↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/38

第9話 逃げろ

 道の真ん中に立っていたのは、男だった。

 くすんだ色の上着に、泥のついたズボン。髪は耳を隠すほど伸びている。どこかの採取帰りに見えたが、背負っている袋はない。

 代わりに左手で草を握っていた。根に土がついたままの束から、赤い茎が何本もはみ出している。


 右手には鉈(なた)。

 その刃先から赤いものが落ちたのを見て、俺は足を止めたまま剣の握りを確かめる。


「そこで何をしていた」


 男は俺たちが歩いてきた林の奥へ顎を向けた。

 ハロルドさんが俺たちの前へ半歩出る。剣には手を掛けているが、まだ抜こうとはしなかった。


「薬草を採っていた。もう帰るところだ」


 普段、道でほかの冒険者に会ったときと変わらない声だ。ただ、男の鉈からは目を離していない。

 あの草と刃の血を見れば、ハロルドさんも林の死骸を思い出したはずだ。それでも何も聞かない。今はこの男と揉めずに通り抜けるつもりなのだろう。

 俺は剣の握りに掛けていた手を緩め、話を任せることにした。


「何を採った」


 男に重ねて聞かれ、ハロルドさんが答える。


「今日は二種類頼まれたが、採れたのは一つだけだ。あんたが持ってる草は見つからなかった」


 男の目が俺の袋へ移った。次にレイナの袋を見る。顔はほとんど動かないのに、目だけが忙しく行き来している。


「見せろ」


 男は鉈の先で俺の袋を指す。言われるまま近づいていいものか迷い、ハロルドさんを見る。


「そこから中を見せてやれ。袋は持ってていい」


 俺は頷き、袋を体の前へ回す。こっちが赤い茎の草を持っていると思われているのなら、見せた方が話は早い。口を広げ、中が見えるように傾けた。


「採ったのはこれだけです。そちらの草は入ってません」


 俺がそう伝えると、男は一歩近づく。

 よく見えるように一歩前へ出かけたところで、ハロルドさんに肩を押さえられた。顔を向けると、小さく首を振っている。

 俺は腕を伸ばすのをやめ、ハロルドさんのそばに留まる。


「違う」


 中を見た男が呟いた。ようやく分かってくれたのかと思ったが、今度はレイナの袋へ目を移す。


「そっちは」


 レイナもハロルドさんへ目を向けた。頷きを確かめてから、自分の袋を開く。前へ出ず、その場で口を広げて見せた。


「赤い茎の草は、私も持っていません。探したけど見つからなかったので」


 レイナが説明しても、男は袋を見たまま動かない。空いている底まで確かめるように首を傾けている。

 風に揺れた枝が頭の上で擦れた。俺は袋を開いたまま待つ。

 何も隠していないことくらい、見れば分かるはずだ。だからないんです、と言い足そうとしたところで、肩を押さえる指に力が入った。

 俺は口を閉じた。ハロルドさんに任せよう。納得させようとして言い合いになれば、それだけここにいる時間が長くなる。


 男が袋から顔を上げるのを待って、ハロルドさんが声をかけた。


「見たとおり、二人とも持っていない。オレたちは町へ帰りたい。そこを通してくれないか」


 男の手の中で草が潰れた。折れた茎から葉が一枚落ちる。男はそれを目で追い、踏みつけそうになった自分の足を引っ込めた。


「なくなる」


 男は俺たちへの返事もせずにしゃがみ込み、落ちた葉を拾った。


「食うから。抜くから。みんな持っていくから」


 手の中の草へ話しかけるような声だった。

 首の曲がったウサギと、腹を裂かれた魔物が頭に浮かんだ。草を食べたから殺されたのだろうか。聞きたくはなかったし、答えが分かったところで俺たちにできることもない。

 俺は袋の口を閉じた。ハロルドさんも男を問い詰めず、俺たちへ横に寄るよう手で示した。


「その草は採っていない。ここへ採りに来るのもやめる。だから、オレたちはもう行くぞ」


 話しかけながらハロルドさんが道の端へ動く。男の前を横切るのではなく、大きく距離を取って脇を抜けようとしていた。

 俺もレイナと一緒にハロルドさんの後ろへ回る。男を急かすようなことは言わず、道の端を歩く。男はまだ足元の葉を拾っている。このままこちらに構わないでいてくれれば、それでよかった。


