企業戦士 外伝 花痕 ―柏木ミツキ― 第1話 根を張る女
前書き
いつもお読みいただきありがとうございます。
今回から柏木ミツキ外伝です。
本編では東都建材と柏木林業の合併に大きく関わった彼女ですが、今回はその少し前から描いていきます。
岡田との過去、柏木林業を背負う理由、そして時任明との出会い。
直接的な話というよりは、ミツキらしい余韻と駆け引きのある外伝にできればと思います。
それでは、よろしくお願いします。
柏木ミツキは、森の中で育った。
柏木林業。
古くから山を持ち、木を育て、切り、売り、また植える会社。
その家に生まれたミツキにとって、木は商品であり、家族であり、武器でもあった。
幼い頃。
父はよくミツキを山へ連れて行った。
「木を見る時は、幹だけを見るな」
父はそう言った。
ミツキ。
「葉っぱを見るの?」
父。
「それも大事だ」
「だが、一番大事なのは根だ」
父は地面を指差す。
「根は見えない」
「だが、木を支えているのは根だ」
ミツキは土を見つめる。
ただの地面。
何も見えない。
だが、その下に。
無数の根が広がっている。
父。
「見えないものを見ろ」
「それができなければ、森は守れない」
ミツキは頷いた。
その言葉を。
子どもながらに覚えていた。
柏木の家では、花も多く育てていた。
客が来るたび。
玄関には季節の花が飾られた。
ミツキはよく言われた。
「ミツキちゃんは花みたいね」
「柏木林業のお嬢様にぴったりだ」
「綺麗に咲く子になるわ」
そのたびに。
ミツキは笑った。
子どもらしく。
素直そうに。
けれど。
内心では、少しだけ違うと思っていた。
花は、綺麗だから咲くのではない。
虫を呼ぶため。
種を残すため。
生き残るために咲く。
綺麗なのは。
そのための手段にすぎない。
ある夏の日。
山の一角で、小さな苗木が枯れかけていた。
日当たりが悪く。
水も足りない。
近くの大きな木に養分を取られ、細い茎は折れそうになっていた。
ミツキはしゃがみ込む。
「かわいそう」
父は言った。
「山ではよくあることだ」
「全ての木が育つわけではない」
ミツキは苗木へ手を伸ばす。
指先が葉に触れた。
その瞬間。
土の中で何かが動いた。
ミツキには見えた。
いや。
感じた。
細い根。
乾いた土。
遠くにある水。
光を奪う大きな木。
苗木が何を欲しがっているのか。
どうすれば生きられるのか。
全部、分かった。
ミツキの指先が、わずかに緑色の光を帯びる。
苗木の根が伸びた。
土を割り。
石を避け。
水のある方へ向かう。
葉が開く。
茎が立つ。
枯れかけていた苗木が。
息を吹き返した。
父は黙っていた。
ミツキも黙っていた。
風が吹く。
苗木の葉が揺れる。
ミツキは小さく呟いた。
「生きたいんだ」
その日。
柏木ミツキの能力が目覚めた。
植物操作。
そう呼ぶには、少し足りない。
ミツキの力は、植物を動かすだけではなかった。
根を伸ばす。
花を咲かせる。
枝を曲げる。
蔓を絡める。
種を眠らせる。
そして。
必要なら。
他の植物から養分を奪う。
優しい力ではない。
綺麗なだけの力でもない。
生きるための力。
奪われないための力。
根を張る力だった。
成長するにつれて、ミツキはさらに美しくなった。
長い髪。
柔らかな笑み。
細い指。
誰が見ても、柏木林業の令嬢にふさわしい姿だった。
だが。
その笑顔の奥にあるものを、正しく見る者は少なかった。
高校生の頃。
取引先の息子が家へ来た。
父同士の商談。
子ども同士の顔合わせ。
男はミツキを見るなり、分かりやすく笑った。
「柏木さんって、本当に花みたいですね」
ミツキ。
「ありがとうございます」
男。
「将来、柏木林業を継ぐんですか?」
ミツキ。
「どうでしょう」
「まだ決めていません」
男は笑う。
「女の子なんだから、無理しなくてもいいんじゃないですか」
「誰かに守ってもらえば」
ミツキは笑った。
にこやかに。
静かに。
「そうですね」
