第40話 道が開く
ギルドの入口でテオが足を止めた。
「コータ、これ」
貼られた紙を指している。街道の名前には覚えがあった。その下の文字を読み、俺はもう一度、上から読み直す。
通行規制を解除する、と書いてあった。
戻ってからまだ一週間だ。ひと月はかかると聞いて、宿を借り直したばかりだった。
近場の仕事をして、夜はマルタさんの家で飯を食う。約束の焼いた肉を気に入ったおっさんは、おかわりを何度も頼んでいた。あんなに喜ばれるなら作ろうかと、エマは母親から味つけを聞いていた。
今日もそんな一日になるつもりで来たのに、レイナはもうメモ帳を開いている。
受付へ行くと、報告を聞いてくれた女性が俺たちに気づいた。
「街道のことですか。今朝、解除の知らせを出したところです」
「あの男は倒されたんですか」
「はい。騎士団の方が対処してくださいました。周囲の確認も済んでいます」
俺は肩から袋を下ろした。
もう、あそこにはいない。
ひと月分の宿代をどうしようかとか、今ならどんな仕事があるかとか。そういうことばかり考えていたつもりなのに、それを聞いたら、まず息が抜けた。
「ずいぶん早かったんですね」
「ベルカで見つかった小型のドラゴンへ向かう途中、寄ってくださったんです。古い採掘場から横穴が見つかったそうで」
テオと顔を見合わせた。俺たちの入った穴ではないか。尋ねると、女性は届いた報告を確かめて頷く。俺たちが戻ったあとに別の調査が入り、奥で見つけたらしい。
見上げた岩の折れ口を思い出す。あれを折る背中が、あの暗い曲がり角から出てきたら。
「……見に行かなくてよかったな」
「うん。あそこ、走って戻るのも大変だったし」
テオがゆっくり息を吐いた。
『明かり落としたら、それだけで終わりだったな』
おっさんの言葉で足元の欠片まで思い出す。後ろから何かが来る中で、あの道を戻れる気はしなかった。
エマが受付の女性へ尋ねる。
「採掘場の人たちは大丈夫ですか」
「人が襲われたという知らせは来ていません。近くの作業を止めたことも、報告にあります」
よかった、とエマが言った。俺も外まで案内してくれた人の顔を思い出す。あの人も奥にいるものが分からないまま、仕事場に残っていたのだ。
「その人、魔憑きも倒してから行ったんですか」
テオに尋ねられ、女性はええ、と答えた。
「国でも指折りの方ですから。案内の兵が助勢する間もなく、お一人で」
剣へ手を伸ばすこともできなかった相手を、一人で倒してまだ次へ向かうのか。
会ってみたかったが、その人はもうベルカへ向かったという。テオも残念そうに口を閉じた。
*
「あの男には食べ物を渡せましたけど、ほかの魔憑きにも、ああいうことができるんでしょうか」
レイナに聞かれ、女性は首を振った。
「今回は気をそらせただけかもしれません。魔憑きには等級があって、意識がはっきりしているものほど高くなります」
「あの男と違って、話が通じるんですか」
「ええ。あの力を考えて使い、こちらが何をしようとしているかも見ています」
食べ物を地面へ置いて、その脇を通った。あのとき男は俺たちの足元を見ていなかった。
食べながら、こっちの逃げ道まで考えていたら。
テオが大剣の肩紐を握り直す。
「あんなに食い物しか見てなくても、俺、怖かったんだけどな」
「低い等級なら弱い、という話ではないので。実際に対応できる方は限られます」
俺は袋の口へ手を置いた。閉じているのを確かめてから、そんなことをしても仕方ないと思う。
会ったら逃げろ。最初に教わったときより、難しいことを言われていたのだと分かる。それでも今は、ほかに選びたい方法はなかった。
礼を言って受付を離れ、俺たちは食料を買い直すことにした。
*
その日のうちに干し肉と果物を買い、翌朝には新しいパンも袋へ詰めた。前に置いてきた分と同じくらいの重さに戻った袋を持つ。
