第46話 旅の続き
「こっち、下りる!」
リンデさんが弓を戻し、岩の後ろへ飛び降りた。鎧獣の頭が上がり、爪が岩肌を掻く。
俺は岩へ向かう鎧獣の横腹へ剣を出す。
腹には届く。
だが、触れる前にそいつが身を低くした。背中を覆う厚い板が腹の脇まで下がり、剣先が弾かれる。そいつは俺へ顔を向けず、岩の横へ回ろうとする。
リンデさんを追わせたくない。もう一歩近づこうとして、低い胴が沈むのが見えた。
『また横だ!』
飛び退く。肩の板が今度は盾の先だけを掠めた。
低い姿勢からでも来るのか。伏せたら止まると思っていたら、潰される。
「後ろ、もらう!」
テオの大剣が音を立てた。
伸びた後ろ脚の内側へ刃が入る。鎧獣が短く鳴き、体ごとテオへ向き直った。テオは剣を引き、飛び退く。
飛び退いたあとでその場所を矢が通った。
エマが二本目をつがえている。鎧獣は鼻先を引っ込め、また腹を地面へ落とした。テオが肩で息をして、エマへ手を上げる。
俺も盾を構え直す。
リンデさんが俺の後ろにいるレイナのそばへ戻ってきた。無事だ。だが、右の岩際にはエマがいる。そっちへ走られたら、テオだけでは止めきれない。
来た道は後ろに空いている。まだ皆動けているし、戻れる。テオの刃も通っていた。
一人でも動けなくなったら、皆で逃げられるか分からない。
「テオ、右に行かせたくない」
「分かってる。こっち向いたら、また頼む」
テオが鎧獣とエマの間へ回る。鎧獣の注意もそちらへ向く。
俺は反対から近づいたが、小手を出す前に足を止めた。地面に丸い石が重なっている。ここで踏ん張れば、靴の下の石が動く。
「レイナ、もうちょい後ろの平たいところでいい?」
「分かった、そこなら滑らないと思う」
俺の後ろでリンデさんが弓を引く。テオが剣を前へ出すと、鎧獣はテオへ体を起こす。
俺の後ろから矢が飛ぶ。
脚へ向かっていたはずの一本がまた下がってきた背中の板に当たり、乾いた音を立てた。
「効いてない。来るよ」
リンデさんが言い終わる前に、そいつはテオへ飛びついた。
テオが横へ退く。鎧獣が追って二歩目を出そうとした足元へ、レイナの風が当たった。重い胴までは動かなかったが、着いたばかりの爪が滑る。
俺は剣を突き出す。
首の脇を傷つけると、鎧獣が俺を向く。盾へぶつかってくる口を外へ流し、さっきレイナに示した平たい岩まで下がる。
もう左腕が重い。
倒せるなら腹でもどこでも刺したい。皮の値段を気にしている余裕はとっくになくなっていた。
「リンデさん、こっち向けます。横からお願いします」
返事の代わりに彼女の足音が左の岩際へ離れていく。
右のテオと目を合わせる。俺が受けて、あいつが斬る。そっちへ向き直ったところを、リンデさんに射てもらいたい。
俺が下がればまた皆を追わせる。ここで一度、相手の方を動かしたい。
*
鎧獣が顎を下げた。
口へ剣先を向け、盾をその横へ出す。
前脚が伸びた。
来た。一拍待って合わせる。
盾へ鼻先が当たる。腕が押され、片膝が曲がった。俺は口を左へ逸らし、足だけはその場に残す。
テオの刃が横へ入る。
鎧獣は腹を落としたが、今度は止まりきらなかった。前へ乗せた重さが残り、板と板の間が開いている。そこへ短い音を立てて大剣が入り、すぐに抜ける。
痛みに向き直る頭を見ながら、俺は盾を戻す。
テオが剣を構えたまま沢の奥へ一歩ずれる。俺の盾の先が空いた。あいつがいた方へなら押し出せる。
「コータ、今!」
鎧獣が右の前脚を踏み出しかけている。その足まで全部ついてしまえば、また押せなくなる。
「足、頼む!」
「いいよ!」
盾を胴へ当て、留めを外した。
肘の後ろから力が来る。
背中の帯が張り、靴底が岩を捉える。肩だけを前へ持っていかれないよう、体ごと踏み出す。
押せた。
倒れるほどではない。だが、伸びていた前脚が着こうとしたところを越えた。胴が傾き、浮いた前脚の内側が開く。
そこへリンデさんの矢が刺さった。
鎧獣の前半分が落ちる。俺は肘をたたみ、盾を胸へ戻す。
「足、戻す!」
「解いた!」
一歩退く。
追ってきた顎が盾の下を擦った。もう一歩離れ、剣を前へ戻す。間に合った。
容器は空だ。
「右の脚、踏ん張ってる!」
エマの声で顔を上げる。
鎧獣は傷の浅い方の脚を突っ張り、まだ起き上がろうとしている。テオが沢の奥から俺のところへ戻ってきた。鎧獣の顔は俺たち二人の間へ向いたままで、どちらへ来るか分からない。ここで散って追われたくなかった。
「テオ、そのまま見てて」
言い終わる前にあいつが大剣の先を下げた。起き上がってくる顎の下へ届く高さだ。
鎧獣がそちらを見る。
右後ろではエマが弓を引いたまま待っていた。
「エマ、撃てる?」
「コータ、半歩だけ左!」
俺は盾を上げたままずれる。盾の右脇を矢が抜け、突っ張っていた脚へ刺さった。
「滑らせるよ!」
レイナの手がその足元へ向く。爪が岩を掻いた。