その時。
庭のバラが一輪だけ咲いた。
季節外れの赤い花。
男は気づかない。
ミツキだけが、その花を見ていた。
守ってもらう。
飾られる。
綺麗に咲いていればいい。
そう言う男の言葉は。
花瓶の水のようだった。
一時は綺麗に見える。
けれど。
根は育たない。
その夜。
ミツキは庭に出た。
月明かりの下。
バラの蔓が、ゆっくりと伸びる。
塀に絡み。
柱に巻きつき。
固い木材を締めつける。
ミツキは指先で花びらに触れた。
「私は」
「花瓶には入らない」
蔓が静かにほどける。
翌朝。
庭のバラは、何事もなかったように咲いていた。
父はそれを見て、ミツキに言った。
「お前は美しい花になると思っていた」
ミツキ。
「違った?」
父。
「ああ」
「お前は根だ」
「見えないところから伸びて」
「欲しいものへ届く」
「時には、相手を絡め取る」
ミツキは父を見る。
父。
「柏木林業には、その力が必要になる」
「この先、会社はもっと大きな企業と戦う」
「山を守るだけでは、生き残れない」
「根を伸ばせ」
「どこまでも」
ミツキは笑った。
「お父さん」
「私を利用する気?」
父は答えた。
「会社のためならな」
ミツキ。
「正直ね」
父。
「お前も同じだろう」
ミツキは少しだけ笑う。
否定はしなかった。
人は綺麗な花に目を奪われる。
香りに近づく。
棘に気づくのは、触れた後。
そして。
根に絡まれていることに気づくのは。
たいてい、もう遅い。
ミツキは学んだ。
人は欲で動く。
男は特に分かりやすい。
美しいものを飾りたがる。
自分のものにしたがる。
支配したがる。
守っているつもりで、囲いたがる。
だが。
ミツキは誰のものにもなる気はなかった。
柏木林業の娘として。
企業戦士として。
一人の女として。
咲く場所は、自分で決める。
高校を卒業する春。
ミツキは東京の大学へ進むことになった。
柏木林業の未来のため。
経営を学ぶため。
人を見るため。
そして。
自分の根を、もっと広げるため。
出発の日。
父は駅まで見送りに来なかった。
代わりに。
玄関先に小さな鉢植えが置かれていた。
まだ蕾もない。
小さなバラ。
添えられた紙には、一言だけ。
「枯らすな」
ミツキは鉢を持ち上げる。
「命令?」
誰も答えない。
ミツキは笑う。
「嫌いじゃないけど」
東京。
狭い部屋。
慣れない街。
知らない人間。
その窓辺に、ミツキはバラの鉢を置いた。
水をやる。
土に触れる。
根の声を聞く。
まだ咲かない。
まだ咲く時ではない。
数日後。
大学の構内で。
ミツキは一人の男を見かけた。
大きな体。
乱暴な歩き方。
誰とも群れない目。
まるで。
森の奥から出てきた獣のような男。
いや。
鬼のような男。
その男は、誰かと喧嘩をしていた。
相手が三人。
だが、勝負にもならない。
一撃。
二撃。
三撃。
男は息一つ乱さず、去っていく。
周囲の学生たちは怯えて道を開ける。
ミツキはその背中を見ていた。
面白い。
あの男は。
花を飾ろうとはしない。
根を見ることもしない。
ただ。
目の前にあるものを、拳で壊す。
それなのに。
なぜか。
少しだけ惹かれた。
ミツキの部屋。
窓辺のバラ。
まだ蕾もなかったはずの枝先に。
小さな赤い点が生まれていた。
ミツキはそれを見て、静かに笑う。
「咲きたいの?」
バラは答えない。
けれど。
根は確かに動いていた。
柏木ミツキ。
誰かの花にはならない女。
その根は。
この日から少しずつ。
鬼のいる場所へ伸び始めていた。
第2話 鬼と薔薇。
後書き
お読みいただきありがとうございました。
今回は柏木ミツキ外伝の導入回でした。
ミツキは、ただの魔性の女ではなく、柏木林業を背負う企業戦士でもあります。
誰かに守られる花ではなく、自分で根を張り、自分で咲く場所を選ぶ女性として描いていきたいです。
次回は、ミツキの過去と、彼女の能力の原点に触れていきます。
引き続きよろしくお願いします。




