第23話 リリアの選択
王太子宮の私室で、リリアは一枚の紙をフェリクスへ返した。
宮内府から届いた、彼女の住まいと接遇を改めるための説明書だった。
「アーレン様を、もう一度婚約者に迎えるおつもりだったのですね」
「まだ決まっていない話だ。お前の待遇は守る」
「私への相談より先に、この書類が来ました」
フェリクスは紙を見ず、机へ置いた。
「今は監査院の件で忙しいのだ。エステルが戻れば、儀典の問題も収まる。お前も責められずに済むだろう」
「私を責める人たちに、殿下から何をお伝えになったのですか」
返事はなかった。
リリアは、首飾りを外された夜のことを思い出した。痛くはないかと訊いてくれたのは侍女で、留め具に髪が絡んでいると気づいたのは、隣にいたはずの恋人ではなかった。
「私は、殿下の隣にいるのをやめます」
「リリア。落ち着け」
「落ち着いてから、申し上げています」
彼女は指から贈られた飾り輪を抜き、紙の上へ置いた。
「請求書も、返せと脅された手紙も、父と一緒に監査院へ出します。私が選んだものと、選ばされた範囲を話します。私のしたことも、隠しません」
フェリクスが立ち上がる前に、リリアは礼を取った。
扉の外には、父の使いが待っていた。
* * *
リリア嬢が監査院での聴取を終えたと、マルタ先生から知らせが届いた。監査院はすでに仲介商社にも記録の提出を求め、王宮側の台帳との照合を進めているという。
ほどなく、本人からも面会の申し込みが来た。今度は裏門ではなく、伯爵家の馬車で正面へ。
小応接室へ入ってきた彼女は、まだ顔色がよいとは言えなかった。それでも、手袋を外す指は震えていなかった。
「父に、全部話しました」
それが最初の言葉だった。
「驚かれましたか」
「怒られました。どうして脅されていることを黙っていたのかと。……心配もされました」
彼女はそこで、小さく息を吐いた。
「殿下に気に入られている間だけは、家の商売にもよいことがあるのだと思っていました。でも父は、そんな取引を頼んだ覚えはないと言いました」
私は紅茶を勧めた。
彼女はカップを持つ前に、卓上へ封筒を置いた。
「監査院に出した資料の受領証です。あなたに預けた分も、脅迫の手紙の原本も、全部番号を付けてもらいました」
「ありがとうございます」
控えを照合し、私たちは二人で資料の数を確かめた。
すべて合っていると分かってから、リリア嬢がようやく紅茶を飲んだ。
「王宮の人たちは、アーレン様が私を操っていると言うでしょうね」
「そう言う人は、いるかもしれません」
「でも、違います。私が行くと決めました」
私は頷いた。
慰めや励ましを求めている声ではなかった。自分の選択を、他の誰かの功績にしないための言葉だった。
「監査院には、そのまま伝えましたか」
「はい。何を聞かれても、分からないことは分からないと答えました。前なら、もっと立派な返事をしようとしたと思います」
帰り際、彼女は扉の前で足を止めた。
「私は、図案を選ぶのが好きだったんです」
その声は、さっきより小さかった。
「もう、何も選ばない方がいいのでしょうか」
私は、テーブルに残った封筒を見た。地味な封筒だったが、彼女が結んだ紐の色は紙によく映えていた。
「選んだ理由と、まだ確かめていないことを分けて伝えればよいと思います」
「理由……」
「きれいだと思った。それは、嘘ではなかったのでしょう」
彼女はすぐには答えなかった。
それから小さく頷き、迎えの馬車へ向かった。
* * *
午後、五国親善会議の最終日程が大使館へ届いた。
開催は一週間後。各国の王族と使節が、アルヴァレト王宮へ集まる。グランツ皇帝の到着予定も、正式に記されていた。
半年前から準備してきた会議だが、今、主催者側の調達に監査が入っている。
「会議用の礼装と卓上装飾は、今になって追加発注したそうだ」
カシアン殿下が資料を置いた。
「納期が短いな」
「こちらで使う分は、納入品と図案を再確認します。他国の確認結果も取り寄せて、担当を分けましょう」
「そうしよう」
彼はかつてのように、私がいれば万全だとは言わなかった。
私も、自分一人で守れるとは答えなかった。
机の上に各国の資料を並べる。文化担当官が、照会済みの欄へ印を付けていった。
日が傾き、職員たちが退出してから、殿下が私の机へ戻ってきた。
「ベルク嬢の相談は、終わったのか」
「はい。ご自分で、これからを決めようとしておられます」
「そうか」
彼はそこで、何かを言おうとしてやめた。
「殿下は、まだ何か私にお尋ねになりたいことが?」
「ある。だが、今日の業務の報告ではない」
私はペンを置いた。
彼が目を向けたのは、机にある古い契約書ではなく、私の顔だった。
「明日、少し時間をもらえるだろうか」




