第55話 残されたもの
人格情報。保存。別個体への移行。
俺は同じところをもう一度読んだ。
「おっさん。これ、何をしようとしてたんだ」
『……続きを見てくれ。俺も知らん』
テオが椅子を寄せ、エマもレイナの横へ座る。表示を送ると、レイナがある行へ指を添えた。
「ここ。身体の活動が止まったあとも、って」
元の身体から離したナノマシンに記録を残し、別の身体へ移す。そのあとで、元の人物と同じ答えをするか確かめる。
声に出すと、エマが俺を見た。
「死んだ人と、また話すため?」
「そういうことなのかな」
試験の結果を開く。記録を取った人物と移す先の人物に、それぞれ番号がついていた。元の人物の欄には死亡した時刻もある。
育った場所。家族の呼び名。昔働いていた店。
別の身体の人が、同じ答えを話したと書かれている。
『名前だけ覚えさせた、って話じゃなさそうだな』
「これ、おっさんの頃では普通に考えられてたことなのか?」
『いや、そんなことはない』
すぐに返ってきた。
『身体を治す研究なら知ってる。だが、人をこうやって移すなんて話は聞いたことがない。俺の仕事とも違う』
外部へは出さない。最初の注意書きが、さっきより気になる。
俺が伝えると、テオは二つの番号を指した。
「移された方にも、元から人がいたんだよな」
「……うん」
探しても、答えを記した欄は元の人物と一致したものばかりだ。
この人だって試験の前には、自分の家の話をしたはずなのに。
「その人、どうなったんだろ」
エマへ答えられる記述は見つからなかった。
*
男性が様子を見に来たので、生き物の試験らしいと伝え、写す許可をもらった。こちらでも調べたいから、何の試験か分かる部分をもう一部残してほしいという。
男性が戻るのを待ち、声を落とす。
「おっさんも、こういうことなのか」
『そうかもしれんな』
文字を見つめたまま返事を聞いた。
『身体がなくても、俺はお前と話してる。思い出もある。そのための技術を、誰かが作ってたんなら』
俺は卓の下で手を握る。開く。
勝手に動いたことはない。今も、握ろうと思ったから握った。
「コータ。お医者さんに言われたこと、覚えてる?」
「俺が俺のままか、見ててくれって話?」
「うん。昔のことを覚えてても、人柄とか、家族への接し方が変わることがあるって」
レイナの言葉にテオも顔を上げた。
「それ、別のやつになってるってことか?」
レイナは返事の代わりに、目の前の二つの番号を見る。俺も同じところへ目を戻した。
魔素を取り込みすぎると、魔憑きになる。
頭がおかしくなるものだと思っていたが、別の誰かが入ってくるのだとしたら。
幹から鉈を抜いた男の顔を思い出す。あの男にも、ほかの暮らしがあったのか。
エマが椅子を引き、俺の見ている行を読む。
「魔憑きになる理由が分かったの?」
「まだ、そこまでは……」
『今の魔憑きを調べた記録じゃないからな。ただ、関係ないとも思えん』
俺はその言葉を伝えた。
「俺にはおっさんがいる。でも、俺もこうして喋ってるだろ。そこが違うのかもしれないし」
「コータは、ずっとコータだよ」
レイナは伸ばしかけた手を引かず、俺の手首に触れた。
「うん。それは俺も、そう思ってる」
読むのをやめて帰りたいとは思わなかった。
*
人に試す前は、マウスを使っていたらしい。
「ねずみ?」
『ああ。育つのも次の世代が生まれるのも早いからな』
日付の古い方へ戻ると、人の名前は個体の番号に変わった。
音を聞いたら、餌の出る方へ行く。それを覚えたマウスから記録を取り、何も教えていないマウスへ移す。
「こっちのやつまで、餌があるって分かったのか」
テオが二つの図を見比べる。
「そう書いてある。何も移さなかった方は、行く方向が決まってない」
俺が別の身体で、日本でやっていたゲームの続きを始めるようなものなのか。手の大きさが変わっても、ボタンの場所は覚えているのだろうか。
次の試験では、うまくいっていなかった。
短い音なら右、長い音なら左。二つを覚えたマウスから移したはずなのに、受け取った方は右にしか行けなくなっている。
『こっちは処理をしてないな。別の身体へ移しただけか』
「それだけで、忘れるってこと?」
『移すこと自体がうまくいってないのかもしれん』
俺の問いに答えてから、おっさんも次を見たがった。別の組では両方でき、その次は逆に左しか分からなくなっている。移した回数が多いほど悪いとも限らない。
