第38話 魔憑き
「あります。食べ物なら、ここに」
自分の声が、思ったより普通に出た。
男は俺の袋を指したまま、道を横切ってくる。さっきまでいた場所の向こうがリンダムへ戻る道だ。その脇を抜けなければ帰れない。
「置くので、待ってください」
袋の口からパンを取り出し、包んでいた布ごと地面へ置く。残った荷物を持ち上げて一歩下がったが、男の足は止まらない。
「みんなも食べ物を出して」
レイナが自分の袋を下ろす。エマも水袋を腰へ掛け直し、荷物から干した果物の包みを取り出した。
大剣を肩へ掛けたテオが大きなパンを持って男の方へ足を出しかける。
「そこに置いて。近づかないで」
レイナの声でテオは足を止めた。自分の前へ屈み、布ごとパンを置く。
男が手を伸ばした。
まだテオの指が離れきっていない。彼はすぐに手を引き、そのまま後ろへ下がる。男の爪が布を引っかき、載せたパンが転がった。
拾い上げると、両手で口へ押しつける。最初から持っていた包みは足元へ落ちたままだった。
「そっちにもある」
男がエマを見る。
彼女は持っていた包みを足元へ置き、袋を抱えて後ろへ下がった。男はそれにも手を伸ばしたが、果物は握っただけで、先に口のパンを押し込んでいた。
噛む音がする。
俺は袋へ手を戻した。食べ物は取り出しやすいよう、上の方へまとめてある。干し肉の包みまで出すと、下には着替えが見えた。取り出したものを自分の前へ置き、もう一歩下がる。
「俺のはこれで全部」
「私も」
レイナも食べ物を置いて袋を持ち上げる。エマは中を確かめ、口を閉じた。
残っていた干し肉を出したテオが袋を閉じた。男は地面へしゃがみ込み、散らばった食べ物を手繰り寄せている。
「四人で何日か食べる分です。一人なら、一週間くらいは食べられます」
男の顔へ話しかけた。
「甘いのもあります。ここにあるものは全部、食べていいから」
男は答えない。干し肉を引っ張り出し、パンの欠片がついたままの口で端を噛んだ。
こっちの話を聞いているのかも分からない。それでも俺は言葉を続ける。
「ほかに食べ物は持ってません。俺たちは町へ戻ります。そこを通りますよ」
残った荷物を肩へ掛ける。
顔を上げると、反対の道端には短い草が生えていた。
『あっちなら、離れて通れるな』
そこへ寄れば、男から離れたまま来た方へ戻れそうだ。
俺はレイナと目を合わせ、そちらへ顔を向ける。彼女がエマの背へ手を添え、歩き始めた。テオも俺の隣へ来る。
男の前を避け、大きく回る。
足元を見たい。けれど、あの手がこっちへ伸びてくるところを見落としたくなかった。靴の裏で小石が動き、思わず膝に力が入る。
男が地面へ顔を近づけた。
こぼれた欠片を、一つずつ拾っている。
食うから。
抜くから。
みんな持っていくから。
林で聞いた声が、耳の奥へ戻ってきた。
土のついた根を握っていた手も、あのときは足元へ伸びていた。このまま通れると思った。そのすぐあとに、鉈が上がった。
俺の足が止まる。
今、立ち上がるんじゃないか。
男が拾ったものを口へ運ぶ。その腕が動いただけで、俺は肩を固くした。先へ出ていたレイナが振り向く。
『いけ』
頭の中で声がした。
俺は足を出した。草を踏み、テオの隣へ戻る。レイナも前を向き、エマと一緒に道へ上がった。
あと数歩。
男は食べている。
通り過ぎても、こちらを見なかった。
*
曲がり角を越えたところで、歩く速さを上げた。
誰も喋らない。背中へ追いついてくる足音がないか、聞き分けようとしていた。俺たちの靴音が重なるたび、一度振り返らずにはいられない。
道がもう一度曲がり、木々の間が開けてきた。
「来てない」
後ろを見たテオが言った。俺も顔を向ける。葉が揺れているだけで、人影はない。
レイナが俺の顔を覗く。
「コータ、大丈夫?」
「うん。歩ける」
答えてから、息を吐く。いつの間にか、袋の紐を強く握っていた。
『そのまま行こう。まだ近い』
おっさんの声を聞きながら、紐から指を離した。
「……ありがとな」
『おう』
前を向く。今朝出た宿まで戻ろう。あそこからこれからこちらへ来る人もいるはずだ。
*
向こうから三人の冒険者が歩いてきたのは、道の両側が畑に変わってからだった。
