第19話 同じ版、三つの案件
グランツ帝国大使館の自室に籠もり、私は机の上に複数の書類を並べていた。
一つは、建国祭の夜にリリア嬢が身につけていた『黒い七弁花の首飾り』に関する、宮内府からグランツ帝国へ共有された公式な証拠記録の写し。
一つは、大使館の調達担当者が市中で購入し、結果として『求婚』を意味する十三粒の真珠の装飾を作り出してしまった図案集の版番号のメモ。
一つは、アルヴァレト王国の退役軍人団体が公表した、近衛兵の『逆結びの軍帯』に対する抗議文。
そして最後が、昨日リリア嬢から託された、彼女の装飾品や茶会の備品に関する請求書の写しだ。
私は細密図用鉛筆を手に取り、それぞれの書類に記載されている番号を線で結んでいった。
「同じ第四版です。契約番号は、こちらだけ……」
首飾り、真珠房、軍帯の番号は、リンデル工房の第四版に並んでいた。九年前に刊行された内容が、今年の増刷にも残っている。
リリア嬢の請求書にある『宮調―一七』は、別の番号だった。図案の種類ではなく、王宮側の一括契約を示している。
この二つを混ぜてはいけない。
古い図案帳から買ったことだけで、不正とは言えない。今でも使える図柄はある。大使館の真珠房も、贈り方を変えれば使えた。
だが、確認の必要な品が、確認を通らないまま別々の場所へ届いている。首飾りを外しても、軍帯を解いても、次の発注は止まらない。
私は三つの図案の下に、それぞれの使用先を書いた。
「誰が、今の意味を確かめる契約だったの……」
請求書には、その答えはない。契約原本と支払いの記録が要る。
私は大使館の顧問で、王国の帳簿を調べる権限は持っていなかった。持ち出せる資料にも限りがある。
公開された抗議文。リリア嬢が提出を望んだ請求書。両国共有の制作票については、紋章院への照会用に写しの提供許可を取った。
これらを、調べる権限のある人へ渡そう。
私は書類を丁寧に鞄にしまい、休日の外出許可を取って大使館を後にした。
向かった先は、古巣であるアルヴァレト王宮の『王立紋章院』だ。
休日で人気のない紋章院の奥深く、私は上席研究官であり恩師であるマルタ・ヴァインの私室を訪ねていた。
突然の訪問にもかかわらず、マルタは温かい茶を淹れて私を迎えてくれた。
「なるほど。同じ古版を参照した品が、別々に入ってきているのね」
私が持参した制作票の写し、退役軍人団体の抗議文、リリア嬢から預かった請求書に目を通したマルタは、厳しい表情で顎を撫でた。
「工房が現行の意味を保証し、宮内府がそれを信じたのか。双方が誰も確認していないと知っていたのか。ここは、契約書と支払いの記録を見なければ分からないわね」
「はい。ですが、グランツ帝国に雇われている私が直接これを監査院に持ち込めば、政治的な争点にすり替えられてしまいます。ですから、マルタ先生」
私は真っ直ぐに恩師の目を見た。
「王立紋章院の権限において、これらの図案の適格性と調達記録に関する『正式な疑義照会』を、監査院に対して行っていただけないでしょうか。紋章院からの専門的な照会であれば、監査院が調達の側から調べる根拠になります」
マルタは私の顔をじっと見つめ、やがてふっと息を吐いて笑みを浮かべた。
「あなたの照合と、監査院の調査は別の仕事ね。資料をどこで得たかも、今の説明どおり書いてちょうだい」
「先生……」
「請求書はベルク嬢本人からの提出として、受領記録を残すわ。あなたの照合表と、以前の引き継ぎ書の控えも添えましょう。調達監査を始めるかどうかは、監査院が決めることよ」
「はい」
「それから、共通台帳の案も読んだわ。間違いが見つかったら、訂正文だけでなく、元の記述も残すことね」
私は頷いた。誰の、どの判断が変わったかを追えるものにしなければ、名前を残す意味もない。
私は預かり控えを受け取り、頭を下げた。まだ何が出てくるかは分からない。だが、書類は私の机を離れ、次に読む人へ渡った。
* * *
「ええい、外務の連中め! 少し事故が続いたくらいで、いちいち騒ぎ立ておって!」
宮内府の執務室で、副長官のゲオルク・ハーゼン侯爵は忌々しげに書類を放り投げた。
近衛兵の軍帯に対する退役軍人の抗議、来訪公爵の席次幕事故。立て続けに起きた失態により、外務部門からの風当たりは日増しに強くなっていた。王太子フェリクスも苛立ちを隠さず、宮内府への圧力は高まる一方だ。
ゲオルクは契約書の納入元保証の欄を指で押さえた。
契約を止めれば、既に発注した品の支払いが残る。紹介した商社からも、会議分まで予定どおり進めるよう催促が来ていた。
「副長官閣下。このままでは、我々の調達記録に監査の目が入る恐れがあります。その……以前、あのアーレン元監察官が辞める際に残していった『引き継ぎ書』に、これらの意匠の危険性に対する警告が記載されていたのではないでしょうか」
青ざめた部下の一人が、震える声で進言した。
「今からでもあの引き継ぎ書を探し出し、そこに記載されている図案だけは調達を止めた方が……」
「馬鹿を言え!」
ゲオルクは部下を怒鳴りつけた。
「今さら『事前に警告がありました』などと認めてみろ。我々がそれを無視して事故を起こしたという、致命的な証拠になるではないか!」
ゲオルクは舌打ちをし、冷たい目で部下を睨みつけた。
「余計な真似はするな。引き継ぎ書は旧担当の資料だ。現契約の資料と一緒には出すな。保管庫に残しておけ。提出する範囲は私が決める」
部下は、提出予定の一覧から引き継ぎ書の名を消した。保管庫の鍵を、ゲオルクが自分の引き出しへしまった。
* * *
帰りの馬車で、私は膝の上の預かり控えを確かめた。
リリア嬢の書類は王国の機関へ渡った。大使館へ持ち帰るのは、提出が済んだという記録だけだ。
意匠の図を比べるところまでは、私にできた。金の流れと指示の経路は、監査院の仕事になる。
大使館へ戻ると、歓迎行事用の図案が机に置かれていた。
中央に描かれた八角星を見て、私の指が止まった。