「毎回、同じものが残るわけじゃないんだね」
エマの言葉に頷く。原因の欄には、次の試験で調べるとしか書かれていなかった。
おっさんも生き物の方は専門外だという。今ここで、俺と一緒に読んでいるだけなのだ。
*
別の日付には、保存したナノマシンへ処理を加えた記録があった。
処理する前なら、移されたマウスは餌の場所へ行ける。処理したものを移すと、それができなくなる。
「覚えてたことが、消えた?」
テオが背もたれから身体を起こした。
『消えたのか、取り出せなくなったのかは分からん。何をしたって書いてある?』
処理の名前は長く、声に出しても意味がつながらない。エマが前の頁を指し、元のマウスはまだ餌の場所へ行けたと教えてくれた。
変わったのは、身体から離して保存していた方だ。
レイナが図と数字を書き写す。似た記号の続くところをテオが指した。
「こっち、一本多いぞ」
「ほんとだ。ありがとう」
俺も元の記録と見比べる。普段なら書き終わるのを待っていたが、今日は自分でも確かめておきたかった。
続きを開くと、文字の途中に白い筋が入った。先へ送っても、それ以上は出てこない。
窓の光が卓の脚まで動いていた。エマに言われて、ひとまず外で昼飯を食べることにする。
丘からは川が見えた。橋を渡る荷車を眺め、甘く煮た豆のパンを齧る。
『もう一口、食ってみてくれ』
「今、食べるよ」
噛みながら、頭の中の声を待った。俺が味を確かめている間、向こうは何を考えているのだろう。
「……おっさん、続きを見たい?」
『見たいな。自分が何なのか、俺も知りたい』
伝えると、三人も食べ終えたら戻ろうと言ってくれた。
「オヤジに、読めなかったところの続きも探そうって言っといて」
『聞こえてるよ。頼むな』
聞こえてるって、と返すとテオが笑う。
この声は今、俺たちと同じパンの話をしている。あの記録のどこに、こんな時間が入っているのだろう。
*
建物へ戻ると、今度は道の図が入った箱の前を通り過ぎた。
午後、エマが別の試験から同じ番号を見つけた。
その先を辿ると、丸い囲みの中で点がつながる図が出てきた。次の図ではつながりが解け、点は矢印の先へ流れている。
『……全部は分からんが、やろうとしてる操作は見当がつくな』
「何をしてるんだ?」
『保存してる側のつながりをほどいて、同じ向きへ流してる』
ほどくだけの図へ戻ると、その下には反応を再現できたものと、できなかったものが両方あった。
『ほどいて終わりじゃ、また集まるんだろうな。その前に流す』
「剥がして、流す。クリーンみたいだな」
『動かし方だけならな。布の泥を落とすときも、間をほどいただろ』
レイナが図を覗き込む。
「できそうなの?」
「汚れを剥がして流すだけなら、試せると思う。でも、これで覚えてたことが消えるかは」
『数字だけじゃつかめん。しかも、身体の外へ取り出したものを使ってるからな』
流した先にも処理の名前があったが、それはおっさんにも分からないという。
全部読めば分かると思っていたのに、知らないものにも名前がついているだけだった。俺は首を回し、レイナの写す図を見た。
「試した人も、全部分かってたのかな」
『分からんから試してたんだろ。俺たちよりは知ってたはずだがな』
*
男性へ記録の写しを渡した頃には、窓から入る光が細くなっていた。
道具は給電台へ残し、最後に駅の北の図と今の地図を並べてもらう。昔の分岐は畑になっていたが、その先の川の曲がり方は、北へ向かう街道沿いと似ているらしい。
サディウスの文字は見つからなかった。それでも次に聞く場所はできた。
丘を下りながら、レイナが袋の上から帳面を押さえる。
「明日は道と馬車を聞いて、そのあとは休まない? 着いてから、ずっと調べてたし」
「賛成。今日、足より尻が痛え」
テオが腰を叩いた。出発は三日後にできるか聞いてみようと決めると、俺も昨日通った屋台を思い出す。
『おい。今、いい匂いがしたぞ』
「俺も思った」
坂の下で串に刺した肉を焼いていた。テオと四人分を買い、包みをレイナに持ってもらう。
「……おっさん、宿まで待てる?」
『先に言っとくが、今見てたのはお前だからな』
確かに。一つくらい今食ってもいいかと考えていた。
俺はレイナの横へ戻り、もう少し速く歩こうかと話しかけた。
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