企業戦士 外伝 花痕 ―柏木ミツキ― 第5話 柏木林業部長
前書き
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回から柏木ミツキ外伝です。
本編では東都建材と柏木林業の合併に大きく関わった彼女ですが、今回はその少し前から描いていきます。
岡田との過去、柏木林業を背負う理由、そして時任明との出会い。
直接的な話というよりは、ミツキらしい余韻と駆け引きのある外伝にできればと思います。
それでは、よろしくお願いします。
黒川ファンドとの契約後。
柏木林業は、倒れかけた数字を立て直した。
輸送路の復旧。
倒木処理。
木材出荷の再開。
資金繰りも、ひとまず回り始めた。
社内では噂が広がっていた。
「あの黒川を丸め込んだらしい」
「ミツキさん、怖いな」
「いや、すごいだろ」
「でも、どうやって契約を取ったんだ?」
男たちの声には、いつも余計な想像が混じる。
ミツキはそれを知っていた。
美しい女が成果を出すと。
男たちは、努力より先に別の理由を探したがる。
寝室。
色香。
誘惑。
そういう言葉で片づけた方が、男たちの自尊心は傷つかない。
ミツキは怒らなかった。
ただ、覚えた。
誰が何を言ったか。
誰が笑ったか。
誰が黙っていたか。
それも会社の情報だった。
役員会。
父が一枚の辞令を机に置いた。
「柏木ミツキを、本日付で事業開発部長に任命する」
会議室がざわつく。
専務の桐生が眉をひそめた。
「社長」
「まだ早いのでは」
父。
「理由は」
桐生。
「実績は認めます」
「ですが、部長職となれば現場も取引先も見なければならない」
「お嬢様の交渉術だけでは、会社は動きません」
ミツキは静かに笑う。
「交渉術だけ?」
桐生。
「失礼ながら」
「黒川ファンドとの契約も、少々特殊な形でまとまったと聞いております」
会議室の空気が変わる。
誰も笑わない。
だが、誰も否定しない。
ミツキは桐生を見る。
「桐生専務」
「はい」
「会議室で見える顔と、寝室で見える顔」
「どちらが本音だと思います?」
桐生の顔がこわばる。
ミツキ。
「私はどちらも資料にします」
「会社を守るためなら」
「人の欲も」
「嘘も」
「見栄も」
「全部、使います」
桐生。
「それを部長の仕事と?」
ミツキ。
「いいえ」
「それも、部長の仕事です」
父は黙っていた。
ミツキは資料を開く。
「黒川ファンドの復旧資金で、輸送路は戻りました」
「ただし、次の問題があります」
画面に映る資料。
近隣の山林所有者。
小規模な製材所。
柏木林業の下請け。
そこへ、ある企業が接触していた。
青葉木材商会。
急速に勢力を伸ばす新興企業。
背後には外資資本。
目的は、柏木林業の流通網を切り崩すこと。
ミツキ。
「黒川で資金は守りました」
「でも、根を切られれば木は倒れます」
桐生。
「根?」
ミツキ。
「下請け」
「山主」
「運送」
「製材所」
「長年の小さな取引」
「これが柏木林業の根です」
「青葉はそこを狙っています」
役員たちは資料を見る。
誰も気づいていなかった。
数字には大きく出ない。
しかし、少しずつ削られている。
ミツキ。
「私に部長職をください」
「柏木の根を守ります」
桐生。
「失敗したら?」
ミツキ。
「私が責任を取ります」
父が口を開く。
「決定事項だ」
「柏木ミツキ」
「部長として動け」
ミツキは軽く頭を下げた。
「承知しました」
数日後。
柏木林業の山林。
夕方。
ミツキは一人の男と向き合っていた。
青葉木材商会。
営業戦略部長。
槙野圭吾。
細身の男。
穏やかな笑み。
だが、目は冷たい。
槙野。
「柏木部長」
「お若いのに、大変ですね」
ミツキ。
「そちらこそ」
「人の根を切って回るのは大変でしょう」
槙野は笑う。
「根は見えませんから」
「切られたことに気づくのは、倒れる時です」
ミツキ。
「よく分かっているのね」
槙野。
「私の能力です」
槙野が指を鳴らす。
地面がわずかに揺れる。
山の木々の根元に、黒い蔓のようなものが絡んでいた。
能力。
《寄生根》
他社の流通網。
契約関係。
人間関係。
それらに寄生し、少しずつ支配権を奪う企業戦士。
戦場で拳を振るうタイプではない。
だが、会社を殺すには十分な力だった。
槙野。
「柏木林業は古い」
「根が深い分、腐れば一気に崩れる」
ミツキ。
「それで?」
槙野。
「私と組みませんか」
ミツキは目を細める。
槙野。
「あなたは美しい」
「能力もある」
「だが、柏木林業は古すぎる」
「青葉なら、あなたをもっと高く咲かせられる」
ミツキ。
「また温室?」
槙野。
「温室ではありません」
「市場です」
「美しい花は、高く売れる場所に置くべきです」
ミツキは静かに笑った。
「男の人って」
「本当に花を売りたがるのね」
槙野の足元から黒い根が伸びる。
周囲の木々が軋む。
柏木の根に、青葉の寄生根が絡みついていく。
槙野。
「選んでください」