今度は自分たちで食べたい。
マルタさんの家の前で合流した。母親と手を握って離したエマに続き、俺たちも行ってきますと挨拶する。
門を出る手前で、レイナが言った。
「まだ、ちょっと怖いね」
「うん」
俺はレイナと並んで門を出た。
*
二日目の昼前、見覚えのある曲がり角に差しかかった。
前から荷車が来る。俺たちは端へ寄り、車輪が通り過ぎるのを待った。御者が会釈をしていき、その向こうに日当たりのいい道端が見える。
あそこで袋を開いた。
草の上には何もなかった。布も、パンも、人もいない。林から枝の擦れる音がして、俺はそちらを見る。
「ここでは休まないで行こう」
レイナが言った。エマは水袋をしまい、テオも大剣を肩へ掛け直す。
「腹、まだ減ってないしな」
普段なら昼が近づくと真っ先に言い出すテオが、先へ足を出した。
俺も続いた。木の間を見てから前へ戻す。その道を抜けるまで、おっさんも何も言わなかった。
昼飯を食べたのは、木々が途切れ、畑を見渡せるところまで出てからだった。
*
三日目の夕方、次の町へ着いた。
乗合馬車は翌朝の便に四人とも乗れた。乗り継いでも、湯の町まではここから二十日ほどかかるらしい。
「乗れるようになったな、俺たち」
「毎回は無理だけどな」
「でも、今回は乗れる」
そう言ったテオも、二日目には座席の板の硬さに文句を言っていた。
「俺の方、ずっと板の継ぎ目なんだよ」
「じゃあ、次は代わるよ。たぶん、どっちも同じだから」
代わってみたら、本当に同じだった。レイナに笑われながら畳んだ布を敷くと、最初からそうすればよかったと思うくらいにはましになる。
途中の町では次の便を二日待った。宿で服を洗い、また荷を詰める。尻に敷く布だけは出しやすいところへ入れるようになった。
終わりの数日は山が近づき、朝は外套の前を合わせた。エマは温かい乳を気に入り、次の宿でも頼めるか聞いていた。
リンダムを出て、二十四日目の午後。
窓の外を見ていたエマが、あれ、と前を指す。
「煙が出てる」
山の斜面に白いものが上がっていた。雲にしては低い。近づくにつれ、岩の間から細く立ち上っているところがいくつも見えた。
御者に聞くと、湯気だと教えてくれる。
「山の湯を引いてるんだ。町でも入れるよ」
テオが俺の肩越しに覗き込んだ。
「あそこにもある。そんなに湯が出るのか」
『着いたら風呂だな』
おっさんの声に俺も尻の位置を直しながら賛成した。
門をくぐると、道沿いの溝を湯が流れていた。店先から金属を打つ音が聞こえ、軒下には鍋や刃物が吊るされている。その隣では大きな桶から白い湯気が上がっていた。
腰の剣が座席の端へ当たる。
そろそろ、自分に合うものを探してみたい。店先の剣を目で追っていると、テオも同じ方を見ていた。
「あとで来ようぜ」
「うん。まず宿だな」
馬車が止まり、地面へ降りる。足を伸ばしてから荷物を受け取ると、レイナが宿の場所を御者に聞いていた。エマはその隣から、風呂にも入れるかと尋ねている。
揚げ物の匂いがした。
通りの向かいで男が串を油から引き上げていた。丸いものが三つずつ刺さっている。衣の端から見えるのは肉だろうか。
『コータ、あれ』
「風呂が先じゃなかったのかよ」
『風呂に行くまでに歩き食いできるぞ』
テオが俺の向いている方を見た。
「あ、うまそう。見つけたのオヤジか?」
「食おうって言ったのはおっさんだけど、見つけたのは俺だよ」
「じゃあ、二人とも食いたいんだな」
レイナも振り返る。俺たちの顔を見てから店へ目を移し、エマと笑った。
「私たちのも買ってきて。宿、聞いておくから」
財布を出す。風呂も剣も気になるが、まずは四本だ。
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