第4話 二人で一匹
ギルドに入ると、奥のテーブルにいたハロルドさんが手を上げた。
俺たちが近づくと、依頼書を広げて見せてくれる。
「薬草の採取を受けておいた。今日はこの三種類を覚えてもらう。どれもよく依頼が出るやつだ」
「いきなり三つも見分けられますかね」
「実物を見ながら教える。一つずつ覚えりゃいい」
水袋は満たしたし、昨日の夜は魔法も使わずに休んだ。脚の筋肉痛も引いている。ハロルドさんに具合を聞かれ、二人とも大丈夫だと答えて町を出た。
*
門から離れるにつれて、道の脇の草が気になり始めた。風で揺れただけでも目が行ってしまう。
「何かいたか?」
「いえ。最初に来た日に追いかけられたのを思い出して」
長い耳の魔物に追われ、狼のようなやつがそれを食い始めた隙に逃げたと話した。ハロルドさんに聞かれ、灰褐色の毛と、こっちを見ていた黄色っぽい目も伝える。
「アッシュウルフだろうな。この辺にいるが、あまり人を襲わん」
隣からレイナが顔を向ける。
「お腹いっぱいなのかと思ってました」
「獲物があったのもあるだろうが、人を襲うと面倒だって覚えてるんだ。人間の方が仲間を集めて追いかけてくるからな」
俺たちには呼ぶ相手もいなかったが、そんなことまでは知らなかったわけだ。
「油断はするなよ。追い詰めたり、仔に近づいたりすりゃ襲ってくる。腹を減らしていれば分からんしな」
ハロルドさんは俺たちを見て、短く笑った。
「運がよかったな」
まったくだ。レイナと顔を見合わせ、今度は二人とも素直に頷いた。
*
林の縁で、ハロルドさんが二本の草を並べる。細い葉も赤っぽい茎も、俺には同じに見えた。
「こっちは裏が白いだろ。こいつは違う」
「あ、ほんとだ」
レイナが隣の葉も裏返し、俺も触ってみる。並べてもらうと違いが分かった。
「茎が赤いだけじゃ駄目なんですね」
「似た草はいくらでもある。分からんのを混ぜるなよ。薬にするもんだからな」
この草は根を残し、育ったものだけ採る。小さい株まで抜くと、次に来たとき採れなくなる。
一本採って見せ、これでいいと言われてから袋へ入れた。
「これ、全部確認してから採るんですか」
「慣れれば早くなる。今日は間違えん方が大事だ」
レイナはメモ帳へ葉の形を描いた。俺も横から覗き、一本ずつ確かめて袋へ入れていく。教わった三種類は生える場所も使う部分も違い、最後の一つは道具で根を掘り出した。
袋が膨らんでくると、草を探すのが面白くなる。
「あっちにもありそう」
レイナの指した方へ立ち上がりかけたとき、肩を押さえられた。
「待て。二人ともオレの後ろへ」
ハロルドさんは草ではなく、その奥の茂みを見ている。長い耳が二本、葉の間から突き出していた。
あのウサギだ。
まだ飛びかかってもいないのに足が下がる。レイナと二人で後ろへ回ると、ハロルドさんは剣を抜いた。
動かない。
こっちはもう逃げたいのに、剣を構えたまま待っている。
ウサギの後ろ脚が縮む。地面を蹴って体が浮いたとき、ハロルドさんが横へ一歩ずれた。刃が首の脇を通り、灰色の体が草の上へ落ちる。
剣を振ったのは一度だけ。
ハロルドさんはすぐには近づかず、動きが止まるのを待つ。周囲を見渡してから、俺たちへ顔を向けた。
「怪我は?」
「ない、です」
「私も」
レイナの声も上ずっている。俺は息を止めていたことに気づき、ようやく吐いた。
「……すごいですね」
防具の帯を直してくれた手が、今は剣を握っている。
「動きを知ってりゃな。だが、今のを見て簡単だとは思うなよ」
動きは見えた。けれど、あの体が迫ってくるのを落ち着いて待てる気はしない。
「見つけたらまず知らせろ。勝手に近づくな。今日の仕事は採取だ」
頷くと、ハロルドさんは刃を拭ってから魔法できれいにして、剣を鞘へ戻した。
*
場所を変えても、しばらく茂みばかり見てしまった。土を掘る手が止まるたび、ハロルドさんが周りを見ているのを確かめる。
「コータ、こっちも見て」
草へ伸ばした手をレイナに止められた。彼女が葉を返すと、裏は白かった。
「あぶね。ありがとう」
「私もさっき間違えかけた」
確かめ直す分時間はかかったが、袋はちゃんと重くなった。
昼には手の汚れを魔法で落としてから飯を食った。あの黄色い包みは、今日は開けずに済んだ。
町へ戻り、採ってきたものが全部買い取られると、俺たちは朝と同じ卓へ座った。
ハロルドさんが報酬を分けてくれる。二人の宿と食事を払っても少し残る。
「……これなら、明日も泊まれるな」
「うん。時計のお金、使わずに済むね」
財布へ硬貨を入れた指に、土が残っている。今はすぐに落とすのが惜しかった。
「明日も来いよ。忘れんうちに、もう一度やっとけ」
「はい。あの、剣の練習もお願いできますか」
あんなふうに前へ立ってみたい。俺たちが逃げずに済んだのは、ハロルドさんがいてくれたからだ。
「まずは振り方からだな。明日も体の具合を見てからだぞ」
頷いて立つと、腰の鞘が腿に当たった。
*
初めて薬草を採りに行ってから、一か月ほどが過ぎた。
