第45話 もう一仕事
小手を初めて狩りで使ってから、半年ほどが過ぎた。
宿の窓から入る風はまだ冷たいが、通りの雪はもうない。冬のあいだ戸の内側へしまわれていた籠が向かいの店先へ戻っている。
小手はもう出来上がっていた。革は腕に馴染み、留め具も指で探さずに外せる。仕事から帰ったあとも自分で盾を持って宿まで歩けるようになった。
小手が使えるようになった頃、一度レイナと出発の話をした。
「行けるとは思う。でも私、足元の魔法を、コータの動きに合わせて使えるようにしたい」
「俺も、押すとき以外はまだ邪魔なんだよな、これ」
もう少しここで仕事をしようと二人で決め、エマとテオも賛成した。赤腹トカゲの皮が安い日は採取や荷運びへ変える。四人の靴や防具を買い替え、それでも金が残る頃には山の道に雪が積もっていた。
リンダムへも一度帰った。馬車の往復に四十日ほど、家にいたのは数日だ。エマの弓を見たマルタさんは、外套の袖に縫いつけた紐も確かめてくれた。俺の小手には重さと肩のことを聞く。昼飯のあとも弓を出しかけたエマが、まず休みなさいと座らされていた。
見せたいことがあったのは俺だけではなかったらしい。
薄い服やすぐには使わないものは、そのときに預けてきた。
今夜はレイナと食堂の隅で旅費を数えている。
「これなら首都で仕事が見つからなくても、しばらく泊まれるね」
「途中で一回戻るくらいも大丈夫そうだな」
彼女が金額を書き留める。日本から持ってきたメモ帳は最後のページまで埋まった。新しい帳面は紙も綴じ方も丈夫なものを選び、ペンと合わせて四人の金から出した。安くはなかったが、あとで道や仕事の話を確かめたいときは皆あれを見せてもらっている。
「そろそろ行きたいと思ってるんだけど。レイナは?」
俺が聞くと、レイナは顔を上げた。
「私も」
「そっか。まだやりたいことがあるかと思ってた」
「じゃあ、聞いてよ」
「うん。今聞いた」
レイナが笑う。
「小手、もう直すところないんでしょ?」
「今はない。もうちょっと慣れたいところはあるけど、それ言い始めたらずっといる気がする」
「コータ、この前もそれ言ってたよ」
ここには仕事があって、飯もうまい。明日どうすれば暮らせるか分かる町を離れるのは、最初に思っていたほど簡単ではなかった。
レイナが帳面から関さんの手紙を出す。
「もう一年は経ってるんだよね。こっちの世界に来てから」
「そんなになるか」
日本でも同じだけ経っているのだろうか。親は今、どうしているんだろう。何も分からないまま、こちらでは冬が終わった。
「ここでやりたかったことは、できたね」
「うん。また次のところで増えるかもだけど」
レイナが笑い、手紙をしまう。俺も、明日は馬車の便を聞いてこようと答えた。
*
「もう、決めたの?」
翌朝、出発の話をするとエマは持ち上げたコップを戻した。
「行きたいって話したところ。日までは決めてないよ」
レイナが答える。エマは弓を立てかけた椅子の方を見た。
「そっか。次の狩りもリンデさんと行くと思ってた」
「何か約束してた?」
「ううん。でも、まだ教わりたいことがあって」
エマはもう初めの弓より強いものを使っている。それでも、リンデさんの弓を借りると腕が震えるという。
「俺もここの仕事がやっと面白くなってきたんだよな」
テオがパンをちぎりながら言った。
「前はずっと噛まれないようにしてたのにさ」
「今だって噛まれたくないけど」
「そういうことじゃなくて」
分かっている。今の俺たちなら、前には見ているだけだった依頼にも手が出せる。俺ももう一度やってみたい仕事はあった。
「でも、次の国も見たい。ずっとここにいたいってわけじゃないぞ」
テオが付け足す。俺も硬貨の入った袋を持ち直した。金が貯まって小手ができれば、そのまま皆で出られると思っていた。
「今日、馬車がいつ出るか聞いてこよう。それ見ながらまた話していい?」
エマに聞くと、彼女は分かったと答え、コップを取った。
*
ギルドでリンデさんに会った。
俺たちを見つけると「ちょうどよかった」と手にした紙を上げる。皮を買ってくれる店からの依頼だった。
「鎧獣、やってみない?」
名前を聞いてテオが先に紙を覗く。俺もそちらへ寄ったが、リンデさんはすぐには渡さなかった。
