第36話 ただいま
馬車から降りると、見覚えのある通りに足がついた。
ベルカを出て三日目の午後だ。御者から袋を受け取り、肩へ掛ける。座っているだけで着くのは楽だったが、腰を伸ばすと背中まで固まっていた。
「尻、痛え」
「途中から、ずっと座り直してたもんな」
「お前もだろ」
御者へ礼を言うと、エマが先に歩き出した。
「こっちだよ」
いつも隣か後ろにいることが多いので、迷わず角を曲がる背中を追うのは新鮮だ。
通りの先には最初に剣を持って歩いた頃と同じ店がある。店先の品物は変わっていても、宿へ戻る道もギルドへの近道も体が覚えている。
テオが脇の店へ顔を向けている間に、俺まで先へ行きかけて止まる。
「こっち。まずエマの家に寄ろう。明日、見て回るか」
「おう」
今度は俺が案内するのか。
*
「ただいま」
扉を開けたエマが中へ声をかけながら入る。
台所から出てきたマルタさんは、娘を見て足を止めた。それから早足で近づき、まだ袋を提げているエマの腕へ手を添える。
「おかえり。今日、帰ってきたの」
「うん。今着いたところ。馬車で帰ってきたんだよ」
「馬車?」
「ベルカから三日。歩いたときの半分だったの」
エマが嬉しそうに言う。マルタさんは外套についた埃を払ってから、俺たちにも顔を向けた。
「二人とも、おかえり。……こちらは?」
俺の後ろでテオが背筋を伸ばす。
こいつにも礼儀ってもんがあるのかと思い、笑いそうになってこらえる。
「テオドールです。ベルカで仲間に入れてもらって、一緒に来ました」
「テオって呼んでるの。今は四人で仕事してるんだよ」
エマが言い添えた。マルタさんは四人の顔を順に見てから、扉を大きく開けてくれる。
「そうだったの。さあ、荷物を下ろしな。そんなところに立ってないで」
テオは教わった場所へ大剣を立て掛け、エマは袋から包みを取り出した。
「これ、お土産。クルミが入ってるお菓子」
「まあ。買ってきてくれたの」
「お店にも買ったよ。明日、持っていこうと思って」
包みを開いたマルタさんが一つ手に取った。角まで崩れずに残っている。道中で何度か割れていないかとエマが確かめていたものだ。
マルタさんは端を割って口に入れ、お茶にも合いそうだねと笑った。エマも一つ取ろうとして、台所へ顔を向ける。
「お母さん、何か煮てる?」
「夕飯。あんたたちも食べていきなさい。一人でいると、多く作りすぎちゃって」
答える前に腹が鳴った。俺のではない。
隣のテオが腹へ手を当て、俺と目を合わせる。
「……いただきたいです」
マルタさんが声を上げて笑った。
*
エマが台所へ入り、レイナも器を出すのを手伝う。俺は壁際の椅子を一つ食卓へ運び、テオと並んで座ろうとして、こっちは狭いよとエマに言われた。
「テオ、そっちに座って。鍋をここへ置くから」
「ここ?」
向かいへ回ったテオが椅子を引く。
ハロルドさんが座っていた席だった。
そこへ腰を下ろしたテオは台所から運ばれてくる鍋を目で追っている。鍋敷きを置く場所を空け、パンの籠を受け取ると、自分の近くへ置きすぎてエマに真ん中へ戻された。
「取るなとは言ってないよ」
「分かってるって」
俺は笑いながら自分の器を寄せた。
煮込みには肉と芋が入っていた。匙で崩れるくらい柔らかく、汁もよく染みている。口へ入れると、これが食べたかったのだと分かった。
『うまいなあ』
おっさんも同じらしい。
『帰る前から、楽しみにしてたんだよ』
知ってるよ。俺もそうだったのだから。
「おいしいです。実は帰る前から楽しみにしてました」
俺が言うと、テオも口の中を飲み込んでから続いた。
「俺、もうちょっともらってもいいですか」
「まだあるよ。エマ、そっちのお皿も取って」
