第5話 二人の居場所
向こうが俺を見ている間、レイナはあっちにいる。
「俺がこっち向かせる。横から風、当てられるか」
「やってみる。ずれたら無理しないで下がって」
風を押し出す魔法は練習で木の的へ何度も当てた。ものを吹き飛ばせるほど強くはないが、ぶつければ押す力はある。
俺はレイナの前を塞がない位置で盾を構える。
今度は剣を振らずに待つ。
ウサギの前脚が止まり、後ろ脚が体の下へ引きつけられた。
「今」
レイナの声とともに右から風が吹く。
ウサギの毛が逆立つ。踏み出しかけた前脚が横へずれ、体が斜めに傾いた。
すぐに踏ん張ったが、俺へ向かう動きはそこで一度止まる。
あいつは真正面からぶつかってこない。
今なら届く。
俺は一歩踏み込み、首の付け根へ剣を振った。
練習の木とは違う感触が手に返ってきた。途中で腕が止まりそうになる。それでも握りを離さず、体を回して刃を振り抜いた。
ウサギが横へ倒れた。
俺もつられて前へ出かけたが、足を止める。動かなくなるまで近づくな。それは見ていたときに何度も聞いた。
剣を構え直す。レイナも少し離れたまま止まる。
草を蹴る脚の動きが小さくなり、やがて動かなくなる。
俺はまだ剣を下ろせなかった。
*
「そこまででいい」
ハロルドさんの声がして、ようやく肩が動いた。
前へ出たハロルドさんが魔物を確かめ、周りを見渡した。
「倒せたな。怪我はないか」
「ないです。盾に当たっただけで」
「私もありません」
「魔素酔いは?」
「平気です」
レイナは答えてから俺を見た。俺も頷く。
剣を下げた途端、腕が重くなってきた。左腕にはまだぶつかられた感触が残っている。盾の傷を見てから自分の脚を確かめた。
噛まれていない。
レイナも無事だ。
「……倒したな」
「うん」
レイナが草の上へ目を向ける。つられて見る。さっきまでこちらを睨んでいた魔物が、もう動かない。
自分で斬ったのだと思うと、手に残った感触が急にはっきりした。少し気持ちが悪い。それでも、二人で立っていられることが嬉しい。
「最初、駄目かと思った」
「私も。剣が外れたとき、見てるこっちがひやっとした」
「言ってくれたから下がれた。ありがとう」
「ちゃんと下がってくれたからよかった」
レイナの声がいつもの調子に戻っていた。俺もようやく息を長く吐けた。
「風、ちゃんと当たったよな」
「当たった。あそこで足、ずれたの見えた?」
「あれで止まったから踏み込めた」
「よかった。コータに当てないようにするので精いっぱいだったんだ」
話しているうちにレイナが笑う。俺も釣られて笑い、それからようやく剣の汚れへ目を向ける。
刃を拭ってから魔法できれいにして、教わったとおり鞘へ戻す。ハロルドさんはそれを見届けてから口を開いた。
「何がうまくいかなかった」
「最初、相手が飛びかかる前に振りました」
「外したあとに、慌てて追わなかったのがよかった。次も失敗したら立て直せ」
褒められたと分かるまでに少し間があった。
腕も脚もまだ落ち着かない。けれど、腹の奥にあった重さが少しずつ違うものに変わっている。
「……もう一匹くらい、いけますかね」
口に出してから、自分でも調子に乗ったと思った。
ハロルドさんは俺の手を見た。
「まず水を飲め。話はそれからだ。二人ともまだ手が震えてるぞ」
言われてみれば、空いた右手の指が少し震えている。レイナも自分の手を見て苦笑した。
「ほんとだ。座っていいですか」
「いいぞ。初めてならそんなもんだ」
俺たちは少し離れたところに腰を下ろす。
水を飲んで息を整えると、盾を持っていた腕のだるさが気になり始めた。手の震えは収まってきたが、さっきと同じように受け止められるかと思うと自信がない。
もう一匹倒してみたい。でも、次も勝てる気がするのは、今勝ったばかりだからかもしれなかった。
「……今日はここまでにしませんか」
レイナがこちらを見た。
「腕、思ったより疲れてる。もう一回やるなら、ちゃんと休んでからにしたい」
「うん。私も今日はもう限界」
二人でハロルドさんを見る。
「そうするか。帰る分の体力も残ってるか?」
「はい。歩くのは平気です」
*
町へ戻る道で、レイナがもう一度あの風の話を始めた。俺も最初に剣を外したところから話してしまい、二人で同じ場面を何度も振り返る。
「でも、これで次は最初から風を当てれば」
「向こうが違う動きをしたら、また考えないと」
「ああ、そっか」
「今日だって最初に考えてたのと違ったし」
言いながら、レイナは得意そうだった。俺も口元が緩むのを抑えられない。
少し前を歩くハロルドさんが振り返る。
「その話は町に着いてからもできるぞ。周りをよく見て歩け」
二人で返事をして、道の脇の茂みへ目を向ける。町へ着くまではまだ外だ。話の続きが口をつきそうになるのをこらえ、見通しの悪いところでは足を緩めた。
