第39話 初デート(おっさん視点)
おっさん視点です。
「お母さん。ただいま」
開いた扉の向こうでマルタの手が止まった。
エマの顔を見て、その後ろにいる連中へ目を移す。コータが何か言うより先に、娘の腕へ手を伸ばした。
「どうしたの。何かあった?」
「途中で引き返してきたの。怪我はしてないよ。みんなも」
家へ入ると、四人は荷物を下ろし、街道であったことを話す。食べ物を置いて逃れたこと。帰りに会った冒険者に助けてもらったこと。しばらく道を通れないこと。
マルタは話の途中で何度もエマを見た。娘が自分のすぐそばに座っていても、そうせずにはいられんのだろう。
「……帰ってこられて、よかった」
話が終わると、それだけ言った。エマが母親の手へ自分の手を重ねる。
「それと、話しておきたいことがあって」
コータがマルタへ言い、次に声を落とした。
「おっさん、話していいか」
そっちはまだだったな。
『ああ。構わんよ』
マルタが、誰のことかとコータを見る。
「実は、俺の頭の中に、別の人がいるんです。声が聞こえて、話もできて」
「……頭の中に?」
そりゃ、そういう顔にもなるか。俺だって初めに聞かされたら、もう一度説明しろと言う。
レイナがコータの目覚めた日のことを添え、エマはいつもどんな話をしているか教えてくれた。テオは剣の使い方も教わったと口を挟む。
「お医者さんには話したの?」
「はい。でも、どうしてこうなったのかは分からなくて」
コータは膝に置いた手を見下ろした。
「昨日も、俺が途中で動けなくなったときに、声をかけてくれたんです。それで、歩けて」
マルタはしばらく黙っていた。今でも俺たち自身、説明できないことだらけだ。
「その人にはこっちの話も聞こえてるんだね」
「はい。今も」
「じゃあ、ありがとうって伝えてくれる?」
コータの口から返事が出る前に、俺は口を挟んだ。
『こちらこそ。いつも飯をご馳走になってるのに、挨拶もせずにすみません』
そこでコータが笑った。こっちは真面目に挨拶してるんだぞ。
『おい。ちゃんと伝えろよ』
「分かってる。おっさんが、いつもご飯をご馳走になってますって」
「ご飯も?」
「味も分かるんです。いつもおいしいって言ってます」
マルタは俺のいるあたりを探すように、コータの顔を見た。
「そう。じゃあ、今日も食べていって。今から支度するから」
いつもコータたちに言っていたのと同じ調子だった。
『……ありがとうございます』
今度は笑わずに伝えてくれた。
*
四人が夕飯の支度を手伝っているうちに、窓の外が暗くなった。
コータがパンを切り、隣でエマが器を並べる。俺は煮込みの鍋の蓋が開くたび、そっちを見ろと言いたくなった。だが、包丁を持ったやつをよそ見させるのはまずい。もう少し待てば食える。
席について最初のひと口が入ってきたときも、いつもどおり、うまいと思った。
それから、あの男の口を思い出した。
まだ食べ物が詰まっているのに、次を押し込んでいた。土のついた欠片まで拾って、食べないと死ぬと言っていた。
『なあ、コータ』
「うん?」
『俺、飯のことばっかり言ってるよな』
「今さら?」
すぐに返された。まあ、否定されるとは思ってなかったが。
『昨日のやつを見てな。ああいうのも、初めは食いたいだけだったのかと思うと……俺は大丈夫なのかって、ちょっと気になった』
コータの匙が止まる。
「おっさんは俺たちに『いけ』って言ってくれたろ」
あのときのことか。
「食べ物、全部置いてきたのに、取りに戻れとも言わなかったし」
『そりゃ、そんなことさせられるかよ』
「うん。俺たちのこともちゃんと考えてくれるだろ」
何の話かとレイナに聞かれ、コータが俺の心配を伝える。彼女はパンをちぎる手を止めた。
「コータがお腹いっぱいって言ったら、待ってくれるよね。次の日にしようって」
エマも言葉を添える。
「この前も、私が疲れたって言ったら、店へ寄るのはまたにしようって」
そんなことまで覚えてたのか。俺には当たり前のことなんだがな。
