第9話 祝宴に十三粒は多すぎる
グランツ帝国大使館の広間は、海を渡って訪れる賓客を迎えるための華やかな装飾に包まれていた。
本日の客人は、南の海に位置する島嶼公国からの若い使節団だ。私は外部意匠顧問として、広間の最終確認に立ち会っていた。
アルヴァレト王国とは気候も文化も異なる島嶼公国からの客人を喜ばせるため、大使館の職員たちは卓上の装飾に趣向を凝らしていた。純白の布の上に、美しい磨き貝と、見事な真珠を連ねた房飾りが優雅に配置されている。王国では「真珠」は富と海の恵みの象徴であり、歓待の意を示すには相応しい。
私は色合いの確認を終え、これから房の数と配置を見るところだった。カシアン殿下にも、滞在経験のある公国の慣習を確かめてもらうことになっていた。
その時だ。
「……少し、真珠の粒が多すぎないか?」
背後から低く落ち着いた声がした。振り返ると、外交実務の総責任者であるカシアン殿下が、卓上の真珠房をじっと見つめていた。
「多すぎる、でしょうか。見たところ、非常に均整の取れた美しい房飾りですが」
「いや。君の知見を疑うわけではないが、過去に島嶼公国の外交官とやり取りをした際、真珠の『数』に妙なこだわりを見せていた記憶がある。一つ、二つ、三つ……十三粒か」
カシアン殿下が数を数え終え、私がもう一度典礼書の記述を引っ張り出そうとしたまさにその時、広間の扉が開かれ、賑やかな足音と共に使節団が入場してきてしまった。
先頭を歩くのは、島嶼公国を代表する若い使節だ。日焼けした肌に人懐っこい笑顔を浮かべた彼は、カシアン殿下と淀みない挨拶を交わした後、ふと卓上の装飾に目を留めた。
そして、目を丸くして立ち止まった。
「これは……見事な真珠だ。しかし、驚きました。我が国への素晴らしいおもてなしには感謝いたしますが、この装飾を選ばれたのはどなたでしょうか?」
「調達担当が用意したものです。今、こちらの顧問と確認していたところでした」
カシアン殿下が答えると、若い使節は私の方を見て、冗談めかしたようにニヤリと笑った。
「不手際などとんでもない! ただ、この十三粒の真珠を選ばれた美しい顧問殿は、私への求婚者ということでしょうか? いやはや、光栄なことです」
「……求婚、ですか」
私が目を瞬かせたのと、使節が口にした言葉の意味が繋がったのは同時だった。
島嶼公国の現行慣習。個人に対して『十三粒』の真珠をまとめて示す行為は、情熱的な『私的な婚約申し入れ』を意味するのだ。葬送や敵対といった重い外交禁忌ではないとはいえ、公的な歓待の場で、しかも私が彼に求愛しているという文脈が形成されてしまった。
「いえ、決してそのような意図では――」
私が慌てて訂正しようとした瞬間、カシアン殿下が一歩前に出た。
彼は私と若い使節の間に割り込むように立ち、長身で私の姿をすっぽりと隠した。
「彼女は我が大使館の監察顧問だ。公務において個人的な意図を装飾に込めることはない」
その声は、いつもの冷静な外交官のものより、ほんの少しだけ冷たく、そして低かった。
背中越しに見る彼の肩の線には、明らかな緊張感が走っている。
「装飾の確認に不備があったとすれば、全責任はこの特命大使である私にある。誤解を招いたのなら謝罪しよう」
「おっと、これは失礼しました! 我が国の若い者たちの間で流行っている『求婚』のサインだったものですから、ついからかってしまいまして。深い意味はありません、どうかお気になさらず!」
若い使節はカシアン殿下の気迫に少し押されたように手を振り、笑って場を収めた。
使節本人に確かめ、真珠房を席の前から中央の大皿へ移した。一人へ差し出す配置をやめれば、誤解は生じないという。和やかな歓談が始まったものの、カシアン殿下は歓待の間中、使節が私の方へ視線を向けるたびに、さりげなく立ち位置を変えて視線を遮っていた。
私が茶を取ろうとすると、殿下も同時に手を伸ばした。指が触れそうになり、二人とも引っ込める。使節が何も言わずに笑ったので、今度は殿下の耳まで赤くなった。
歓待が一段落した後、私は執務室に戻り、すぐに事実の検証を始めた。
なぜ「十三粒」という数が選ばれたのか。
大使館の調達担当者を呼び出して尋ねると、彼は戸惑いながら一冊の図案集を差し出した。
「アルヴァレト王都内の印刷所から、最近新しく仕入れた図案集です。海を越えた客人にはこれが一番華やかだとあったので、指定通りに房を作らせたのですが……」
私はその図案集を受け取り、中を確認した。
確かに、卓上装飾の項には「島嶼公国風・十三粒の真珠飾り」というスケッチが掲載されている。だが、それは過去の装飾をそのまま模写しただけのものであり、ここ数年で十三粒が『求婚』の意味を持つようになったという現行の慣習(時点の要素)が全く反映されていなかった。
「……古い版を、中身を更新せずにそのまま刷り直していますね。発行元はどこですか?」
「一番裏のページに記載が」
私は図案集の奥付を開いた。
そこに記されていたのは、『リンデル工房』という名前だった。
(また、リンデル工房……)
私は眉をひそめ、細密図用の鉛筆でその図案集の版番号をメモした。
その瞬間、ふと強烈な既視感が私を襲った。この版番号の数字の並びに、どこか見覚えがある。
私は大使館の案件綴りを開いた。
首飾りの弁明書に添えて両国が共有した証拠記録。その制作票の写しには、図案番号RL―4071と、使用図案帳第四版、とある。
真珠房はRL―4073。同じ第四版の、別の図案だった。
「新刊、と仰いましたね」
「はい。店からはそう聞きました」
表紙の発行年は今年だった。だが、奥付の小さな行には『第四版・再刷』とある。第四版が作られたのは九年前。新しかったのは紙だけだ。
古い図案を売ること自体は、悪いことではない。今も使える模様はいくらでもある。ただ、この本には、使用地域や変わった意味を確かめる注意がなかった。
調達担当へは、この本だけで客人用の装飾を決めないよう助言した。文化担当官は他の購入分も確認すると答えた。
王宮と同じ本を使った。それは確かだ。
どの商会を通ったのか、同じ契約なのかは、ここにある記録からは分からない。
報告を書き終えると、扉の前にカシアン殿下がいた。
「先ほどは、君が返答する前に口を挟んだ」
「おかげで、十三粒の意味を忘れそうにありません」
「……それならよかった」
「殿下も、忘れそうにありませんか」
彼は答えず、真珠を一粒でも見つけたような顔で私を見た。
笑ってよいものか迷い、私は報告書で口元を隠した。