先頭の男性は長い槍を持ち、後ろの二人も荷物と武器を背負っている。俺は手を上げ、声をかけた。
「この先、魔憑きらしき男がいます」
三人の足が止まる。
「どこで見た」
「木が増えるところを入って、道が二度曲がった先です。俺たちが休んでいたら、林から出てきて」
男の髪と服、食べ物を持ちながら、ないと繰り返していたことを話す。槍を持った男性は俺の説明を遮らずに聞き、後ろの二人へ目を向けた。
「戦ったのか」
「いえ。食料を置いて、食べてる間に離れました。追っては来てないと思います」
「怪我は?」
四人ともないと答えると、男性は今度は俺たちの背後を見た。
「確かめに行く?」
弓を持った女性に聞かれ、男性は首を振った。
「この人数で近づいてもな。宿と町へ知らせよう。あんたたちもリンダムへ戻るんだろ。一緒に行こう」
俺たちも三人のそばへついた。
人数が増えただけで、後ろを気にする回数が減る。槍を持った男性が道の先を見て、弓の女性はときどき振り返っていた。
「食料、全部置いてきたのか」
歩きながら聞かれ、俺は頷いた。
「持ってないと言いたかったので。あとは、宿まで行けば買えるかと思って」
「そりゃ腹減るだろ。昼は食った?」
「これからでした」
男性が後ろの仲間へ声をかけると、道の見渡せるところでいったん足を止めた。三人は荷物を下ろし、パンと干し肉を出してくれる。
「俺らもまだなんだ。歩きながら食おう」
差し出されたパンへ手を伸ばしかけ、腰の財布を見る。
「お金、払います」
「いいよ。そのくらい。知らせてもらわなきゃ、俺らもそっちへ行ってたんだから」
押しつけるように渡され、俺は受け取った。隣でレイナも礼を言い、エマの分を渡している。
男性たちが荷物を背負い直し、俺たちも歩き出した。
「俺らが逃げてきたときは、よろしくな」
「……はい」
テオが返事をして、パンを両手で割った。いつもならすぐに大きな方へ齧りつくのに、今日はしばらく手の中を見ている。
「ちゃんと腹が減ってるんだよな。さっき、あんなだったのに」
「俺も」
口へ入れてみると、食べられた。水で流し込む必要もなく、飲み込むと次の一口が欲しくなる。
エマは干し肉を噛みながら、隣のレイナに何か話していた。レイナが自分の水袋を出し、栓を抜いて飲む。その間も弓の女性は食べながら道へ目を向けている。
俺もパンを持ったまま、来た方を見た。
まだ、誰も来ない。
*
昨日の宿へ戻って知らせると、御者が出そうとしていた荷車を中庭へ戻していった。
その晩は同じ宿に泊まり、翌朝、冒険者たちと一緒にリンダムへ向かった。
町が見えたのは午後だった。
門の兵士たちは出発する荷車を止め始めた。
ギルドの受付の女性は俺たちに気づくと、挨拶しかけた口を止めた。四人で地図に場所を示し、同行した三人も聞き取りに加わった。
「確認と討伐を手配します。解除の知らせがあるまでは、この街道を通らないでください」
受付の女性が記録を奥の職員へ渡した。
「どれくらいかかりそうですか」
俺が聞くと、女性は地図を見てから答えた。
「ひと月ほどは見ておいてください。対応できる人を集めて、こちらまで来てもらう必要があります。今すぐ、とはいかないので」
ひと月。
倒せる人を呼ぶだけで、それだけかかるのか。あの道には昨日も荷車が通り、俺たち以外にも歩いている人がいた。
「……分かりました」
レイナがメモ帳を閉じた。昨日まで見ていた先の宿の名前が隠れる。
聞き取りを終えると、女性は俺たちの顔を順に見た。
「戻ってきてくださって、よかったです」
俺は頷く。何か返そうとしたが、喉が詰まって、すぐには声が出なかった。
*
冒険者たちにもう一度礼を言い、ギルドの前で別れた。
エマは肩へ袋を掛け直して、マルタさんの家の方を見る。
「お母さんに、帰ってきたって言ってくる」
「俺たちも行くよ」
答えると、テオも、そうだなと隣へ並んだ。
エマとテオが歩き始める。俺もついていこうとしたところで、レイナが手を握ってきた。
顔を向けると、彼女は前を見ている。
俺も握り返し、二人の後ろを歩いた。
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