「柏木林業と共に枯れるか」
「私と共に咲くか」
ミツキはしゃがみ、土に触れた。
冷たい。
湿っている。
深い。
そこには、長い年月をかけて伸びた柏木の根があった。
祖父の代。
その前の代。
山を守り。
木を育て。
伐って。
植えて。
また育ててきた根。
ミツキ。
「あなた、根を勘違いしているわ」
槙野。
「何を」
ミツキ。
「根は絡め取るためだけにあるんじゃない」
「支えるためにあるの」
土が割れる。
緑の根が伸びる。
一本ではない。
二本。
三本。
十本。
百本。
柏木の森そのものが、ミツキに応えた。
槙野の黒い寄生根が押し返される。
槙野。
「馬鹿な」
「この範囲を一人で?」
ミツキ。
「一人じゃないわ」
「ここは柏木の森」
「私の根は、最初からここにある」
木々が揺れる。
葉が鳴る。
枝が伸びる。
蔓が槙野の退路を塞ぐ。
槙野は能力を強める。
黒い根が木々へ食い込む。
だが。
ミツキの根は、それを無理に引きちぎらなかった。
包む。
絡める。
吸い上げる。
寄生根の養分を、逆に奪う。
槙野の顔色が変わる。
「私の能力を……!」
ミツキ。
「寄生するなら」
「寄生される覚悟も必要よ」
足元から白い花が咲いた。
小さく。
静かに。
だが、森全体へ広がっていく。
白い花は、槙野の黒い根の上に咲いた。
まるで。
相手の欲望すら養分にするように。
槙野が膝をつく。
能力が解ける。
黒い根が枯れていく。
ミツキは槙野の前に立つ。
「青葉木材商会には伝えて」
「柏木の根には触らない方がいい」
槙野は苦しそうに笑う。
「恐ろしい女だ」
ミツキ。
「よく言われるようになったわ」
槙野。
「私を潰しますか」
ミツキは首を横に振る。
「いいえ」
「あなたの会社とは、限定取引を結ぶ」
槙野。
「は?」
ミツキ。
「青葉の海外販路は使える」
「ただし、柏木の山林管理には入れない」
「流通網にも触らせない」
「利益だけ分ける」
槙野はミツキを見上げる。
「勝った相手と契約する気ですか」
ミツキ。
「勝ったからできるの」
「会社は感情で守るものじゃない」
「使える根は、使う」
槙野は笑った。
「あなたは本当に」
「誰の花にもならない」
ミツキ。
「ええ」
「私は私の森で咲く」
翌週。
柏木林業は青葉木材商会との限定提携を発表した。
山林管理権は柏木が保持。
流通の主導権も柏木。
青葉は海外販路を提供し、利益の一部を受け取るだけ。
役員会。
桐生は契約書を読み込んでいた。
「……見事です」
ミツキ。
「珍しく褒めるのね」
桐生。
「事実です」
「私は、あなたを少し誤解していました」
ミツキ。
「少し?」
桐生。
「かなり」
会議室に小さな笑いが起きる。
桐生は深く頭を下げた。
「柏木部長」
「今後は、あなたの判断に従います」
ミツキは静かに頷く。
「従うだけでは困ります」
「意見をください」
「根は一本では森を支えられません」
桐生は顔を上げる。
「承知しました」
その日から。
柏木ミツキは、社内で正式に部長として認められた。
美しい令嬢ではなく。
誰かの婚約者候補でもなく。
男を惑わせる女でもなく。
柏木林業を守る企業戦士。
柏木ミツキ部長。
夕方。
部長室。
ミツキは一人、机に座っていた。
窓の外には森。
机の上には、いくつかのものが置かれている。
父からもらった小さなバラの鉢。
篠宮から送られた白い蘭。
黒川との契約書。
そして、青葉との提携書。
男たちは、それぞれ違うものをミツキに見せた。
岡田は、縛らない熱を。
篠宮は、優しい檻を。
黒川は、欲望の糸を。
槙野は、根を奪う怖さを。
その全てが、今のミツキの養分になっている。
ミツキはバラの葉に触れる。
「私は」
「ずいぶん育ったみたいね」
葉が静かに揺れた。
その時。
机の電話が鳴る。
ミツキ。
「柏木林業、柏木です」
相手は取引先だった。
東都建材。
名前を聞いた瞬間。
ミツキの指が止まる。
東都。
岡田がいる会社。
そして最近、若い企業戦士が台頭している会社。
担当者は丁寧に話す。
取引内容に不備がある。
確認したい。
会議の場を設けたい。
ミツキは静かに答えた。
「承知しました」
「担当は私が務めます」
電話を切る。
ミツキは窓の外を見る。
森の向こう。
街の方角。
東都建材。
鬼のいる会社。
そして。
その鬼の背中を追う若い男がいるという。
ミツキは小さく笑った。
「次は」
「どんな根を見せてくれるのかしら」
窓辺のバラに。
小さな赤い蕾がついた。
まだ咲かない。
だが。
確かに。
咲く準備を始めていた。
第6話 時任明。
後書き
お読みいただきありがとうございました。
今回は柏木ミツキ外伝の導入回でした。
ミツキは、ただの魔性の女ではなく、柏木林業を背負う企業戦士でもあります。
誰かに守られる花ではなく、自分で根を張り、自分で咲く場所を選ぶ女性として描いていきたいです。
次回は、ミツキの過去と、彼女の能力の原点に触れていきます。
引き続きよろしくお願いします。




