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黄昏の煉獄に麗人は嘆き、呪縛の終焉を鬼神は詠う  作者: 神宅 真言
第零章・忌み子の傍らに鬼は侍りぬ
3/4

三つのてのひら

アキラの過去をちらりと。



 夢を、見た。


 それはとても懐かしく、それでいてひどく儚い、そんな心の澱。


 吹雪めいた冷たい霧に包まれた霞む視界の中、差し出された大きな手だけが唯一の拠り所となった、……そんな、夢。


  *


 最初の手は、父だった。


 私を産んで、母がおかしくなって。私が自我を持つ頃には、母は私を見なくなっていた。いつも私を探す母を、私は泣きながら傍で見ていた。


 そんな折、私を認識し、私の手を大きな掌で包んでくれたのは、父だった。冷えた私の手を暖め、私を抱き締め、母のことを私に謝罪し、そして私に乞うたのだった。


 ──母を、許せと。


 私はその掌の温もり以外を、全て諦めた。


  *


 次の手は、タケルだった。


 父が事故で死んで、母は更に夢の中でしか生きられなくなって、私はまた独りになった。忌み子と言われて疎まれ蔑まれ、私は誰にも認められなかった。


 大人はそれでも私の境遇に僅かながらでも哀れみを持って接してくれていたようだが、歳の近い子供達はそうではなかった。子供特有の残酷さをもってあからさまに私を侮蔑し、罵倒し、酷い者は石を投げた。


 私は家にも集落にも居場所が無く、自然と足は滅多に人の訪れない山中に向いた。とは言え初戦子供の足、山と言っても山脈に連なる北側の高い山林ではなく、専ら西にある隣の集落との間に位置した低めの山に身を隠すのが常だった。


 此処は給水塔の施設が山頂に在り、開けた場所は小さな公園のようにもなっている。申し訳程度の遊具と共に設置された粗末な展望台に立てば、それでも遠く彼方まで幾つもの町々の様子を見渡せた。


 観光地でも霊山でもないこの山には、極稀に暇な不良カップルが来る以外はほぼ人の気配が無かった。何かささやかな噂があるらしく給水塔の手摺りは相合傘の落書きだらけだったが、それらも大部分は赤茶けた錆に覆われかけているあたり訪問客の少なさは明白だった。


 私はよく展望台の景色を独り占めして過ごした。木で出来たテーブルとベンチは見た目よりも居心地が良く、本を読んだり勉強するのに最適だった。


 そんな或る日、いつものように私が山を登ると、珍しく私以外の子供の姿が展望台にあった。男の子がベンチに座り、泣いているのか、ごしごしと手の甲で顔を拭っている。


 それは集落で唯一の同学年のタケルだった。私はそっと近付くと、控え目に声を掛ける。


「タケル、くん。……どうしたの、大丈夫ですか?」


 タケルは私の足音に気付いていたらしく、驚いた様子は無かったがこちらを向くことも無かった。まだ目元を拭っているところを見るに、涙が止まり切ってはいないのだろう。


「へーきだから……こっち見んな」


 向けられた言葉にはそれでも怒りや拒絶の色は無いように感じられたので、私はそのままタケルの傍を通り過ぎ、眼下の絶景を静かに眺めていた。心地良い風が穏やかに吹き抜ける。


 何故か女性の産まれる割合が男性よりも圧倒的に多いこの集落で、タケルは私程ではないにせよ、男児というだけで子供達に疎外されていた。皆、気の強い女児ばかりで、この涙もその辺りに原因があるのかも知れない。


 はあ、と溜息が聞こえた。私がおもむろに振り返ると、目を腫らしたタケルがこちらの瞳を真っ直ぐに見詰めてくる。照れ臭そうな表情は少し赤く染まり、それでも近付く私から眼を逸らす事は無い。


「……虐められた訳じゃないから。泣いてなんてないから。大丈夫だから」


 言い張る姿に私はただ静かに頷き、タケルの隣に腰を下ろす。そのまま彼はぽつりぽつりと、心を溢した。


 父親が居ないこと、母親の職業を軽蔑されたこと、周りが女ばかりで陰険に追い立てられたこと、他にも他人が聞いたら他愛ないと思うだろうが子供自身にとっては大きな問題であるようなこまごまを、タケルは俯いたまま語り、そして私は黙ってただ聞いていた。私には彼の気持ちは痛い程理解でき、だからこそ何も言わず静かに聞いてくれる相手が必要だったのだと思った。


 ひとしきり話した後、タケルはすっくと立ちあがって私の手を取った。私が見上げると、彼は赤いままの目でそれでも精いっぱい、笑顔をを作っていた。


「ありがとな、アキラ。……なあ、遊ぼう?」


 突然の誘いは、照れ隠しだったのかも知れない。その時のタケルにとっては、別に相手が私でなくとも良かったのかも知れない。しかし、私にとっては──。


「──はい」


 そのまだ小さな、それでも私よりは一回り大きいアキラの手が、とても頼もしく力強いものに思えて、私はつられたように笑顔で立ち上がった。


 タケルの少し涙で湿った掌は、……とても、温かかった。


  *


 最後は、コクウの手。恐らく次は無いだろう、私にとって最後の掌。


 ゼミの課題の実地調査の為に登った山林で迂闊にも嵐に巻き込まれた私は、調査の対象である朽ちた祠の中で途方に暮れていた。長年放置されていたであろう祠は残骸といった方が相応しい代物で、雨風を凌ごうとしても壁はおろか屋根すら今直ぐにでも崩れそうな有様だった。


