第11話 流行の意匠、古い禁忌
グランツ帝国大使館の執務室は、今日も静かで実務的な空気に包まれていた。
私の机の上には、大使館の警護を担う騎士団から提出された、式典用に新調する『記念帯』の図案が広げられていた。
図案に描かれているのは、最近王都の若者たちの間で流行しているという“復古調”のデザインだ。質実剛健な分厚い布地に、帯の端を通常とは逆の向きで交差させる『逆結び』という特殊な結び方が指定されている。見た目には無骨で力強く、騎士が身につけるには確かに格好の良い意匠だった。
だが、私の目はその『逆結び』の構成に釘付けになっていた。
「アーレン顧問。その図案に何か問題が?」
様子を見に来たカシアン殿下が、私の険しい表情に気づいて声をかけてきた。
「……ええ。この『逆結び』は、百年前にグランツ帝国およびアルヴァレト王国の一部で反乱を起こし、討伐された『灰狼兵団』という敗残兵団が用いていた印です。彼らは正規軍への反逆の意志を示すために、わざと帯を逆に結んでいたという記録が残っています」
「反乱軍の印、か」
カシアン殿下の瞳がすっと細められた。
「ならば、すぐに使用中止の勧告を出すべきだな。騎士団には私から別の図案を選ばせよう」
「お待ちください、大使殿下」
即断しようとした彼を、私は落ち着いた声で引き止めた。
「古い意匠だからといって、現代でも必ず危険だとは限りません。百年という年月が経てば、当時の対立が風化し、単なる『歴史的な復古調デザイン』として許容されるケースも存在します。私個人の知識だけで即座に『禁止』とするのは、専門家として不誠実です」
「では、どうする」
「帝国本国の『退役軍人団体』へ、現在のこの意匠に対する感情を照会します。当事者たちの傷が今も残っているかどうかを確認した上で、騎士団に判断を委ねるべきです」
私は大使館の通信網を使い、急ぎ本国の退役軍人団体へと意匠に関する照会状を送った。
そして数日後、団体からは悲痛な怒りのこもった返答が届いた。
『百年前とはいえ、我々の先人を殺した反乱軍の印である。それを誇り高き帝国の騎士が身につけるなど、遺族感情を強く逆撫でするものであり、断じて容認できない』
時の流れだけでは癒えない傷がある。その事実を確認した私は、カシアン殿下と共に騎士団長を呼び、照会結果の書面をそのまま提示した。
事実を知った騎士団長は真っ青になり、「そのような歴史的背景があるとは知らなかった。流行の図案集から見栄えだけで選んでしまった」と深く恥じ入り、自らの権限と責任において、即座に図案を無難な『平結び』へと差し替えることを決定した。
意匠の意味は、辞典に載っている言葉のように固定されたものではない。今回は、使う前に当事者の話を聞くことができた。
同じ図案帳は王国にも出回っている。私は、退役軍人団体が公開を認めた回答の写しを、文化担当官から王国の儀典窓口へ送ってもらった。
受領の返事には『納入元へ照会中』とだけあった。
* * *
王都の目抜き通りでは、記念式典のパレードが始まっていた。
貴賓席のフェリクスは、新しい軍帯を締めた近衛兵を見て頷いた。
「やはり、見栄えが違うな」
隣のリリアも微笑んだ。リンデル工房の復古調の図案から、二人で選んだ帯だった。
だが、行進が広場へ差し掛かると、沿道から声が上がった。
「その結び方を、今すぐ解いてくれ!」
胸に勲章をつけた老兵が立っていた。
「灰狼兵団の印だ。我々の先人を殺した連中の帯を、なぜ近衛が締めている」
指揮官が貴賓席を振り返った。フェリクスは口を開きかけたが、何を命じればよいか分からなかった。
老兵は来賓用の花束を地面へ置いた。それを合図に、退役軍人団体の列が退席していく。
指揮官は行進を止めた。何も知らされずに帯を締めた兵たちは、解いてよいのか命令を待って立ち尽くした。
「殿下、いったん王宮へ」
儀典官に促され、フェリクスは席を立った。
リリアの裾が花束に触れたが、拾う人はいなかった。記念式典は、そのまま中止となった。
* * *
「……アルヴァレト王都にて、近衛兵の軍帯に関する抗議活動。記念式典は中止……」
数日後、私はグランツ大使館の執務室で、王国の新聞記事を読みながら深い溜息をついた。
記事には、王国の退役軍人団体が激怒し、パレードが中止になった顛末が書き立てられている。送った注意書きが、現場まで届いたかは分からない。同じ逆結びが使われたことだけが、写真代わりの挿絵から読み取れた。
使う前に、招かれた老兵たちへ尋ねる機会はなかったのだろうか。注意書きは届いていた。誰が何を確認して進めたのか、記事だけでは分からなかった。
「何も知らずに着けた兵たちまで、責められなければよいけれど……」
私は独り言を呟きながら、新聞の隣に添えられていた一枚の紙切れに目を落とした。
それは、王国の退役軍人団体が新聞各社に向けて公表した、王宮への痛烈な『抗議文』の写しだった。私は事実関係を把握するため、その文章を隅々まで読んでいた。
そして、文末に記載されていた一文に、ピタリと視線が止まった。
『我々は、かかる冒涜的な意匠(納入票記載の図案番号:RL―4072)を採用した宮内府の責任を厳しく追及するものである』
「RL―4072……」
抗議文には、式典主催者から交付された納入票の写しも付いていた。問題の軍帯を取り違えないため、団体が公表したのだ。
図案帳を開く。第四版の軍帯の頁に、同じ番号があった。七弁花、真珠房、軍帯。隣り合う頁の図案が、別々の場で使われている。
ただし、これは品の番号だ。王宮が誰と、どんな条件で契約したのかまでは分からない。
私は注意書きの送達控えを重ねた。今度は紋章院にも、公開資料として照会する。届いたという返事だけでは、使う人まで伝わったことにはならない。
挿絵の近衛兵は、帯へ手をかけたまま立っていた。
私が止めたかったのは、こういう顔だった。