 あと数歩進めば、男の横を抜けられる。


「返せ」


 男が立ち上がり、こちらへ向き直る。

 俺は足を止めた。袋の中は見せたし、もう採りに来ないとも伝えた。それでも男はレイナの袋を見て手を伸ばしている。


「採る前に、返せ」


 男が繰り返した。

 採る前とはどういうことだ。まだ持っていないものをどう返せばいい。言葉は分かるのに、何をすれば通してもらえるのか分からない。

 レイナが袋を胸へ寄せ、一歩下がった。ハロルドさんがすぐその前へ入る。

 男の右腕が上がる。鉈を持った手が頭の横へ来たときには、ハロルドさんの剣も抜けていた。


「下がれ!」


 ハロルドさんの声とともに、金属がぶつかる音がした。

 ハロルドさんが斜めに構えた剣に鉈が当たる。刃に沿って横へ滑り、その先の木の幹に食い込んだ。木の皮が弾ける。さっきまでレイナが立っていたところへ、砕けた破片が飛んだ。

 俺は剣を抜きながら後ろへ下がった。レイナも二歩離れ、袋を脇へ寄せている。


 男が鉈を引いた。

 幹に深く入った刃が引っかかりもせず抜けた。木が軋み、頭の上で枝が大きく揺れる。

 あんなものを盾で受けたら、腕ごと持っていかれる。


「魔憑きだ。相手にするな」


 ハロルドさんは男から目を離さずに言う。

 魔憑き。出会ったら逃げろ。倒すことを考えるな。そう言われていた相手が、手の届きそうなところにいる。


     *


 男の鉈がまた動く。

 ハロルドさんは正面で受けず、横へ踏み込んだ。刃が空を切り、返した剣が男の腕をかすめる。上着が裂けて血が出たが、男はそこを見もしなかった。


「草を置け」


 鉈が横に振られた。

 ハロルドさんが下がる。俺もレイナと離れすぎないように動いたが、袋が腿に当たって足がもつれかけた。


「袋、捨てろ!」


 紐を肩から外して放した。レイナの袋もすぐ隣へ落ちる。

 男の目がそちらを向いた。

 ハロルドさんは地面へ向けて手を振った。乾いた土と落ち葉が風に巻かれ、男の顔の前へ舞い上がる。


「こっちだ!」


 ハロルドさんの背中を追い、レイナと走り出した。街道へ抜ける道からは遠ざかるが、今はあの男の脇を通りたくない。来た道を少し戻り、木の間へ飛び込んだ。

 剣を下げたままでは走りづらい。刃先がレイナへ向かないよう体の外側へ寄せた。鞘(さや)に戻す余裕はなかった。


 後ろで草の袋が裂ける音がした。

 振り返らなかった。見ても足は速くならない。今はハロルドさんの行く方を見失わずに走る。


「倒れた木を越えたら右だ。そのまま行けば街道へ戻れる!」


 俺は返事をして木の幹を跨いだ。着地で膝が沈んだが、踏ん張って次の足を出す。レイナも越えたのを横目で確かめる。

 ハロルドさんが後ろへ回った。俺たちを先に行かせ、剣を構えたまま数歩下がる。


 木の向こうに、土のついた男の顔が見えた。

 まだ来る。根につまずいてもすぐに踏み直し、距離が縮まってくる。左手には草を握ったままだ。

 ハロルドさんが鉈を持つ腕へ剣先を向け、ようやく男の足が止まった。


「止まるな、行け!」


 俺は前を向いて走った。

 この辺りは歩いたことがあった。木々の間を抜ければ緩い斜面があり、その下を街道が通っている。そこへ出れば、足元を気にせず走れる。

 息が喉に引っかかる。もうあの日のように脚が動かなくなるほどではない。それでも、背後の足音が消えない。


 レイナが前の枝を避けて身を低くした。俺も同じところをくぐった直後、後ろで鋭い音がした。

 枝が折れて横へ飛ぶ。


