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企業戦士戦線(コーポレート・ウォーフェア)  作者: 凡夫 成


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企業戦士 外伝 花痕 ―柏木ミツキ― 第3話 温室の男

前書き

いつもお読みいただきありがとうございます。

今回から柏木ミツキ外伝です。

本編では東都建材と柏木林業の合併に大きく関わった彼女ですが、今回はその少し前から描いていきます。

岡田との過去、柏木林業を背負う理由、そして時任明との出会い。

直接的な話というよりは、ミツキらしい余韻と駆け引きのある外伝にできればと思います。

それでは、よろしくお願いします。


柏木林業へ戻ったミツキを待っていたのは、森だけではなかった。


会議。


挨拶。


取引先回り。


金融機関との面談。


役員たちの視線。


そして。


縁談。


柏木林業は老舗だった。


山を持ち。


木を持ち。


歴史を持っている。


だが。


時代は変わっていた。


大手建設会社。


巨大商社。


外資系ファンド。


木材を扱う会社は、ただ木を切って売るだけでは生き残れない。


父はよく言った。


「柏木の森を守るには、柏木だけでは足りない」


ミツキ。


「だから、私?」


父。


「ああ」


「お前は柏木林業の娘だ」


「それに、企業戦士でもある」


ミツキは笑った。


「便利ね」


父は否定しなかった。


ある日。


柏木林業本社。


応接室。


ミツキの前に、一人の男が座っていた。


篠宮透。


大手園芸・緑化企業、篠宮グリーンホールディングスの御曹司。


年齢はミツキより少し上。


整った顔。


柔らかな物腰。


高そうなスーツ。


指先まで手入れが行き届いている。


いかにも。


大切に育てられた男だった。


篠宮。


「柏木さんには、一度お会いしたいと思っていました」


ミツキ。


「私に?」


篠宮。


「ええ」


「柏木林業の花、と聞いていましたから」


ミツキは微笑む。


「花ですか」


篠宮。


「失礼でしたか?」


「いいえ」


「よく言われます」


篠宮は安心したように笑った。


その笑い方で。


ミツキは少しだけ分かった。


この男は悪い男ではない。


礼儀もある。


家柄もある。


仕事もできるのだろう。


けれど。


最初からミツキを花として見ている。


森でもなく。


根でもなく。


会社でもなく。


花。


飾るもの。


見せるもの。


自分の隣に置くもの。


篠宮。


「今度、うちの温室を見に来ませんか」


「珍しい品種が咲いています」


ミツキ。


「温室」


篠宮。


「ええ」


「花は、適切な環境で育てるのが一番です」


「雨も風も虫も、余計なものは入れない」


「温度も湿度も管理する」


「そうすれば、美しく咲き続けられる」


ミツキは静かに笑った。


「美しく、ね」


数日後。


ミツキは篠宮の温室を訪れた。


ガラス張りの巨大な建物。


中には、色とりどりの花。


熱帯植物。


白い蘭。


青いバラ。


季節も土地も関係なく、花々が咲いている。


完璧に管理された空間。


虫食いの葉はない。


枯れた枝もない。


土の匂いすら薄い。


篠宮は誇らしげに言う。


「どうですか」


ミツキ。


「綺麗ですね」


それは本心だった。


綺麗ではある。


ただ。


ミツキには少し息苦しかった。


花は美しい。


けれど、根が浅い。


土が薄い。


ガラスの外にある森とは違う。


雨に打たれることもない。


風に折られることもない。


隣の木と養分を奪い合うこともない。


守られている。


だからこそ。


弱い。


篠宮。


「柏木さんには、こういう場所が似合います」


ミツキ。


「森ではなく?」


篠宮。


「森は荒い」


「あなたのような方は、もっと整った場所にいるべきです」


篠宮はミツキの髪に触れようとした。


ミツキは避けなかった。


ただ、心の中で思った。


この男は。


綺麗な手で花に触れる。


でも。


土には触れない。


夜。


篠宮が用意した客室。


高級なホテルの一室だった。


窓の外には、街の灯り。


テーブルにはワイン。


花瓶には白い蘭。


篠宮は優しかった。


強引ではない。


言葉も甘い。


ミツキを傷つけるようなことは言わない。


けれど。


彼の言葉には、いつも見えないガラスがあった。


「柏木さんは、もっと大事にされるべきです」


「柏木林業の重荷を、一人で背負う必要はない」


「うちと組めば、あなたは前に出なくていい」


「僕の隣で笑っていてくれればいい」


ミツキは黙って聞いていた。


やがて夜が更ける。


言葉は少なくなる。


ワインの香り。


花の香り。


乱れたシーツ。


窓際の蘭は、美しいままだった。


翌朝。


ミツキは一人で目を覚ました。


篠宮は隣で眠っている。


整った寝顔。


静かな呼吸。


悪い男ではない。


本当に、そう思った。


けれど。


部屋の花は咲かなかった。


白い蘭は白い蘭のまま。


花瓶の中で、ただ綺麗に立っている。


根はない。


土もない。


ただ、水に挿されているだけ。


ミツキはベッドを抜け出し、花瓶の前に立つ。


指先で蘭の花びらに触れた。


何も感じない。