「赤腹より強いよ。背中の板はあの剣でも無理に切らない方がいい」
「どこなら通るんですか」
「脚の内側。あと、顎の下。伏せてるとどっちも隠れちゃうんだけど」
春になって山へ入った人が、仕事場へ続く道の近くで見つけたという。リンデさんも昨日居場所を確かめてきた。
「一人では行かないんですか」
「私を向いて伏せられたら、射つとこがないからね。横へ回ったって、向こうも回るし」
リンデさんは俺の左腕とテオの大剣を見た。
「あんたたちが動かしてくれれば、射てると思う。エマにも反対から見ててほしい」
エマが顔を上げた。弓を見てもらいに行くときとは違う顔をしている。
「倒せたら、皮の金は五人で分けよう。運ぶのも手伝ってね」
俺は紙を受け取った。値段も気になったが、書かれた大きさを見てもう一度最初から読む。
皮を傷めない方が高い。それは赤腹を狩って覚えた。だが、この相手と戦うときに、柔らかいところへ刃が届いても我慢できるだろうか。
「場所を見て、無理そうならやめてもいいですか」
「そりゃそうだよ。私もあの大きいのに狭いところで会いたくないし」
レイナが道を確かめる間、俺も紙から目を離せなかった。小手は一度使えば空になる。押せなかったときのことも考えておきたい。
「引き返せる場所を見てから、入ります」
リンデさんが頷いた。
『踏ん張ってる相手を、丸ごと押そうとするなよ』
おっさんの声に頷いた。今は足の置き方が悪ければ、押す前にやめる。
「俺は、行きたい」
テオが言った。エマも紙から顔を上げる。
「私も。リンデさんとこういう仕事してみたい」
三日後に行けるか尋ねると、リンデさんは大丈夫だと答えてくれた。レイナが帳面を開く。
「そのあと三日あれば道具も見直せるかな。この日の便はどう?」
ギルドへ来る前に聞いた馬車は、ちょうどその日に出る。
エマは日付を見てから俺を見る。
「うん。その日にしよう。次の町でも練習付き合ってね」
「もちろん。俺もするし」
「俺、的にはならねえぞ」
テオが言い、エマが笑った。
「なってなんて言ってないでしょ」
俺も行きたかった狩りだ。ただ二人を待つだけの一週間にはならないはずだ。
*
三日後、俺たちは乾いた沢の底へ下りていた。
両側に岩があるが、真ん中には荷車が二台並べそうな幅がある。来た方には大きな岩に挟まれた細い道が続いていた。鎧獣の胴は通らなくても、俺の小手やテオの剣なら引っかからずに戻れる。
沢の奥にそいつはいた。
頭から尻まで人の背丈ほどもある。ずんぐりした胴の上に厚い板が何枚も重なっている。隙間から黒い毛が出ていて、短い耳だけがこちらへ動く。
背中へ盾を何枚も重ねたみたいだ。
「脚、見えないね」
後ろでエマが言った。腹を地面へつけているせいで、爪の先しか見えない。
リンデさんが左の岩へ上がる。高すぎず、後ろへも下りられる場所だ。反対の岩の脇へ入ったエマとも目を合わせ、俺はテオと間を空けた。俺たちが動かしている間に、横から狙ってもらいたい。レイナは俺の左後ろへつく。
鎧獣が立った。
板の下から太い脚が出る。
「来るよ」
リンデさんの声と同時にそいつが地面を蹴った。
速い。
盾を斜めにし、顔の横へ当てながら足を引く。硬い鼻先が縁を擦り、左腕が外へ振られた。正面で受けていたら、足ごと持っていかれたと思う。
その間にテオが横へ出る。俺が受け終わるのを待ってはいない。
大剣が前脚の付け根へ向いた途端、鎧獣の腹が落ちた。刃は板の端へ当たり、鈍い音を立てる。テオは起動せずに引き戻す。
「閉じるの、早えな」
俺も剣を戻す。横へ入れたのに、さっき見えた脚がもう隠れている。板ばかりで、剣先を入れられない。
リンデさんの弓は引かれたままだ。鎧獣の耳がそちらへ向く。
顔が動くより先に、伏せた胴が横へ跳ねる。肩の板が俺の盾へぶつかってくる。
足がずれた。
そいつは俺を押しのけ、左の岩へ向きを変える。
リンデさんを見ている。
お読みいただき、ありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや☆からの評価をいただけるとうれしいです。
感想も楽しみにしています。




