怠惰の極み
皇城にやってきて、三日が過ぎた。
結論から言うと…
「あぁぁぁぁ…」
限界だ。
「お疲れのようですね…。お風呂の薔薇オイルの追加はいかがなさいますか?」
「ロムティア様、本日のお茶は最高級の月光茶でございます」
「お菓子はシェフ特製のマカロンタワーをご用意いたしました」
「……あ、ありがとうございます」
ふかふかのソファに座り、絶品のお茶とお菓子を嗜み、良い香りのするじんわりと温まる完璧に温度調節されたお風呂に浸かる毎日。 何一つ不自由のない、まさに極上生活。田舎のスローライフとは違うが、至れり尽くせりされるのに悪い気はしない。
……けれど、これまでずっとカンテェーレで王子の肩代わりで狂ったように働き詰めだったために、この「何もしなくていい時間」を、甘んじて享受できない。
(だめ……! 何か手を動かしたい…誰かの役に立ちたい…!)
長年の生活によって骨の髄まで刻み込まれた習慣は、そう簡単に抜けるものではない。 手持ち無沙汰による禁断症状に耐えかねた私は、侍女たちの制止を「ちょっとお散歩に」と笑顔で振り切り、仕事を求めて足を進めた。すでにこの城の内部構造は全て把握している。目指すは、城の執務室。
(頭の中の地図通り、ここをまっすぐ、突き当たり右に行ってから、国王の肖像画のある渡り廊下を渡れば…)
思った通り、少し私の想像していた扉とは違ったが、おそらく執務室だと思われる部屋にたどり着いた。おそらく中ではヒュリオス陛下が公務をなさっている。私が音を立てないようそーっと扉を開けると、
「…あら?」
「あぁ……カンテェーレ領の吸収に伴う手続きが多すぎる……! 翻訳官が足りない……目が、目が滑るぅぅぅぅ……!」
大量の書類が散在したその部屋には、両手で顔を覆い涙目になった、薄幸そうな眼鏡――モースの姿があった。
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「モースさん、お邪魔しても?」
「あっ……!? ロ、ロムティア様!? な、なぜこのような場所に……! 申し訳ありません、現在カンテェーレの事後処理で少々見苦しいところが……!」
とび跳ねて立ち上がり、周りの書類を整頓するモース。
私はテーブルに山積みされた書類を一瞥した。他国からの外交文書、関税の計算書、そして旧カンテェーレ領の領民名簿。…どれも、取り扱ったことがある書類だ。
「あまりにも手持ち無沙汰でしたので。……そちらの書類、少し拝見しても?」
「えっ? あ、はい、ですがこれはカンテェーレ語だけでなく、アリスティア語も混在した文書でして、翻訳官を通さねば……」
「問題ありません。アリスティア語の公文書解読でしたら、リンゴを潰すより簡単です」
私はドレスの袖を軽くまくり上げると、ペンを手に取り、一番上の書類を引き寄せた。
「まず、こちらの関税計算。旧カンテェーレ側の関税率が古いまま適用されています。修正して差し戻し。それから、このアリスティア同盟国からの親書……ふむ、翻訳が微妙に間違っていますね。『同盟の強化』ではなく『通商条約の再交渉』を求めています」
「は……? え? え?」
パッ、パッ、と書類をめくり、機械的に修正ペンを走らせていく。20ヶ国語を駆使してカンテェーレの政務を実質たった一人で回してきた私の実務能力を、舐めてもらっては困る。
「こちらの予算案も、項目ごとの計算が合っていません。ほら、ここ。一桁ズレていますね」
「っ……!? ほ、本当だ……! 専門の会計官が三日悩んでいた書類が、一瞬で……!?」
モースが眼鏡をズリ下げ、目を見開いた。 それからの私は、まさに水を得た魚だった。
(楽しい……! 書類がサクサク片付いていく……! これよ、この快感!!)
15分後。 モースが数週間頭を抱えていた「保留書類の山」は、見事なまでに綺麗さっぱり消え去っていた。
「……す、凄すぎる……。女神様だ……! 我がエンペリオンに、本物の女神様が降臨された……!!」
モースが床に膝をつき、感涙を流しながら私を拝み始める。
(いや、そんな、ただの習慣なのに…)
何度顔を上げてくれっと言っても地べたから彼の額が離れることはない。一体どうしたものかと困っていた
その時、部屋の扉が開いた。
「モース。何の騒ぎだ」
現れたのは、ヒュリオス陛下だった。 そして、一瞬で室内の異変――綺麗になったデスクと、泣いて拝む側近、そしてペンを握りしめて満足気に微笑む私――を察知した陛下は、すっと目を細めた。
「ロムティア。君は、何をしていたんだ?」
「はい、陛下。あまりにも暇でしたので、モース殿の政務を少しお手伝いさせていただきました」
私が胸を張って答えると、陛下は無表情のままモースを一睨みした。
「モース。私の大切な人に仕事を押し付けたのか?」
「はぁ?!違います陛下!! ロムティア様が神のごとき速度で自らお助けくださったのです!!」
命の危険を感じたモースが必死に弁明する。 陛下はゆっくりと私に歩み寄ると、私の手からペンをそっと取り上げ、そのまま私をひょいと姫抱っこで持ち上げた。
「ヒュ、ヒュリオス陛下!?」
「君の有能さは誇らしい。……だが、今の君は休むのが仕事だ。目のクマが3日たっても消えていない。少なくともこれが消えるまでは、働かないでおいてくれ」
「違います! 私、働いている時の方が休まる体質なんです……! 降ろしてください!」
「そう言って、前世でも無理をしていたんだ。絶対にダメだ」
私の抵抗も虚しく、ヒュリオス陛下によって、私は再びホスピタリティ満載の部屋へと強制送還されるのだった。




