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企業戦士戦線(コーポレート・ウォーフェア)  作者: 凡夫 成


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企業戦士 外伝 花痕 ―柏木ミツキ― 第4話 契約の夜

前書き

いつもお読みいただきありがとうございます。

今回から柏木ミツキ外伝です。

本編では東都建材と柏木林業の合併に大きく関わった彼女ですが、今回はその少し前から描いていきます。

岡田との過去、柏木林業を背負う理由、そして時任明との出会い。

直接的な話というよりは、ミツキらしい余韻と駆け引きのある外伝にできればと思います。

それでは、よろしくお願いします。


柏木林業に、危機が来ていた。


大型台風。


倒木。


輸送路の寸断。


予定していた木材出荷が遅れ、資金繰りが一気に悪化した。


会議室。


役員たちは重い顔で資料を見ていた。


「このままでは、来月の大型案件に間に合いません」


「銀行の追加融資も厳しい」


「外部資本を入れるしかないのでは」


父は黙っていた。


柏木林業は老舗だった。


だが、老舗だから潰れないわけではない。


山を持っていても。


木を持っていても。


金が回らなければ会社は倒れる。


ミツキは資料を閉じた。


「相手は?」


役員が答える。


「黒川ファンドです」


「木材業界への投資実績があります」


「資金力もある」


別の役員が続ける。


「ただし、条件が厳しい」


「社有林の一部を担保」


「役員の受け入れ」


「将来的な株式取得権」


父が低く言う。


「飲めば、柏木の山を取られる」


会議室が静まる。


ミツキは窓の外を見る。


森。


山。


土。


祖父の代から守ってきた土地。


それが、紙の上の数字で奪われようとしている。


ミツキ。


「私が行くわ」


父。


「黒川の担当は危険だぞ」


ミツキ。


「男?」


父。


「そうだ」


「黒川怜司」


「契約屋と呼ばれている」


ミツキは笑った。


「なら、話は早いわね」


夜。


東京。


高層ホテルのラウンジ。


窓の外には、街の灯り。


テーブルにはワイン。


黒川怜司は、先に座っていた。


細身のスーツ。


整えられた髪。


甘い声。


金の匂いがする男だった。


黒川。


「柏木ミツキさんですね」


ミツキ。


「ええ」


黒川は手を差し出す。


「お会いできて光栄です」


ミツキはその手を取る。


黒川の指は冷たかった。


黒川。


「噂以上に美しい」


ミツキ。


「そういう言葉から入る方は、だいたい条件が悪いの」


黒川は笑う。


「手厳しい」


ミツキ。


「契約の話をしましょう」


黒川は資料を出す。


「柏木林業を救う条件です」


ミツキは目を通す。


資金支援。


輸送路復旧費用。


短期融資。


どれも柏木林業には必要だった。


だが。


その代わりに。


社有林の担保。


議決権の一部委任。


役員派遣。


将来的な優先買収権。


ミツキは静かに資料を置いた。


「救う条件じゃないわ」


「囲う条件ね」


黒川。


「会社は綺麗ごとでは守れません」


「必要な時に金を出せる者が、主導権を持つ」


ミツキ。


「柏木の山が欲しいの?」


黒川。


「山ではありません」


「価値です」


黒川はワインを傾ける。


「木材」


「土地」


「環境事業」


「再開発」


「二酸化炭素排出権」


「柏木林業は、磨けばかなりの値段になる」


ミツキ。


「値段ね」


黒川。


「ええ」


「あなたも含めて」


ミツキは笑った。


「私にも値段をつけるの?」


黒川。


「つけられないものはありません」


その瞬間。


テーブルの上の契約書が、わずかに動いた。


文字が黒くにじむ。


細い線のようなものが、紙から伸びる。


黒川の能力。


《契約糸》


合意した言葉。


署名した名前。


交わした約束。


それらを糸に変え、相手の判断と行動を縛る能力。


企業戦士としての黒川は、戦場で拳を振るわない。


契約で相手を縛る。


欲で絡める。


言葉で逃げ道を塞ぐ。


ミツキは指先で契約書に触れた。


黒い糸が、指へ絡もうとする。


だが。


その手前で。


小さな緑の根が生えた。


根は黒い糸を静かに絡め取る。


黒川の目が細くなる。


「なるほど」


「ただのお嬢様ではない」


ミツキ。


「ただのお金持ちでもなさそうね」


黒川は笑う。


「場所を変えましょう」


ホテルの上階。


スイートルーム。


大きな窓。


低い照明。


テーブルには、新しい契約書。


花瓶には赤い薔薇。


黒川。


「ここなら、ゆっくり話せる」


ミツキ。


「契約の話を?」


黒川。


「もちろん」


黒川はミツキの前にグラスを置く。


「柏木さん」


「あなたは会社を守りたい」


「私は柏木林業の価値が欲しい」


「お互いに欲しいものがある」


ミツキ。


「私自身も条件に含めるつもり?」


黒川。


「あなたが望むなら」


ミツキは笑った。


「男の人って」


「欲しいものを、すぐ一つの箱に入れたがるのね」


黒川。


「箱に入れなければ、管理できない」


ミツキ。


「森を知らない人の言葉ね」