門が見えてきたとき、俺は腰の剣へ手を添えた。
初めてあのウサギに追われたときは、レイナと一緒に逃げることしかできなかった。今日は怖くても前に立ち、剣を振るえた。
レイナに助けてもらった場面もある。一人で何とかできるほど強くなったわけじゃない。
それでも、俺もできることが一つ増えたのだと思う。
隣で笑っているのを見て、明日の練習が楽しみになった。
*
初めて魔物を倒してからも、仕事の大半は薬草採りだ。
剣の練習をすると、あのとき外した一振りを思い出す。今度は待とうとしすぎて、ハロルドさんの木剣で肩を叩かれることもあった。
分かったつもりになるのと、実際にできるのはずいぶん違うと実感する。
その日は外へ出ず、午前中の練習を終えた俺たちはギルドの奥で本を開いていた。
帰り方を知っていそうな転移者には、まだ会えていない。せめて何か調べるものはないかと聞くと、各地の町や街道について書かれた本を貸してもらえた。背は何度も縫い直され、紙の厚さも揃っていない。
地図の字は読めるが、知らない地名ばかりだ。
「リンダム、ここだって」
レイナが紙の端を押さえる。指先のそばに小さな丸と町の名前があった。
「思ったより端っこだな」
「この地図の真ん中に住んでる人が書いたんじゃない?」
「ああ、それもそうか」
隣の町に転移者がいるのか、帰る方法を聞ける場所があるのか。そこまでは書いていない。まずはこの辺りを覚えよう。見慣れた町の名前から線を辿る。
レイナが道中の宿について書かれた箇所を見つけ、メモを取り始める。宿の名前だけでなく、食事のことまで書き込んでいた。
レイナは昔から旅行に行くとなると徹底的に調べるんだよな。
「ここ、ご飯がおいしいって」
「じゃあ、そこも書いといて」
「もう書いたよ」
俺も横から覗き込み、その宿がある町を地図で確かめる。それから、もう一冊借りていた魔法の本を手元へ寄せた。
教わった火の起こし方から読み進め、途中の図で手が止まる。
人の手から伸びた線が離れた場所にある太い木を横切っていた。図の下には、風を刃のように放って対象を切断する、とある。
「これ、風の魔法だって」
「私がやってるのと同じ?」
「同じ風ではあるみたいだけど。押すんじゃなくて切るらしい」
レイナが身を寄せて覗き込む。魔素を集め、薄くまとめて放つらしいが、自分の手から刃が飛ぶところは想像しづらい。
さらに読み進めると、十分な許容量を持つ者が扱うこと、と注意書きがあった。俺はそこも含めて、メモ帳の空いているところへ写す。
「それ、やってみるの?」
「先にハロルドさんに聞く。勝手にやるには怖い」
「だね。私も今の風が刃になったら、ちゃんと狙える気しない」
木の幹に引かれた線へ目を戻す。あれだけのものを切れるなら、剣で近づけない相手にも届く。
いつか使えるようにはなりたい。
*
「そいつはまだ早い」
夕方、ギルドへ戻ってきたハロルドさんにメモを見せると、すぐに言われた。
「魔素が足りませんか」
「今のお前らが普段使ってる量じゃ足りん。無理に集めれば、放つ前に酔って倒れるぞ」
「少なくして練習するのも駄目ですか」
「薄くまとめたまま飛ばすのが難しいんだ。そこを覚えるのに何度も使うことになる。まず今教えてるやつを、狙ったところへ毎回当てられるようにしろ」
昨日も動かない的で外したばかりだ。俺はメモ帳を閉じた。
「分かりました。これは後にします」
「そうしとけ。今日はもう飯にするぞ」
いつもの宿へ向かうつもりで立ち上がると、ハロルドさんが違う通りを指す。
「うちで食ってけ。かみさんに二人連れてくるって言ってある」
「え、いいんですか」
「二人で初めて倒したんだ。飯くらい食わせてやる」
レイナと顔を見合わせた。誘ってもらえるとは思っていなかったが、断る理由もない。
「何か買っていった方がいいですか」
「いらん。腹だけ空かせて来い」
そう言われたので、俺たちは素直についていく。
*
ハロルドさんの家は大通りから二本入ったところにあった。
扉を開けると、炒めた玉ねぎのような匂いが鼻をくすぐる。奥から出てきた女性が俺たちを見て微笑む。
「いらっしゃい。聞いてるよ。さあ、入って」
「お邪魔します」
レイナと声を揃えると、ハロルドさんが壁の鉤へ外套を掛け、剣も外して置く。その隣には買い物籠が下がっている。
「かみさんのマルタだ」
「いつもお世話になってます。コータです」
「レイナです」
「こちらこそ。この人、帰ってくると二人の話ばっかりでね」
ハロルドさんは口をとがらせた。
「そんなにしてねえだろ」
俺たちとは目を合わせずに椅子を引く。その横から皿を運んできた若い女性が口を挟んだ。俺たちより少し年下に見える。
