第37話 国境へ
リンダムへ帰ってから三日後の朝、エマが昼飯の包みを一つずつ渡してくれた。
「テオ、これがそっちの分」
「俺の、大きくない?」
「昨日のうちに、多めにって言ってたでしょ」
「言っとくもんだな」
『言っておけばよかった』
テオが嬉しそうに袋へ入れる。俺も自分の分を受け取り、潰れないように上へ載せた。今朝はエマも早くから起きて、マルタさんと支度をしてくれたらしい。
帰郷のあいだ、俺とテオは前の宿に泊まり、レイナはエマの家へ世話になっていた。
帰郷の翌日、元の職場へ土産を持っていったエマは、なかなか店から出てこなかった。待っている間にテオが向かいの道具屋を覗き始め、俺までついていって、今度は二人に探された。
預けていた薄い服を厚手のものに替え、関さんの紹介状も確かめた。次は隣国の首都だ。馬車の便が毎日あるわけではないので、まずは次の町まで歩き、そこで先の便を探すことにしている。
「忘れ物、ないね」
マルタさんに聞かれ、エマが袋の口を閉じる。
「うん。じゃあ、行ってきます」
「気をつけてね。レイナさんたちも」
「お世話になりました」
レイナと一緒に頭を下げると、テオも続いた。
「また、ご飯食べに来ます」
「あんたは、そこなんだね」
笑われながら玄関を出る。エマは扉のところで手を振り、俺たちのところへ駆けてきた。
*
門を出てから、いつもの採取へ向かう道とは違う方へ進む。
肩の袋は草を入れて帰ってくる日のものより重い。昼飯とは別に数日分の食料も四人で分けて持っている。空は晴れていたが、日陰へ入ると首元が冷えた。
「次の国って、どんなとこなんだろうな」
テオが隣へ来る。俺も道の先を見た。ここからでは畑と低い丘しか見えない。
「行ったことないのか」
「ないよ。だから楽しみなんだって」
「そりゃそうか」
レイナが、国境の手前には湯の出る町があると教えてくれた。昨日、道を聞いたときに一緒に聞いたらしい。
「温泉?」
「たぶん。入れるところがあるって。そこまで行くには、まだかかるけど」
「いいな。風呂、入りたい」
体を拭くだけで済ませる日が続くと、湯につかるところを想像しただけで肩まで緩む。
『それは寄ろう。俺も入りたい』
「おっさんの頃にもあったのか、そういうの」
『あったよ。湯に入るために泊まりに行くんだ』
「温泉旅行じゃん」
その言い方を聞いて、レイナも笑う。
「おじさんも行ってたの?」
『行ってた。着くまでが長くてな』
そう伝えると、テオが、今も長いぞと言った。俺も首の後ろを掻く。二万年前の旅行でも、そこは面倒だったらしい。
「エマは温泉って入ったことある?」
「ないよ。温泉のある町へ行くのも初めて」
「じゃあ、次はそれもだな」
エマが楽しみだねとレイナに話しかける。俺も着いたらまず湯に入ろうか、それとも飯かと考え始めていた。
*
その日は道沿いの宿に泊まり、翌朝も早く出た。
昼前には街道の両側に木が増えてきた。枝の間を抜ける風で葉が裏返り、地面へ落ちたものが靴の先へ寄ってくる。
今朝出た宿から次の宿まではまだある。レイナが日当たりのいい道端を見つけたので、そこで水を飲んだ。テオは大剣を下ろして肩を回し、エマも袋を置いて水袋の栓を抜く。
「昼もここで食べる?」
エマが聞くと、テオがすぐに賛成した。
「俺、腹減った」
『俺も』
「二人とも、朝あんなに食ったのに」
笑いながら袋を足元へ下ろし、紐を緩めた。俺も食べられる。パンを取り出しかけたところで、後ろから草を踏む音がした。
振り返ると、来た道の脇で枝が揺れていた。
木の間から、人が出てくる。
短い髪の男だった。上着の前が濡れ、顎にも何かついている。片手に持った布の包みを胸へ抱え、こちらを見たまま道へ降りてきた。
俺たちが通ってきた曲がり角と、今いる場所の間だ。
「人がいた」
男が言った。
テオが荷物のそばから声をかける。
「どうかしたんですか」
返事はない。男は包みの中へ手を入れ、何かを掴んで口へ押し込む。白いものが指の間からこぼれた。パンの欠片に見える。
噛む音がここまで聞こえた。
「腹が減った」
口を動かしながら、男はまた包みへ手を伸ばした。まだ飲み込んでいない。布の端も一緒に口へ入り、引き抜いたときに唇から赤い筋が垂れた。
俺は袋から手を出した。
男はこぼれた欠片を目で追い、しゃがんで拾う。土を払わず、口へ持っていく。その間も目だけが俺たちの袋を見ていた。
「ない。食べるものがない」
抱えている包みにはまだ何か入っている。
レイナが俺の隣へ寄った。横を見なくても、近づいたのが分かる。
男が立ち上がる。
「食べないと。食べないと死んじゃう」
さっきより大きな声だった。テオが何か言いかけると、レイナがその腕へ手を添える。
「待って」
テオは彼女を見て、口を閉じた。
エマも水袋の栓を閉め、置いていた荷物を持ち上げる。
魔憑きかもしれない。
確かめるために近づく気にはなれなかった。レイナが無言で頷く。テオも、剣へ手を伸ばそうとはしない。
『コータ。急に動くなよ』
袋を持ち上げようとした手を止める。
顎を動かすのをやめた男が俺の足元を指していた。
開いた袋からパンが見えている。
「食べ物」
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