「食い意地は張ってると思うけどな」
テオが肉を頬張りながら言った。
『お前にだけは言われたくねえよ』
コータがそれを伝えると、テオは、そりゃそうかと笑った。
俺もつい笑う。
何がどうなっているのかは相変わらず分からん。それでも、こいつらに話してみてよかった。
止まっていた匙がまた動く。今度は肉と一緒に汁が入ってきた。
『……やっぱり、うまいな』
「そうだな」
*
食事が進むと、コータが俺の昔の飯について聞き始めた。
「おっさんの頃にもこういうのあったんだよな。肉を煮たり、焼いたり」
『あったぞ。ソースを残したくなくて、パンを追加した店もあったな』
「それ、俺もやると思う」
『一緒にいた女には笑われたけどな。まだ食うのかって』
「おっさんの恋人?」
コータが言い直したせいで、全員がこっちを向いた。そこまで意外か、おい。
「どんな人だったの?」
レイナに尋ねられ、俺はあいつの顔を思い浮かべた。
『俺より十くらい下でな。よく喋るやつだった。あっちから、休みにどこか行こうって言ってきたんだ』
コータが伝えると、テオが卓へ身を乗り出す。
「へえ、オヤジが誘ったんじゃねえの?」
『悪かったな』
コータが笑いながら悪かったなとテオへ伝えた。こいつ、俺をからかうときは、やけに丁寧に伝えやがる。
まあ、いいか。そのくらいの話なら、いくらでもしてやる。
*
「今度の休み、一緒に出かけない?」
最初にそう聞かれたとき、俺は仕事の予定を確かめようとした。その日は仕事かもしれんと答えたら、じゃあその次は、と返ってくる。
「そんなに急がなくても、店は逃げないだろ」
「店に行きたいだけじゃないんだけど」
手が止まった。いつもなら返事をしないうちに次の話を始めるくせに、あいつは待っている。
「……二人で?」
「うん。二人で」
「次の休みなら、空いてる」
「じゃあ、そこ。ちゃんと空けておいてね」
仕事で埋めるな、ということらしい。
さっき二人でと答えた顔が、後まで頭に残った。
*
当日は早く着きすぎた。
遅れるのはまずいと思っただけだ。早すぎたことは、着いてから時計を見て知った。
休みの日は、こんなに人がいたんだな。仕事の帰りに通る頃には閉まっている店も、今日は入口を開けていた。
通りを眺めながら待っていると、見慣れない薄い色の上着を着た彼女が来る。
「服、変じゃない?」
「変じゃない。似合ってる」
これはすぐに言えた。考える必要もなかったからな。
並んで歩き出すと、普段会うときより、腕が近かった。
店へ入ると、どうも調子が違った。
何から喋ればいいか分からず、料理ばかり見ていたら、彼女に皿を取り上げられた。
「こっちも食べるでしょ。私にもお肉ちょうだい」
俺は肉、彼女は魚。両方食えるよう違うものを頼んだのに、自分の皿ばかり抱えていた。
魚の白いソースには酸味があり、肉のソースとは違ううまさだった。何が入ってるんだと言い合っているうちに、ようやくいつものように喋れた気がする。
先に籠のパンがなくなった。
「追加していいか」
「まだ食べるの?」
「このまま下げられるの、もったいないだろ」
皿を示すと、彼女は一度腹を押さえ、それから店員を呼んだ。
「パン、もう一つお願いします」
「一つでいいのか」
「半分もらう」
何だ。お前も食いたいんじゃねえか。
届いたパンを割って渡すと、彼女は俺の皿へ手を伸ばした。
「こっち、まだ残ってる」
「俺も食うぞ」
「分かってるって」
こういう飯は、悪くないなと思った。
店を出てからも、すぐには帰りたくなかった。彼女も同じらしく、もう一軒だけと俺の袖を引く。
その途中で飾りを売る店を見つけた。
何か一つ、贈りたくなった。わざわざ誘ってくれて、今日はこんなに楽しい。それを言えばよかったんだろうが、その場ではものを渡す方が簡単な気がした。
今なら、逆だと言うかもしれん。
「何見てるの?」
「ちょっとな」
隣から覗かれ、俺は店の人に一つ出してもらった。
細い鎖の先に小さな銀のハートがついていた。
*
「待て待て待て」