 ハロルドさんが俺たちのすぐ後ろへ下がってきた。外套(がいとう)の裾が低い枝に引っかかり、肩が引かれる。舌打ちが聞こえ、強く引いた布が枝から外れた。

 男はもうその向こうにいた。


 ハロルドさんが足を止め、鉈を弾いて男の膝を蹴った。男がよろめく。

 倒れてくれれば、その間に走れる。

 けれど男は踏み直し、また鉈を持ち上げた。


 俺は剣を握り直した。横からなら届くかもしれない。そう思って一歩寄りかけたところで、ハロルドさんが声を張った。


「コータ、前へ出るな!」


 足が止まった。

 俺へ向いた男の目を見て、腹の底が冷えた。剣の間合いへ入れば、あの鉈の届くところに俺も入る。ウサギのときと同じようにはいかない。

 ハロルドさんが間へ入り、俺の見ていた顔を背中で隠した。


「レイナと先に行け」

「でも、三人で――」

「お前らが離れた方が動ける」


 言われて剣を下げた。俺たちが止まるたび、この人も止まらなければならないのだ。


     *


 ハロルドさんの剣が男の手元へ走った。

 鉈を避けながら踏み込み、肩で押す。男は二歩下がった。その左手から草が何本か落ちた。

 男の動きが止まった。


「踏むな」


 自分の足元を見ている。

 ハロルドさんはすぐに距離を取り、俺たちのところへ戻った。剣を右手に持ったまま、左手で外套の留め具を外す。


「これ、持ってけ」


 肩から滑り落ちた布を差し出された。俺は左腕で受け取る。


「さっきから枝に取られて邪魔でな。本気で動くから脱いどく」


 外套は思ったより重い。さっきまで着ていた温かさが残っている。


「荷物を置いてから、戻ってきます」

「いらん。街道を町の方へ走れ。人に会ったら魔憑きが出たと伝えろ」


 俺は男の方を見た。落ちた草を拾い、また握り込んでいる。赤い茎が折れ、土のついた根が指の間から突き出した。

 あいつが立つ前に行かなければならない。

 そう分かっているのに、足が動かない。


「ハロルドさんは」

「オレもあとで追いつくからよ」


 いつもの声だ。


「生き残るのだけは得意なんだ」


 ハロルドさんは口の端を上げた。それから俺の腕にある外套へ目をやる。


「引きずるなよ。気に入ってるんだ」


 俺は布を抱え直す。

 ウサギに怯えていたときも、剣を振り損ねたときも、この人は俺たちの動きを見ていた。止まるところと進むところを、俺たちよりずっとよく知っている。

 今もそうなのだと思った。


「分かりました。持って待ってます」

「町まで行けよ」


 レイナが隣で頷く。唇を結び、剣を持ち直している。


 男が立ち上がった。

 ハロルドさんは俺たちへ背を向ける。外套がなくなった背中は身軽に見えた。肩を一度動かし、剣先を男へ向ける。


「行け!」


 俺はレイナと走り出す。

 左腕に抱えた外套を落とさないよう押さえ、斜面へ続く道を駆ける。後ろで剣と鉈がぶつかる音がした。

 早く離れよう。俺たちを気にせず動けるようになれば、きっと追いついてくる。

 俺はそう信じて足を動かした。


お読みいただき、ありがとうございます。


本編は全143話、完結まで執筆・校正済みです。

本日は第10話まで、10分おきに公開します。


「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや☆からの評価をいただけるとうれしいです。

感想も楽しみにしています。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。