第3話 魔法
持ち物をしまうと、ギルドの奥の物置へ連れていかれた。
棚には革の防具が積まれ、壁際には剣や槍が並んでいる。革の帯には何度も締めた跡があり、金具にも細かな傷が残っている。
「まずは軽いやつからだな」
ハロルドさんが下ろした一着を胸に当て、脇の帯を締めてくれる。
「息、吸ってみろ。腕も上げてみろよ」
言われたとおり動かすと、脇が引っ張られた。伝えると帯を緩め、肩の位置を直してくれる。もう一度腕を上げると、今度は平気だった。
「あの、これも買うんですか」
「最初の分はギルド持ちだ。転移者は魔法を覚えるとよく働くからな。ろくな装備も持たせずに潰すより、最初にこれくらい出す方が得なんだとさ」
時計を売った金が丸ごと消えるところを想像していた。俺は礼を言い、レイナが着け方を教わるのを隣で見ていた。
剣は短めのものを一本ずつ。腰へ下げると鞘が膝に当たり、ハロルドさんが帯を直してくれた。
「使ったことは」
「ないです」
「私も」
「そうか。抜くのは教えるときだけにしろ。自分の脚を切ってもつまらんからな」
レイナが握りから手を離す。
「二人とも剣を使うんですか?」
「今は試すだけだ。ほかに合うものがあれば替えりゃいい。何も持たずに外へ出すわけにもいかんからな」
水袋と荷物を入れる袋も受け取り、物置を出て少し歩く。ハロルドさんは俺たちを見て、鞘も防具もずれていないのを確かめた。
「よし。そんなもんだろ」
歩くたびに腰の剣が揺れる。昨日は自分が走るので精いっぱいだったが、これの使い方を覚えたら少しは違うはずだ。
「じゃあ、行きますか」
出入口へ向きかけた俺の肩に、武骨な手が置かれた。
「どこへ」
「外……ですけど」
「お前、今も脚が痛いだろ」
「歩けますよ」
「さっきから膝が曲がるたびに脚をかばってるぞ。歩けるのと、何かあったときに動けるのは別だ」
隣を見ると、レイナはもう椅子を探している。相変わらずの要領の良さだ。
「私、今日は座って教わりたいです」
「そうしろ。コータもだ」
剣を下げてみたところで筋肉痛まで治るわけじゃない。俺は大人しく引き返した。
*
その日は水や食料の持ち方、帰る予定の伝え方を教わった。魔憑き人と呼ばれる人たちがいて、出会ったら戦わずに逃げろとも。
道に迷っても二人で別々に探しに行くなと言われ、レイナと顔を見合わせる。それはやってしまいそうだった。
ハロルドさんはときどき質問し、答えに詰まると手元の道具で説明してくれる。レイナのメモ帳に、覚えることが増えていく。
ひと区切りついてメモ帳を閉じたところで、卓に刻まれた溝が気になった。大きさの違う三つの四角が線でつながっている。
「この線、何ですか」
「モリス。遊びに使うんだ。知らんか?」
「知らないです。どうやるんですか」
ハロルドさんが棚から駒の箱を持ってきた。
「同じ色を三つ並べたら、相手の駒を一つ取れる。まずは交互に置いてみろ」
白い駒を受け取り、教わりながら一局やってみる。
あと一つで並びそうなところは塞いだ。ところが、そこへ置いた次には、別の場所で三つ揃えられる。そちらを気にすると、今度は最初に塞いだ方が危ない。
気づけば俺の駒ばかり減っていた。
「これで終わりだな」
「……もう一回いいですか」
ハロルドさんが笑う。
「小銭を賭ける奴もいるが、今のお前はやめとけよ」
「今ので分かりました。次はもう少しいけます」
レイナが横で笑った。
「それ、負けたときによく言うよね」
そんなことねえよ、と言いかけて飲み込んだ。白い駒を集めると、ハロルドさんも自分の分を手元へ戻す。
次は置くところから考えよう。
帰り際、ハロルドさんが声をかけてくれた。
「魔法は明日教える。今日は帰ったら脚を休ませとけ」
早く使ってみたい。宿へ帰ったら、今日は言われたとおり寝ておこう。
*
次の朝は、階段の手すりにしがみつかずに済んだ。レイナも似たような歩き方で宿から出てくる。
ギルドで待っていたハロルドさんは俺たちを一度歩かせ、裏手へ連れていった。端に薪が積まれ、簡単なかまどがある。
今日は魔法だ。まだ重い足が軽くなるのを感じた。
「魔法を教える前に、一つ話しとく」
腰の剣を外して座ると、ハロルドさんも向かいへ腰を下ろした。
「魔素が体に合わん奴がいる。そういう奴が魔法を使うと、死ぬこともある」
昨日から浮かれていた気持ちが引っ込む。
「……死ぬんですか」
「ああ。転移者は使える奴が多いが、百人いたら何人かは合わん」
「それ、受付では聞かなかったです」
レイナの声も硬い。
「大抵は使えるから、わざわざ言わん奴もいる」
「でも、死ぬことがあるんですよね」
「ある。だからオレは先に話す」
ハロルドさんはごまかさずに頷いた。
「教えるのを引き受けた以上、知らんまま使わせたくはない。嫌なら今日はやめていい。魔法を使わん仕事もある」
「使う前に分かる方法は?」
「確実なのはオレも知らん。最初は少しずつ試す。変だと思ったらすぐ止めて言え。ただ、それで必ず助かるとは約束できん」
