囮影
「お兄さ──」
店の近くから仕事終わりの吾妻に声をかけようとすれば、背後から二条の肩に手が伸びる。
「伊達伊吹、少し話がある」
振り向くと、そこに立っていたの宮村だった。
二条は淡々と答えた。その声には皮肉が滲んでいた。
「今、プライベートなんですが」
「すぐ終わる」
「…何ですか」
宮村の声音は低く、用件だけを伝えるような簡潔さだった。
二条は小さく息を吐き、腕を組む。どうせこの手の男は、引き下がるつもりなど最初からない。
「お前、今仕事は受けてるか?」
「二件だけですが、それが何か?」
「俺からの仕事を受けてくれ」
「内容次第ですが、それで良ければ」
宮村の視線は真っ直ぐだった。試すような、観察するような目。
二条はその視線を受け止めながら、薄っすら笑みを浮かべた。
「佐倉組は夏草組と敵対している」
「(夏草?)夏草というと、一応確認ですが──組長の名前は夏草仁ですか?」
「ああそうだ」
「その夏草仁と商談する予定がありますね」
「なら丁度いい。囮になってくれ。お前が動かす姿を見たい」
一瞬、空気が止まった。二条はゆっくりと眉を上げた。
「は…?今何と?囮…?」鼻で笑う。信じられない、というより呆れたような笑いだった。だが目だけは、笑っていない。「は、それはつまり、わざと商談を失敗しろと?」
宮村は否定も肯定もせず、唯静かに二条を見返す。
その沈黙が、逆に答えのようだった。
「近々夏草組を──まぁ兎に角、囮になってくれれば俺からの依頼代、そこに囮に加え商談分の報酬を追加で出す。どうだ?」
金額の問題ではない。
二条は顎に指を当て、少しだけ視線を逸らした。これは仕事というより、戦場に踏み込む話だ。
「追いかけ回されるのは慣れてますが、向こうもいつ気付くかは判らないので、突発イベントみたいなものですよ?」
軽い口調の裏で、二条は宮村の反応を探っていた。
危険を理解した上での依頼なのか、それとも唯の無茶振りなのか。
「俺に電話してくれりゃあ、すぐ向かう」
二条は暫く黙って宮村の顔を見た。測るような、疑うような視線で。
「……随分と自信があるんですね」
「自信じゃねぇ。準備してるだけだ」
その一言には妙な説得力があった。根拠のない大言ではない。本当に準備している男の声だった。
「囮って言う位ですから、当然危険度は高い。下手すればその場で消される可能性もあります」
「俺の伊達伊吹だ。消させはしない」
迷いのない断言だった。二条は一瞬だけ瞬きをし、それから小さく笑う。
「その言い切る自信、尊敬に値します」手を添えるように胸に手を当てる。「まぁいいです。お受けしましょう」
二条の目が軽く陰るように細まる。
「受けるのか?」
「ええ。ただし条件があります」
「言ってみろ」
「私はわざと負ける演技はしません。あくまで“交渉はする”。その結果として拗れるなら、それは囮として使って下さい」
二条の声は静かだったが、その意思ははっきりしていた。仕事はする。だが芝居はしない。
「構わん」
「それともう一つ」
二条は宮村の胸元を軽く指で突いた。
「遅れないで下さいよ」
「遅れねぇよ」
指先が離れても、二人の距離は近いままだった。
約束というより、確認。互いの覚悟を測る沈黙が落ちる。
「囮を死なせたら、雇い主の信用問題ですからね」そう言って二条はくるりと背を向けた。「日程と場所、後で送ります」
数歩歩いたところで、ふと思い出したように振り返る。「後一応言っておきますけど」
「何だ」
「私、結構しぶといですよ」
二条はサングラスを上げ、目元の傷を指し薄く笑った。
「遅ぇよ」
吾妻は二条を待っていてくれたらしく、二条は嬉しそうに笑みを浮かべた。