宿代を払うとき、財布の残りであと何日泊まれるかを数えなくなった。採取の稼ぎで二人分の食事と部屋代を賄える日が増え、時計を売った金にもあまり手をつけずに済んでいる。今朝も昨日の報酬から硬貨を出し、いつもの席でレイナと朝飯を食べてきた。
ギルドへ入ると、受付の女性が顔を上げて挨拶してくれる。依頼の紙を読んでいる人たちの中にも見覚えのある顔が増えた。俺たちが奥のテーブルへ向かうと、ハロルドさんは手元の紙から目を離した。
「今日も具合はいいか」
「はい」
「私も大丈夫です」
採取に出て生活費を稼ぎ、空いた時間に武器と魔法を教わる。そんな毎日だ。最初は手に馴染まなかった剣も、鞘ごと椅子に引っかけずに座れるくらいにはなっている。
ただ、まだ何が自分に向いているのかは分からない。剣が少し扱えるようになったと思えば、別の道具を試してそちらの方が楽に感じる日もある。レイナも似たようなもので、二人ともあれこれ試しているところだった。
「今日はお前らで一匹やってみるか」
ハロルドさんの言葉に、俺もレイナも顔を上げた。
町の外では何度か魔物に出くわしたが、倒したのはいつもハロルドさんだ。俺たちは離れて見ているか、ただ言われた場所へ下がるだけで済んでいた。
ウサギが血を流して動かなくなるところも、この一か月で見慣れてきていた。
いつかは自分たちで戦うことになる。それは分かっていても、今日も戦わずに済んだとこっそりほっとしていた。
「俺たち、二人で、ですか」
「ああ。相手はあの耳の長いやつだ。場所と相手はオレが見る。無理だと思ったら手を出すが、そうなる前に二人で倒してみろ」
レイナと顔を見合わせる。練習はしてきた。昨日も木の剣で相手をしてもらったし、狙ったところへ刃を運ぶ動きも繰り返した。
けれど、練習の相手は俺たちを噛まない。
「……俺、やります」
「私も」
声に出した途端、腹の奥が重くなった。
*
町を出てしばらく歩くと、ハロルドさんが草の少ない場所で足を止める。
少し先にあのウサギがいた。大きな体を丸め、草の根元へ鼻を押しつけている。ほかには見当たらない。
「足元を見とけ。穴も石も、下がる前に覚えておけよ」
草が薄いところを選んで立つ。数歩後ろには小さな石があり、右へ下がればぶつからない。剣を抜き、左腕につけた小さな盾を持ち直した。
盾は練習で使っていたものを借りてきた。剣だけで全部防ごうとするよりは安心できる。
レイナも剣を抜いた。俺の右斜め後ろに立ち、ウサギと足元を交互に見ている。
「俺が前でいいか」
「うん。近づきすぎないようにする」
「危なくなったら言ってくれ」
「そっちもね」
ハロルドさんは俺たちの少し後ろへ下がった。声をかければ届く距離だが、今までのように前へ出てはくれない。
レイナを見て、不安を押し殺す。
ウサギが顔を上げた。
長い耳がこちらを向き、のっそりと体を起こす。近づいてくるにつれて、草を噛んでいた前歯が見えた。
大きい。分かっていたのに、盾がひどく小さく感じられた。
剣を握る手に力が入る。
飛びかかる前には後ろ脚を引く。ハロルドさんが倒すところを何度か見て、そこだけは覚えていた。
ウサギの体が沈む。
来る。
俺はつられて剣を振る。
早すぎた。
刃が相手の鼻先を通り過ぎる。そのあとで体が前へ出てきた。慌てて盾を下げると、表面に爪の擦れる音がした。
腕へ重さがかかり、一歩下がる。剣は振り切ったまま。もう一度構える前に、ウサギの前脚が地面へ落ちた。
「コータ、下がって」
レイナの声で右へ足を運ぶ。背後の石を避け、剣を自分の前へ戻す。ウサギが体の向きを変える間に、もう一歩距離を取れた。
追いつかれはしなかった。
それでも心臓がうるさい。練習では当たっていたはずの剣が、今は空を切った。
「大丈夫?」
答えようと息を吸ったが、胸が詰まってうまく入ってこない。盾を握る指にも力が入りすぎている。相手から目を離さず、口から短く息を吐いた。もう一度吐いて、ようやく声が出る。
「うん。振るの早かった」
レイナは俺の横へ寄りすぎず、少し離れたところで剣を構え直した。
ウサギがそちらを見る。頭は動いたが、体を向け直そうと前脚を置き直している。あちらには行かない。
ようやく、相手の顔以外も目に入ってきた。
動きは見えている。早く倒そうとして、相手が来る前に手を出してしまったのだ。ハロルドさんはもっと待っていた。
それに、二人が同じ場所に固まったら、相手は正面だけ見ていればいい。
「レイナ、そのまま少し離れてて」
「分かった」
剣先を相手へ向けて立ち直すと、ウサギの鼻が俺へ戻った。体もゆっくりこちらへ向き直る。
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本編は全143話、完結まで執筆・校正済みです。
本日は第10話まで、10分おきに公開します。
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