レイナと顔を見合わせる。彼女もすぐには頷かなかった。
「少し考えてもいいですか」
「もちろんだ」
ハロルドさんは立ち上がり、離れた薪のそばで待ってくれる。急かされずに済んで、ようやく息が吐けた。
「どうする?」
「怖いけど、使えるなら覚えたい」
レイナが手を握ったり開いたりする。
「いつも誰かが助けてくれるとは限らないし。自分でも何とかできるようになっときたい」
あの草原でレイナが走れなくなっていたら、どうしていただろう。腰に剣を下げただけでは、俺も何も変わらない。
「俺も覚えたい。少しずつ教わろう」
呼び戻したハロルドさんに、二人とも教わりたいと伝えた。
*
「魔法に使うのが魔素だ。そこらじゅうにある。それを体に取り込んで使う」
ハロルドさんは地面の土を指先ですくい、手の甲へこすりつけた。
「クリーン」
土がさらさらと剥がれ落ちる。水も使わず、指の間まできれいになった。
「まずは自分の手をきれいにできるようになれ」
便利だ。便利なのは分かるが、昨夜想像していた魔法は、もう少し光ったり飛んだりしていた。
顔に出たのか、ハロルドさんが笑う。
「もっと派手なのがよかったか」
「いや、大事なのは分かるんですけど」
「オレは昔、泥まみれの手で干し肉を食って腹を壊した。帰るにも立つたびに腹が痛くてな。あれは参ったぞ」
町まで歩いて帰らなければならない場所でそれは困る。
「泥のついた剣をそのまま鞘に戻して、抜けんようにしたこともある。要るときに引っかかるんだ」
「それは嫌ですね」
「だろ。だから先にこっちだ」
俺も手の甲へ土をこすりつけ、手を開いた。
周りの魔素を取り込む。見えもしないものをどうしろと言うのか。
ハロルドさんが呼吸の間を取ってくれる。合わせて何度か繰り返すと、胸のあたりがじんわり温かくなってきた。
「……何か、温かいです」
「その感じを覚えとけ。今はそれ以上取り込まんでいい」
気分は悪くないか。胸は苦しくないか。聞かれるたびに自分の体を確かめて答える。隣のレイナも同じ感覚を掴めたらしく、手のひらを見つめていた。
教わった感覚を手へ寄せ、土のついたところへ意識を向ける。
「クリーン」
土が少し動いた。
「……残ってますね」
「汚れを落とすところまで考えろ。言葉だけ真似しても駄目だ」
もう一度試す。土が肌から離れるところを思い浮かべると、今度は指先までさらさらと落ちた。手を裏返して眺める。爪の脇にも残っていない。
レイナは俺より先にできていた。自分の手を眺めたあと、袖口へ目を向ける。
「服も同じやり方ですか」
「そうだ。一度に広くやろうとせず、その汚れだけな」
レイナが袖へ指を添える。草原でついた汚れが剥がれ、見慣れた服の色が戻った。
「おお……」
声が漏れたのは俺の方だった。光も音もないが、これは確かに魔法だ。
*
少し休んで具合を確かめたあと、かまどの前へ移った。
ハロルドさんが人差し指を立てる。その先で、小さな火が揺れた。
「次は火だ。指先に小さく出してみろ」
俺も指先へ意識を集める。ライターくらいの火を思い浮かべると、先端に炎がともった。
「ついた」
自分の指がこうなると、見ていたときより落ち着かない。振り回しそうになって手を止める。
「消すのは?」
「力を送るのをやめろ」
意識を緩めると火が消えた。もう一度ともして、消す。今度は慌てずにできた。
レイナも火を出せるようになり、順番に細い枝へ火をつけた。かまどへ入れると、ほかの薪も燃え始める。ハロルドさんが載せた鍋から干し肉の匂いがしてきた。
「やっぱり火が出ると魔法って感じするね」
「な。もう一回やってみたくなる」
レイナが笑い、きれいになった袖口をこちらへ向けた。
「でも、こっちもすごくない? 洗濯しなくてよくなるかも」
「干す手間もなくなるな」
「それ最高じゃん。帰ったら服もやってみようよ」
頷きかけたところで、ハロルドさんが器を並べながら口を挟む。
「使い道を考えるのはいいが、頼りすぎるなよ。使える奴にも限度がある」
俺たちは顔を上げた。
「魔法を使えば体に魔素の毒が溜まる。頭が重い、吐きそうだと思ったら、そこでやめろ」
「休めば戻るんですか」
「酒みたいなもんだ。普通に使った分なら翌日にはほとんど抜ける。だが、我慢して取り込みすぎると魔憑きになることがある」
昨日、逃げろと言われた相手だ。俺は火を出していた指を見た。
「自分も、そうなるんですか」
「なるか死ぬ。だから、酔うまで練習すりゃ早く覚えるなんて思うなよ」
今日はここまでだと言われ、俺たちは温めた汁を飲んだ。自分の火で作ったと思うとうまい。
「明日は採取に行くぞ。水袋と、昨日の食い物も忘れるな」
「分かりました」
空いた器も魔法で洗えるだろうかと考えてから、水桶へ手を伸ばした。
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本日は第10話まで、10分おきに公開します。
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