な宝石があるはずだった。


 ネロは近付き、片膝をついて短剣の先をアレンに向ける。

 その先端を首の皮膚に触れるほど近付けても、抵抗する素振りは見られなかった。

 ネロは珍しいものを見付けたように、少しだけ首を傾げた。

 

「怖くないの? 死ぬのが」


「んなワケねえだろ。死ぬのも痛いのも怖えよ、ほら」


 そう言ってアレンは片手を開いて見せる。

 指先は、微かに震えていた。


「でも、ここで殺されなくたって、俺は痛みから逃れることは出来ない。もう、少し疲れたんだ。それに……」


 アレンは一度口を閉ざす。

 そして、唇に見慣れた笑みを描いてネロを見上げた。


「お前と組んでから、もう一年か。ここまで付き合わせて、手ぶらで帰すってのも味気ないだろ」


 刃物を突き付けられているとは思えないほど、硬さのない笑顔だった。

 だがネロは表情を変えることはない。

 

 今まで、泣いた者や怯えて叫ぶ者の命すら平気で奪ってきた。抵抗せずに命を差し出すという者を相手に、今更気後れすることなどない。

 暴れる相手を抑える労力が必要ない分、楽に終わりそうだった。


「急所は外すなよ。無駄に苦しむ趣味はない」


「平気だよ。毒が塗ってある。すぐに眠くなって終わりだ」


「……そりゃ良いな」


 よく研がれた刃を首筋に押し当てる。

 後は少し力を入れて引くだけ。そうすれば傷口から毒が入り込み、すぐに眠る。そして、呼吸が止まる。

 何も難しいことはなかった。

 柄を握る指に力が籠る。

 そのまま、何度かの呼吸を挟んだ。


「おい、無駄に焦らすなよ」


 不満げな声が真下から聞こえた。


「ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど」


 ネロは小さく笑い、刃を滑らせた。

 傷口から一筋、そしてもう一筋、鮮血が伝う。吹き出すほど深い傷である必要はない。

 それだけで済むように、念入りに刃先に毒を塗ったのはネロ自身だ。

 アレンは傷口を確かめるように、指先を触れさせた。


「……痛くない」


「麻痺毒だからね。痺れてるだけだよ」


「良かった」


 紛れもない安堵の声だった。

 アレンが一度、浅く息をついた。


「お前との旅さ」


 すぐ後ろの木に凭れ掛かりながらアレンは言った。


「俺は、あんまり嫌いじゃなかったよ。楽しかった」


 瞼が少し重そうに瞬く。

 その眠気は、紛れもなく毒が回り始めた証拠だった。

 ネロは短剣を握ったまま、それを見下ろしていた。


「俺も、悪くなかったよ」


 アレンの呼吸を数えながら、ネロも笑って答えた。

 

「ちゃんと、高く売れよ」


 いつもの冗談を言う時の顔で、アレンは笑った。

 自分の左胸を指差そうとして持ち上がったその手は、力なく腹部に落ちる。

 眠っているかのように、静かに瞼が閉じられた。

 

 ネロは空いた片手を伸ばし、アレンの手首に触れた。

 脈が弱く、遅い。集中しなければ見落としてしまいそうだった。

 やがて細い呼吸の音も聞こえなくなり、どれだけ探しても脈に触れられなくなった。


「大丈夫」


 ネロは瞳を細めて、また笑った。


「心配しなくても、安く売ったりしないよ」


 

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