立とうとした胴が前へ滑り、顎が浮く。
今度は俺にも見えた。
リンデさんの矢がその下へ入る。ほとんど間を置かず、低い音を立てた大剣が同じところへ食い込んだ。
顔が地面へ落ちた。
それでも俺たちは近づかない。尾が土を擦り、後ろ脚が何度か動く。俺は空になった小手を重く感じながら、盾を下げずに待つ。
やがて板の隙間の毛も動かなくなった。
*
「……終わり?」
テオが聞く。
リンデさんが横から確かめ、「うん」と弓を下ろす。そこで初めて俺も腕を下げられた。
「押したあと、戻れたな」
テオに言われ、俺は肩を回す。
「うん。今度は」
「よかった。前みたいになったら、俺そっち行けなかったぞ」
あいつは笑ったが、まだ息が荒い。レイナももう魔法は使いたくないと地面へ座る。頭が重いわけではないと聞いて、安心して俺も隣へ腰を下ろした。
エマはリンデさんと使った矢を確かめている。最後の一本を見せると、リンデさんは「あそこから射ててよかったね」と言う。
「うん。コータさんにはどいてもらったけど」
「言えばどいてくれる人がいるんだから、言えばいいよ」
こっちは言ってくれなければ分からない。俺がそう返すと、エマは弓を持ったまま笑った。
容器の留めへ指を当てる。空だと分かっていても、確かめたくなった。
おっさんが言った。
『俺はもうやめてくれと思ってたよ』
「先に言ってくれよ」
小声で返すと、おっさんは言う暇があるかと言った。それもそうだ。
腹の皮は広く残っていた。リンデさんに示され、そこで初めて依頼の値段を思い出した。
*
三日後の朝、宿の鍵を返した。
狩りの金を分け、道具も手入れした。出発を話した晩から、ちょうど一週間だ。
テオが俺の袋を指す。
「何で膨らんでんだよ」
「小手。昨日より詰め方が雑だった」
「昨日は入ったのかよ」
詰め直すと収まった。冬の晩によく使ったモリスの駒も底へ入れてある。次の宿に卓がなければ、地面に描けばいい。
門までの道でリンデさんが待っていた。今日は見送ってから自分の仕事へ行くという。
「腕、平気?」
「はい。昨日も動かせました」
俺が答えると、彼女はエマの弓にも目を向ける。
「また来たら、一緒に行こう」
「うん。もっと当てられるようにしとく」
「それ、私もだからね」
リンデさんは自分の矢筒を叩く。
エマが笑ってから、もう一度礼を言う。俺たちも挨拶を済ませ、馬車へ荷物を載せてもらった。
窓から手を振ると、彼女も手を上げる。
出発してもエマはしばらくそちらを見ていた。リンデさんが弓を直して別の道へ歩いていくところまで俺にも見えた。
「またここに来ような」
テオが言うと、エマは「うん」と席へ座り直した。
山の斜面から町の屋根と湯気が見えた。
『あの豆のやつ、もう一回食いたかったな』
「冬まで待てないだろ」
隣のレイナが笑い、窓の外へ顔を向ける。俺も最後に風呂へ入っておいてよかったと思った。
*
フォルネを出て三日目に国境を越えた。
カードを見せて荷物を開く。テオの大剣を見た係の人に「剣なのか」と聞かれ、あいつは「剣として使っています」と答えた。剣だと言い切っていた頃を思い出し、俺は横を向いた。
向こう側でも道や畑は急には変わらない。宿のお釣りに知らない硬貨が混じって、ようやく別の国へ来た感じがした。
途中で馬車を乗り換え、川の増水で一日待った。紙に描いた盤でテオとモリスをしていると御者も加わり、俺が一番負けた。
おっさんの頃なら川には大きな橋があったという。
『その先で詰まって、動かなくなることはあったけどな』
「渋滞かよ」
『降りて飯を買いに行けないだけ、今よりつまらんぞ』
確かにそれならこっちでよかった。
十二日目の午後、丘の向こうに塔が見えた。その両側へ壁が伸び、門の外にも家や店が並んでいる。
「あれ、全部?」
エマが窓へ寄る。反対から覗こうとしたテオが俺の肩へ手をつく。
「壁、向こうまであるぞ」
「見てる。ちょっと重い」
手は離れたが、顔は近いままだ。俺も身を乗り出せば壁の終わりが見えそうな気がする。
門を通っても家並みは途切れず、二階、三階の窓が通りへ張り出している。荷車を寄せる男たちの間を籠を持った子供がすり抜ける。どこを見ればいいのか分からない。
馬車を降りて荷物を受け取ると、レイナが帳面から手紙を出す。
「まず宿を取ってからだね」
「うん。この場所も聞こう」
関さんが探しても帰り方は見つからなかった。この人に会えば帰れるとは思っていない。
それでも会って聞きたい。ここでどんなことを試してきたのか。今も何を探しているのか。
「コータさん、荷物は全部ある?」
エマの声に顔を上げる。テオはもう袋を背負っていた。
「ある。行こう」
レイナが手紙をしまうのを待って、俺たちは通りへ出た。
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