第26話 出典のない承認
調達票には、確かに私の職員番号があった。
日付も、王太子宮へ出向していた頃のものだ。
けれど、監察票の番号も、根拠にした資料の番号もない。何を確かめて安全だとしたのか、この一枚からは追えなかった。
「原本から写す時に、抜けたのでしょうか」
事務官の問いに、私は頷いた。
「その可能性もあります。私の記憶だけで偽造とは決められません」
旗幕を吊るす作業が、広間の奥で始まっていた。
私は作業責任者へ声をかけた。
「この品は、現物と審査記録の照合が済んでいません。暫定保留にします。巻いた状態で、検分室へ移してください」
「承認済みでも、ですか」
「はい。次の報告は二時間後。照合が終われば、その時点で扱いを委員会へ諮ります」
保留票へ理由と時刻を記す。
同時に、私自身の過去の業務が争点になることを事務局へ伝えた。記録の検証は、セルネの主任監察官に引き受けてもらう。
自分の潔白を、自分で認定するわけにはいかなかった。
巨大な筒状の荷が台車へ下ろされたところで、広間の扉が開いた。
「何を止めている。明日、皇帝を迎える正面の旗幕だぞ」
フェリクス殿下が入ってきた。後ろにはゲオルク副長官がいる。
「この品は半年前に発注している。アーレン嬢御自身の確認済み、と記録もあるのですがな」
ゲオルクが、調達票へ手を伸ばした。
私より先に、立会いの事務官が書面を持ち直す。
「照会中です。原本はこちらで受領記録を付けます」
「大袈裟な。写しに番号が一つ抜けた程度でしょう」
「でしたら、元の監察票をお見せください」
私が答えると、彼はわずかに唇を引いた。
「保管庫から探すには時間がかかる」
「探している間、設置を待っていただきたいのです」
フェリクス殿下が、苛立ったように手を振った。
「書類より会場を見ろ。あの壁を空にしたまま迎えるつもりか」
正面の広い壁には、旗幕を掛ける金具だけが並んでいた。
空白は目立つ。だからこそ、誤ったものを掲げれば、もっと目立つ。
「委員会へ、無地の垂れ布と各国の現行国章で整える代替案を出しています。検分が間に合わない時でも、歓迎の場は作れます」
「無地とは、王宮の面目をどう考えている」
あの夜と同じ問いを、別の形で聞いている気がした。
見栄えを整えるために、確かめていない品を使うのか。
「殿下。保留を解除するには、検証の結果を委員会へ提出する必要があります」
「私はこの国の王太子だ。元に戻せ」
昔なら、勧告を退けられれば、それ以上は止められなかった。
私は手元の任命書を開いた。
「今回の会議用品は、陛下も同意された共同監察の対象です。殿下の単独のご命令では、この手続きを解除できません」
声が震えなかったのは、私が強くなったからだけではない。
横には立会人がいて、書面には同じ手順が書かれていた。私一人の言い分を押し通しているのではなかった。
フェリクス殿下は私を睨んだまま、しばらく黙っていた。
「二時間後に、説明を聞く」
そう言って去った。
ゲオルクは少し遅れて後を追った。台車を見送る横顔が、ひどく固かった。
* * *
紋章院から届いた照合結果を、セルネの主任監察官が読み上げた。
「当該日の監察票は綴じ込まれた連番記録に残っています。欠落はありません。旗幕の照会は見当たらず、別の日の受付簿には『図案未着・照会待ち』とあります」
私は、その写しを見た。
図案が来ていない案件は、確認できない。引き継ぎ書にも保留として残したはずだった。
「ただし、それだけで誰が記録を作ったかは断定できません。監査院へ、調達票の作成経路を照会します」
「お願いします」
主任監察官は頷き、私へ現物検分を促した。
私は台車の前に立った。
「封を解きます」
事務官が固定具を外す。職人二人が、床に清潔な布を敷いてから旗幕を広げた。
金糸の獅子が、灯りの中へ現れた。
帝国の意匠らしい、堂々とした姿だ。
だが、その頭上には、宝冠がない。
さらに布が開く。
獅子を囲む銀の環が、下で途切れていた。
私は思わず、息を止めた。
黒い七弁花を囲んでいたのも、この形だった。
花だけでは決まらなかった。今度も、獅子だけで決めてはいけない。
「現行規定を。条約付属図版も、並べてください」
確認するために伸ばした手の先で、金の獅子が光っていた。
明日、皇帝の背後に掲げられるはずだった獅子には、冠がなかった。