話している途中で、コータが遮った。
「おっさんもハート選んでるじゃねえか!」
ああ、やっぱりそこか。
テオが声を上げて笑う。エマも口元を押さえていた。レイナの胸には例の飾りが見える。
「ダサいんじゃないのかよ!」
『ダサいぞ。それはダサい。でも気持ちが大事だろ』
「それ、俺が言われたかったやつじゃん」
『だから、やめろとは言わなかっただろうが』
コータはしばらく黙って、それから俺の返事まで皆へ伝えた。テオがまた笑い、マルタまでつられている。
しょうがねえだろ。選んでるときには、いいと思ったんだよ。
*
「これ、どうだ」
「私に?」
聞き返されると急に落ち着かなくなる。
「いらなきゃ、別のでもいいんだが」
「いる。これがいい」
早かった。
包んでもらう前に、その場でつけたいと言われた。髪を持ち上げて後ろを向かれると、鎖を留めるだけでやけに手間取る。首に触れないようにすれば届かんし、顔を寄せるのも気になる。
「できた?」
「ああ」
鏡を見てから、彼女が振り返った。
「ありがとう。嬉しい」
よかった、と言いそうになった。代わりに似合ってると伝えると、また笑った。
店を出ると彼女が手を繋いできた。何を言っても余計になりそうで、握り返すだけにした。
さっきまで二人の間にあった隙間がなくなり、歩くたびに腕が触れる。
その手を繋いだまま帰りの乗り場へ向かう。もう外は暗かった。
「今日、楽しかった?」
「楽しかったよ。あの店もうまかった」
「じゃあ、また行こうね」
「ああ。誘ってくれ」
繋いでいた手を引かれた。
「次は誘ってよ!」
振り向くと、彼女は口を尖らせていた。
「デートに誘うのも、私ばっかり?」
「……そうだな。悪かった」
「行きたいところ、ないの?」
「あるよ」
仕事帰りに気になっても、そのまま通り過ぎていた店がいくつかあった。一人ならわざわざ休みを使って行く気にはならなかったが、こいつとならどうだろう。
「じゃあ、そこに連れてって」
彼女はそう言い、俺の手を引いて歩き出した。
次の休みにやりたいことがもう決まっていた。
*
「恋人さん、嬉しかったと思うな」
俺の話を伝え終えたコータに、レイナが言った。エマと顔を見合わせ、優しく笑っている。
帰るまで外さなかった。歩くたびに銀色が揺れていた。あの顔を、よく覚えている。
それにしても、鎖を留めるのに手間取ったことまで喋るんじゃなかったな。
「オヤジも結構緊張してたんだな」
テオに笑われ、俺はコータへ文句を言った。
『おい。お前が途中でからかうから、話が長くなったぞ』
「俺のせいかよ。手を繋いだ話まで始めたのおっさんだろ」
そこはそうだが。
コータの声が笑っている。エマからも、聞けてよかったと声がかかった。
昔の話を、こんな大勢に喋るつもりはなかった。それも、他人の口を借りてな。
コータは話しかけてきたやつへ、その都度顔を向けてくれた。おかげで、笑っている顔も、続きを待っている顔も、ちゃんと見えた。
「その人、明日は何か食べたいものがある?」
マルタの声で、今度はそちらへ景色が動く。
「しばらく町にいるんでしょう。買い物に行くから、何かあれば」
俺に聞いてるのか。
『肉を焼いたのが食いたいです。こう、外側を香ばしくして』
コータが伝えると、マルタは使う肉を考えるように、台所の方を見た。
「じゃあ、明日はそれにしようか。エマ、買い物つきあって」
「うん。私も作りたい」
テオが自分の分も頼み、レイナは明日もお世話になりますと頭を下げる。コータも礼を言ってから、声を落とした。
「よかったな、おっさん」
『ああ』
勝手に店へ入ることも、自分の手で飯を食うこともできん。
それでも、明日の食いたいものを聞いてくれる人がいて、食わせてくれるこいつもいる。今のところ、なかなか悪くない。
『明日は腹を空かせて来いよ』
「俺、まだ今日の食べてるんだけど」
分かってるよ。俺も食ってるんだからな。
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