その夜。


長い会話が続いた。


ワイン。


契約書。


甘い言葉。


探る視線。


黒川はミツキを落とせると思っていた。


柏木林業は資金に困っている。


ミツキは会社を守りたい。


美しい女ほど、自分を理解する男に弱い。


そう判断していた。


だが。


ミツキは黒川の言葉を聞きながら。


彼の欲を見ていた。


どの山が欲しいのか。


どの役員を通じて入り込むつもりか。


どこまで柏木林業を分解する気か。


どの条項が罠なのか。


男の声より。


契約書の根の方が、よく喋った。


夜が更ける。


窓の外の灯りが少なくなる。


ワインの香り。


紙の匂い。


薔薇の香り。


乱れたシーツ。


散らばった契約書。


黒川は勝ったと思っていた。


ミツキはグラスを置く。


「条件を変えましょう」


黒川。


「今さら?」


ミツキ。


「あなたは柏木林業が欲しい」


「でも、全部はあげない」


「その代わり」


ミツキは契約書の一枚を差し出す。


「台風被害の復旧事業」


「輸送路の整備」


「短期融資」


「この三つだけ、黒川ファンドに入ってもらう」


黒川。


「見返りは?」


ミツキ。


「復旧後の木材流通利益の一部」


「期間は一年」


「株式取得権なし」


「社有林の担保なし」


「役員派遣なし」


黒川は笑った。


「虫がよすぎる」


ミツキ。


「そう?」


「あなたが本当に欲しいのは、柏木林業全部ではないでしょう」


黒川の表情が止まる。


ミツキ。


「あなたは短期利益が欲しい」


「ファンドの次の決算に間に合う成果が必要」


「山を取るには時間がかかる」


「役員を送り込むにも時間がかかる」


「でも復旧事業なら、すぐ数字になる」


黒川は黙る。


ミツキ。


「あなたの欲しいものを、私が用意する」


「その代わり」


「私の根には触らないで」


黒川の契約糸が伸びる。


ミツキの言葉を縛ろうとする。


だが。


床に落ちていた薔薇の花びらから、細い根が伸びていた。


根は契約糸を絡め取る。


黒い糸が緑に呑まれる。


黒川。


「いつから」


ミツキ。


「最初から」


花瓶の薔薇。


テーブルの花。


床に落ちた花びら。


それらはすでに、ミツキの根になっていた。


この部屋は。


いつの間にか、ミツキの森だった。


黒川は笑う。


「恐ろしい女だ」


ミツキ。


「よく言われる?」


黒川。


「初めて言いました」


ミツキ。


「なら覚えておいて」


「花は、見ている間だけ綺麗なんじゃない」


「見ていないところで根を張るの」


朝。


黒川が目を覚ますと、ミツキの姿はなかった。


テーブルの上には、契約書。


黒川ファンドにとって利益はある。


柏木林業にとっても救いになる。


だが。


柏木の山には触れられない。


株式にも触れられない。


ミツキにも触れられない。


黒川は契約書を見つめる。


署名欄には、すでに自分の名前があった。


昨夜。


自分で書いた。


確かに納得して書いた。


それなのに。


勝った気がしない。


部屋の薔薇は、すべて枯れていた。


ただ一輪だけ。


窓辺に置かれた赤い花が、朝日を浴びて咲いている。


その下に、小さな紙。


『欲を見せすぎる男は、契約に向かない』


黒川は笑った。


「やられたな」


柏木林業。


数日後。


復旧資金が入った。


輸送路の整備が始まる。


倒木処理も進む。


役員会。


父は契約書を読んでいた。


「よくこの条件で飲ませたな」


ミツキ。


「相手が欲しがっているものを渡しただけよ」


父。


「お前は何を渡した」


ミツキは笑う。


「花の香りくらい」


父は目を細める。


「相手は怒っていないのか」


ミツキ。


「利益は出るもの」


「怒る理由はないわ」


役員の一人が言う。


「黒川ファンドから、今後も関係を続けたいと連絡が来ています」


ミツキ。


「でしょうね」


父。


「なぜ分かる」


ミツキ。


「男は」


「奪えなかったものほど、また欲しくなるから」


会議室が静かになる。


ミツキは何事もなかったように資料を閉じた。


この夜で、ミツキはまた一つ学んだ。


欲は悪ではない。


会社も。


男も。


金も。


欲で動く。


大切なのは、その欲の根がどこへ伸びているかを見極めること。


金が欲しい男。


会社が欲しい男。


女が欲しい男。


支配したい男。


守りたい男。


その根の先を見れば、交渉の出口は見える。


シーツは乱れても。


契約書は乱さない。


香りは残しても。


山は渡さない。


柏木ミツキは。


美しい花として会議室に座り。


見えない根で、男たちの欲を絡め取る。


そして。


柏木林業を守るために。


また一つ、深く根を張った。


第5話 柏木林業部長。

後書き

お読みいただきありがとうございました。

今回は柏木ミツキ外伝の導入回でした。

ミツキは、ただの魔性の女ではなく、柏木林業を背負う企業戦士でもあります。

誰かに守られる花ではなく、自分で根を張り、自分で咲く場所を選ぶ女性として描いていきたいです。

次回は、ミツキの過去と、彼女の能力の原点に触れていきます。

引き続きよろしくお願いします。

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