根がなければ、声も聞こえない。


ミツキ。


「綺麗ね」


それは。


少しだけ寂しい言葉だった。


机の上には、篠宮が用意した資料が置かれていた。


柏木林業と篠宮グリーンホールディングスの業務提携案。


将来的な資本参加。


役員派遣。


共同ブランド展開。


そして。


最後のページ。


婚姻による関係強化。


ミツキは静かにページをめくる。


条件は悪くない。


柏木林業にとっても、利用価値はある。


だが。


この提携案の中で。


ミツキは会社の人間ではなかった。


交渉者でもない。


企業戦士でもない。


ただ。


飾りだった。


篠宮が目を覚ます。


「おはようございます」


ミツキ。


「おはよう」


篠宮は起き上がり、柔らかく笑う。


「資料、見てくれましたか」


ミツキ。


「ええ」


篠宮。


「悪い話ではないと思います」


「柏木林業は守れる」


「あなたも、もう無理をしなくていい」


ミツキ。


「私は何をすればいいの?」


篠宮。


「僕の隣にいてくれればいい」


ミツキは笑った。


「それだけ?」


篠宮。


「それが一番大切です」


ミツキは花瓶の蘭を見る。


根のない花。


水だけで、しばらく綺麗に咲く花。


「篠宮さん」


「あなたは優しい人ね」


篠宮。


「ありがとうございます」


ミツキ。


「でも」


「私を植える場所を間違えてる」


篠宮の表情が少し止まる。


ミツキ。


「私は温室の花じゃない」


「雨も風も虫もある場所で育つの」


「綺麗に管理されるより」


「土に根を張っていたい」


篠宮。


「柏木さん」


「強がる必要はありません」


「守られることも、悪いことではない」


ミツキ。


「守るのと、囲うのは違うわ」


篠宮は黙る。


ミツキは資料を閉じた。


「提携案は持ち帰ります」


「会社に必要な部分だけ、検討します」


篠宮。


「婚姻の件は」


ミツキは笑った。


「花瓶には入らないって」


「子どもの頃から決めているの」


その日の午後。


篠宮の温室で異変が起きた。


ガラス張りの温室。


完璧に管理された花々。


その一角。


白い蘭の根が、鉢の底を突き破っていた。


細い根が床へ伸びる。


人工の土を越え。


タイルの隙間へ入り込み。


地下の湿った土へ向かっていた。


職員たちは慌てた。


「根が伸びすぎています!」


「こんな品種ではないはずです!」


篠宮はそれを見て、ミツキを思い出した。


白い蘭。


根のない花瓶。


そして、あの言葉。


私は温室の花じゃない。


ミツキは柏木林業へ戻った。


父は応接室で彼女を待っていた。


「篠宮との話はどうだった」


ミツキ。


「使える部分はあるわ」


「流通網と緑化事業は欲しい」


父。


「婚姻は」


ミツキは笑う。


「ない」


父。


「理由は」


ミツキ。


「根を見ない男だったから」


父はしばらく黙る。


そして、小さく笑った。


「そうか」


「なら仕方ない」


ミツキ。


「怒らないの?」


父。


「お前がそう判断したなら、会社のためにもならんのだろう」


ミツキ。


「信頼してるのね」


父。


「利用しているだけだ」


ミツキは笑った。


「親子ね」


その後。


柏木林業は篠宮グリーンホールディングスと限定的な業務提携を結んだ。


婚姻はなし。


資本参加もなし。


柏木の山は、柏木のまま残った。


篠宮は最後まで紳士だった。


祝いの花を送ってきた。


白い蘭。


綺麗な花だった。


ミツキはその花を社長室へは飾らなかった。


社員食堂の片隅に置いた。


水をやり。


少しだけ土へ植え替えた。


数日後。


その蘭は、花を落とした。


社員の一人が言う。


「枯れちゃいましたかね」


ミツキは首を横に振る。


「違うわ」


「根を張る準備をしているの」


社員は不思議そうな顔をした。


ミツキは窓の外を見る。


柏木林業の森。


土。


風。


雨。


虫。


奪い合い。


絡み合い。


生き残るための場所。


温室の男は、ミツキに優しい檻を見せた。


彼は悪い男ではなかった。


だからこそ、危なかった。


美しい言葉。


安全な場所。


守るという名の所有。


それは時に、暴力よりも静かに根を腐らせる。


ミツキは学んだ。


自分を飾ろうとする男には、微笑めばいい。


だが。


決して根を預けてはいけない。


シーツは乱れても。


花が咲くとは限らない。


花が咲かない夜もある。


その夜が教えることもある。


柏木ミツキは。


また一つ、男の本質を知った。


岡田は、花瓶を持たない男だった。


篠宮は、美しい花瓶を用意する男だった。


どちらも。


ミツキに花痕を残した。


だが。


咲く場所を決めるのは。


いつだってミツキ自身だった。


第4話 契約の夜。

後書き

お読みいただきありがとうございました。

今回は柏木ミツキ外伝の導入回でした。

ミツキは、ただの魔性の女ではなく、柏木林業を背負う企業戦士でもあります。

誰かに守られる花ではなく、自分で根を張り、自分で咲く場所を選ぶ女性として描いていきたいです。

次回は、ミツキの過去と、彼女の能力の原点に触れていきます。

引き続きよろしくお願いします。

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