 降りだしてから既に数時間が経ち、私は真っ暗で低い空と時計の針を交互に見比べながら、今日中にこの山を降りる事を諦めようとしていた。独りで来たことを後悔しても既に手遅れで、昇のに二時間近く掛かった道のりをライト一つで土砂降りに晒されながら進むという行為は、勇気ではなく蛮行の域に達するレベルだと思えた。


 直ぐに降りるつもりだったので大した装備も無く、突然の雨に濡れてしまった服は慌ててレインコートを羽織ったとて着実に体温を奪っている。死にはしなくとも風邪ぐらいは覚悟した方がいいだろう、と考えながら疲れた身体をミシミシと軋む床に横たえた。


 ……。


 少しばかり眠っていたらしく、気が付くと雨の音は僅かながらも静かになっていた。眠気の取れないぼんやりとした意識の中で何かの気配がしたような気がして、気のせいかと思いかけた瞬間に頬を不意に撫でられた。


 咄嗟に顔を上げると、そこには──。


「こんな所に人間が来るたぁ珍しいなァ?」


 白き髪に伸びた角、装束を着て牙を見せ笑う、鬼神がそこに居た。身体が熱っぽく力の入らない私の頬を、再度鬼が撫でる。


「出会いついでだ、ひとつ良い事を教えてやろう。人の子よ」


 愉快げな口調の鬼に不安を覚え、私は撫でられるがまま次の言葉を待つ。その様子に満足したのか鬼は私の顎に手をかけ、そして顔を近付け囁いた。


「もうすぐここは崩れる。土砂崩れだ。この山はもう駄目だ、手入れされず林は荒れ、信仰を失ったカミは力を無くし、災いを圧し留める術はもう無きに等しい」


「……祠の惨状を見ればさもありなんですね。で、それのどこが『良い事』なんですか」


 反論されるとは思ってもいなかったのか、鬼は金色に輝く眼を二、三度と瞬かせると、突如として笑い出した。


「莫迦かお前? 情報をくれてやったんだ、死にたくなけりゃァとっとと逃げろ、ってこった。それぐらい解んだろォ」


 くっくっと笑いを漏らす鬼に、ああそうか、と私は熱に冒され回らない頭で納得した。鬼の言う事が本当ならば、確かに一刻も早く此処から離れた方が賢明だろう。しかし、今の私にはそれを実行する程の体力も気力ももう残されてはいなかった。


「お教え頂いたのには感謝します。しかし、私は動けそうにないので、もし山が崩れたならば仕方無い、と諦めることにします。折角ですが、申し訳ないです」


 そう言ってぐったりとする私の姿に、鬼は驚いた様子でひとしきり黙っていたが、不意に私の右手が握られた。


「お前面白れェ奴だな。じゃあその捨てるつもりの命、……俺が貰っても構わねェな?」


 片眉を上げ牙を見せて皮肉げに笑う鬼を、その黄金の瞳の光を、私は静かに見返した。


「食べるんですか?」


「喰わねェよ!」


 即答。どうやら人食い鬼ではないらしい。私は力無く微笑むと、握られた手に左手をも重ねてそっと握り返す。大きな力強い掌がそれに応えるように、私の小さ目な手を包み込む。それと同時に、抱え上げられたらしく私の身体がふわりと宙に浮いた。


「決まりだな」


 私は鬼の声に何故か不思議な安心感を覚えながら、そっと目を閉じる。そろそろ限界だった。彼は私の力の入らない身体をしっかり抱え直すと、優雅に空を切る。雨粒は一滴たりとも私達を濡らさず、上気した頬に当たる風がとても心地良い。


 何処へ行くのだろう。何処でもいいか、と私は緩やかに意識を手放した。ずっと握ったままの掌が、熱を帯びた私の手に負けぬ程、温かかった。


  *


 目が覚めると、現実に引き戻される。二階の布団に横たわる服のままの私は汗びっしょりで、額を手の甲で拭い大きな溜息をついた。


 頭が微かに痛む。空気がやけに重く感じる。窓の外に目を遣ると、少しばかり紫に白み始めた空に、何十、何百もの黒い影が舞っている。


 ──鴉?


 数え切れない程の鴉の群れが、明け方の空に飛んでいる。その事を理解した途端に私はぞわりと寒気を覚え、言いようのない嫌な予感にただ身を震わせた。


次から第一章が始まります。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 嵐の前の静けさといった感じで良いですね! この先どのような悲劇が待ち構えているのか楽しみです。
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