企業戦士 外伝 拳 ―岡田― 第8話 鬼の背中
いつも『企業戦士』をお読みいただき、ありがとうございます。
今回から新たな外伝、「拳 ―岡田―」をお届けします。
本編では豪快で頼れる営業部長として描かれている岡田ですが、その拳が何のために振るわれるようになったのか、そして東都建材(後の東都建設)に入社するまでの物語を描きます。
鬼の血を引く一人の男が、最強の武官として会社を背負うまでの軌跡。
本編では語られなかった岡田の過去を、ぜひ楽しんでいただけたら嬉しいです。
早朝。
東都建材の資材倉庫。
岡田の拳が振り抜かれた。
明は身を沈める。
拳が頭上を通過し、背後の木箱が風圧だけで大きく揺れた。
明は岡田の懐へ入る。
右拳。
岡田は片手で受け止めた。
「軽い」
明の体が持ち上がり、そのまま床へ投げられる。
「ぐっ!」
岡田は時計を見る。
「十三秒」
「昨日より二秒長いです」
「倒されるまでの時間を競ってんじゃねぇ」
「もう一回お願いします!」
明が立ち上がる。
「朝礼が始まる。あと一回だ」
「はい!」
二人が距離を取る。
訓練のルールは単純。
岡田の背後に引かれた白線へ、明が触れれば勝ち。
岡田を倒す必要はない。
だが、半年間。
明は一度も白線へ届いていなかった。
「来い」
明が走る。
岡田が拳を構える。
明の視界から音が消えていく。
世界が遅くなる。
岡田の肩。
肘。
拳。
筋肉の動きまで見える。
右から来る。
明は左へかわす。
その先には、岡田の膝。
「見えてる!」
急停止して後ろへ下がる。
だが、岡田の足はすでに退路を塞いでいた。
「見るだけじゃ遅ぇ」
蹴り。
明は両腕で受ける。
体が宙へ浮いた。
また駄目だ。
そう思った瞬間。
明は岡田を見るのをやめた。
その背後。
白線を見る。
空中で体をひねり、近くの木箱を蹴る。
木箱が床を滑る。
岡田の視線が一瞬だけ動いた。
明は着地と同時に走る。
岡田の拳が顔面へ迫る。
避けられない。
なら、避けない。
拳が明の頬をかすめる。
皮膚が切れる。
それでも岡田の横を抜ける。
明の指先が白線へ触れた。
時間が戻る。
静寂。
明は床へ手をつき、荒い呼吸を繰り返していた。
岡田は背後を振り返る。
「十五秒」
明が顔を上げる。
「勝ちました」
「顔面をもらってる。実戦なら死んでるぞ」
「でも、岡田部長を倒さずに白線へ届きました」
岡田は黙る。
「俺には岡田部長みたいな拳はありません。だから、俺にしかできない勝ち方を探しました」
岡田の口元がわずかに上がる。
「やっと分かったか」
「はい」
「俺を倒そうとするから負ける。お前の仕事は、俺より強い拳を作ることじゃねぇ」
明が立ち上がる。
「俺に見つけられねぇ道を見つけろ。俺に助けられねぇ奴を助けろ。それがお前の強さだ」
「岡田部長を越えられますか」
「越える?」
岡田は明の額を指で弾く。
「俺の背中ばかり見てる奴が、どうやって俺の前へ出るんだ」
明は額を押さえる。
「横に並べ。それから、勝手に前へ行け」
明は大きく頷いた。
「はい!」
「声がでけぇ」
数日後。
東都建材。
二人の新入社員が営業部へ配属された。
風間ユウキ。
明るく、落ち着きがなく、誰よりも足が速い。
剛田リョウ。
大柄で少し乱暴だが、困っている者を放っておけない。
岡田が二人を明の前へ連れてくる。
「時任。こいつらを任せる」
「俺がですか?」
「いつまでも新人のつもりでいるな」
風間が勢いよく頭を下げる。
「時任先輩、よろしくお願いします!」
剛田も続く。
「足引っ張んないでくださいよ」
「それは俺の台詞だ」
「俺、戦闘なら自信あります!」
「俺も力なら負けません!」
「仕事は戦闘だけじゃない。まずは資料を読め」
風間と剛田の顔が曇る。
「俺、字は苦手なんすけど」
「俺だって苦手だった」
岡田が後ろから口を挟む。
「今もだろ」
「岡田部長よりは読めます」
営業部が静まり返る。
「時任」
「はい」
「あとで倉庫に来い」