「昨日も剣を振るのが早いって言ってたよ」
「……それ、たぶん俺です」
思わず答えると彼女は知ってると笑った。
「娘のエマです。よろしく。お父さんが人に教えてるところ、ちょっと見てみたいな」
「見に来るほどのもんじゃねえよ。ほら、座ってもらえ」
家でも俺たちの失敗が報告されていたらしい。レイナが隣で笑いをこらえているが、風を的から外した話も聞いていると言われて口を閉じた。
テーブルには肉と野菜の煮込み、大きなパン、それに焼いた芋が並ぶ。俺たちの分の椅子を詰めると、五人でちょうどいっぱいになる。
「いっぱい食べてね。外で働くとお腹すくでしょう」
マルタさんに勧められ、煮込みをひと口食べる。肉は匙で押すとほぐれた。汁を吸った芋も柔らかい。
「おいしいです」
「よかった。おかわりもあるから」
隣でレイナも頷いている。宿の飯も悪くはないが、大きな鍋をみんなで囲んでいると、ついもう少し食べたくなってくる。
「魔物、二人で倒したんだって?」
エマに聞かれ、俺は匙を置いて答える。
「一匹だけだけどね。レイナが横から風を当ててくれたんだ」
エマは自分のコップを魔物に見立て、父親の立っていたところを聞いた。
「お父さんは手を出さなかったの?」
「出す前に片づいたからな」
ハロルドさんはパンをちぎって答えた。その言い方が何だか嬉しくて、俺もつい続きを話してしまった。
エマは相槌を打ちながら聞いていたが、ハロルドさんが器へ煮込みを足すと、魔物に見立てていたコップを手元へ戻した。
「エマさんも冒険者なんですか?」
レイナが尋ねると、彼女は首を振る。
「私は近くのお店の手伝い。計算を教わってるところ」
「こいつは町の中で働きゃいい。わざわざ危ないところへ出なくても食っていけるんだからな」
ハロルドさんが言うと、エマはパンを割りながら肩をすくめた。
「お父さんに勧められて行ったんだけどね。今はお釣りも任せてもらってるよ」
「それ、すぐ計算できるの?」
「よく売れるものなら。まとめて買われると、ちょっと待ってもらうけど」
レイナは買い物のとき、硬貨を数え直してしまうと話す。俺もまだ同じだ。エマに値段をいくつか挙げられ、二人で考えている間にハロルドさんが先に答えた。
「こういうのは間違えると飯が減るからな」
「お父さん、昔それで損したんだって」
「余計なところまで教えんでいい」
笑っていたマルタさんが鍋を寄せた。ハロルドさんの器にも、まだ十分入っているのに肉を一つ足す。
「人の心配もいいけど、自分もいつまで外に出るつもりなの」
「そろそろ減らすさ。エマも働き始めたしな。嫁に行くようになりゃ、あとは二人の分で済む」
「私、そんな話してないけど」
「そろそろって話だよ」
エマは呆れた顔で母親を見る。マルタさんも「まだ気が早いよ」と笑っている。
「引退、考えてるんですか」
「蓄えも多少はある。大きな稼ぎを追わんでも、これからは何とかなるだろ。お前らみたいなのに基礎を教えながら、近場の仕事をするくらいでいい」
「私が小さい頃から言ってるよ、それ」
エマがすかさず言った。
「帰ってくるたびに、こんな仕事辞めてやるって」
「雨に降られて帰った日に言うことまで覚えてるんじゃねえよ」
「靴下に穴が開いた日も言ってた」
俺は笑いながらハロルドさんを見る。外で後ろ姿を追っているときには、こんなふうに言い返されるところを想像したことがなかった。
それでも俺たちが皿を空にすると、まだ食えるかと聞いてくるところはいつもと変わらない。
*
帰る頃には腹がすっかり重くなっていた。
食器を運ぶのを手伝うと、マルタさんが残ったパンを包んでくれた。遠慮しかけたが、明日の朝に食べればいいと言われて受け取る。
「また来てね。次はもう少しお店の話もしたいし」
「うん。計算の続きも教えて」
レイナがエマへ返事をする。俺も礼を言って靴を履く。
「明日の練習、お願いします」
「腹いっぱいで動けませんって言うなよ」
「朝までには何とかします」
ハロルドさんに笑われながら家を出た。
宿へ向かう道で、レイナが包みを抱え直す。
「食べすぎた」
「俺も。芋、もう一個やめとけばよかった」
「あれおいしかったよね」
書き写したメモは俺の袋に入っている。帰る方法は見つからなかったし、読みたい本もまだ残っている。明日も仕事と練習がある。
「今度行くときは、何か持ってこうな」
「うん。おいしいもの探しとこ」
ここへ来てから初めて、仕事や訓練以外の楽しみが予定に加わった。
お読みいただき、ありがとうございます。
本編は全143話、完結まで執筆・校正済みです。
本日は第10話まで、10分おきに公開します。
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