「すみません!」
営業部に笑い声が広がった。
岡田は明の後ろに立つ二人を見る。
かつて自分の背中を追っていた青年。
今は、その青年の背中を追う者がいる。
「時任」
「はい」
「背中を見られるってのは、思ってるより面倒だぞ」
明は風間と剛田を見る。
二人は期待に満ちた顔で、明を見ていた。
「そうですね。でも、悪くありません」
岡田は鼻で笑う。
「生意気になったな」
月末。
決算月。
東都建材には、いつも以上の緊張が漂っていた。
数字が落ちれば吸収される側に回る。
企業にとって、決算は戦争だった。
午前。
鷹名から会議の招集がかかる。
鷹名。
岡田。
時任明。
各部署の責任者。
そして秘書室。
中田翔子は、会議で使用する資料をそろえていた。
売上。
利益率。
資材別の取引実績。
今月中に獲得すべき案件。
全てを確認する。
その時、電話が鳴った。
「はい。東都建材、中田でございます」
相手の言葉を聞き、中田の指がメモの上で止まる。
「取引内容に不備がある。承知しました。確認いたします」
中田は相手企業の名を書き留める。
柏木林業。
老舗。
豊富な森林資源。
独自の木材加工技術。
東都建材よりも長い歴史と、大きな力を持つ会社。
「ご担当者様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
電話の向こうから、一人の名前が告げられる。
「柏木ミツキ部長。承知いたしました」
通話を終える。
中田は社内の企業情報を開いた。
柏木林業。
企業戦士。
柏木ミツキ。
画面に、一人の女性の写真が表示される。
長い髪。
柔らかな笑み。
背後には、季節を無視して咲き誇る花々。
能力。
植物操作。
増殖。
擬人化。
中田は写真を見つめる。
「厄介ですね」
資料を印刷する。
契約書。
取引履歴。
柏木林業の企業情報。
柏木ミツキの戦闘記録。
それらを一冊のファイルへまとめる。
表紙には、柏木林業の文字。
中田はファイルを抱え、会議室へ向かう。
廊下。
営業部の前を通る。
風間と剛田が、明から書類の書き方を教わっている。
「先輩、この数字合ってますか?」
「一桁違う」
「俺のは?」
「名前が違う」
「名前!?」
岡田は部長席から三人を見ていた。
中田は一度だけ足を止める。
「岡田部長」
「どうした」
「柏木林業から連絡がありました」
岡田が書類から顔を上げる。
「詳細は会議でご報告します」
「ああ」
中田は再び歩き出す。
岡田は窓辺へ目を向けた。
そこには、小さなバラの鉢植え。
花は咲いていない。
ただ一つだけ。
赤い蕾がついていた。
「季節外れだな」
会議室。
扉の向こうには、鷹名、岡田、時任明。
東都建材の未来を背負う者たちが集まっている。
中田は柏木林業と書かれたファイルを見る。
この一冊が、東都建材を変える。
まだ誰も知らない。
鬼の過去と、若い企業戦士の未来が、一人の女性によって再び交わろうとしていることを。
中田は会議室の前で足を止めた。
そして扉へ向かって手を上げる。
鬼の背中を追っていた青年は、今、自分の戦場へ踏み出そうとしていた。
岡田の拳が開いた道を。
時任明が、さらに先へ進む。
これは、鬼が企業の武官になるまでの物語。
そして、建材屋が街を造る会社へ変わる物語の始まり。
中田の指が扉を叩いた。
コンコン。
企業戦士 外伝 拳 ―岡田―
完。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
中田翔子編が「文官」の物語なら、岡田編は「武官」の物語です。
拳しか信じなかった男が、鷹名との出会いを通して「仲間を守る強さ」を知っていきます。
また、この外伝では若き日の東都建材や、本編へと続く岡田の成長、そして時任明との出会いまでを描いていく予定です。
本編では見せなかった岡田の人間らしい一面も少しずつ描いていきますので、温かく見守っていただければ幸いです。