マルタさんがテオの分をよそう間、エマはベルカで食べたものや仕事の話をした。今は料理も待つばかりではないし、草を一本ずつレイナに見せずに採れる。
俺たちに説明を頼まなくても、話が続いていく。マルタさんはときどき尋ね、娘が答えるより先に分かったような顔をした。
「じゃあ、馬車代も自分で出せたんだね」
「うん。帰ってからの分もあるよ」
エマが財布へ手をやりかけると、見せなくていいよと笑われた。
*
「テオとはいつ一緒になったの」
マルタさんに聞かれ、エマが修理屋で会ったことを話した。次の日には新しく開いた洞窟へ入ったと聞き、母親の手が止まる。
「奥まで行ったの?」
「ううん。何か大きいのが通った跡があって、食われた魔物もいたから戻った」
そこでテオが、パンを器の縁へ置いた。
「俺、もうちょっと先まで見たかったんです。次の角を曲がれば、何がいるか分かるかもって」
俺も見たかった。あの暗い曲がり角は今でも思い出せる。
「コータも見たいって言うのに、帰ろうって言うから」
テオが俺を向いた。
「あんなに楽しそうだったのに、戻る方を選べるんだなって思ったんです。格好いいなって。それで、俺も仲間にしろよって言いました」
飯を食っているところで、そんな話をされると思わなかった。
「……もういいだろ、その話」
「何でだよ。一緒になった話、聞かれたんだから」
そうだけど。レイナまでこちらを見て笑っているので、俺は匙を持ち直す。
マルタさんにも見られ、何も足せずに汁を飲んだ。
「いい人たちと会えたんだね、テオくん」
マルタさんの声は静かだった。
「はい。俺もそう思います」
そこは照れもせずに答えてくる。
「俺たちだけだったら、その依頼も受けてなかったと思います。テオが誘ってくれたから、行けたんです」
「壁が光っててな。コータも石を持って帰りたそうだったし」
「調べてもらうために拾ったんだろ」
「それはそう。でも、きれいだったじゃん」
否定できないのが腹立たしい。
マルタさんが笑いながら鍋を寄せる。テオの空いた器へ肉を一つ入れ、俺にも、まだ食べるかと聞いてくれた。
「いただきます」
器を差し出すと、肉は俺の方にも一つ入った。
*
食後に焼き菓子を分けていると、マルタさんが、預かった荷物は奥にあるよと教えてくれた。
レイナが礼を言い、薄い服を置いて入れ替えたいと話す。ベルカの朝は、もうこちらより寒かった。
「しばらくはこっちにいるのかい」
「次の道を調べてから出ようと思ってます。今度は国を越えて、首都まで」
俺が言うと、マルタさんは持ちかけていた菓子を置いた。
「帰り方を知ってる人がいたの?」
「まだ分からないんです。帰り方を探している人を紹介してもらったので、まず会って話を聞こうと思ってます」
何か分かるといいね、とマルタさんが頷く。エマは俺から母親へ顔を向けた。
「私も行くよ。次の国でも四人で仕事してみたい」
「うん。そう言うと思った」
マルタさんは菓子を取り、割れたところのクルミを見た。
「出る日が決まったら、教えてね」
「うん。今度の昼ご飯は私も作る」
「それなら助かる。四人分だもの」
テオが自分を指して、俺の分も、と聞きかける。エマに、ほかに誰がいるのと言われ、嬉しそうに菓子を口へ放り込んだ。
『いいなあ、あいつ。腹減ってるって言えば、もう一個もらえるぞ』
俺はおっさんの声を聞きながら、最後のひとかけを口へ入れた。もう十分食っただろ。こっちはこれから宿まで歩かなければならない。
向かいではマルタさんがテオへ菓子を勧めている。
「それで、ベルカではほかに何をしてたの」
「仕事が終わったら、よくコータとモリスを。こいつ、負けるともう一回って言うから、なかなか寝られなくて」
「お前だって言ってただろ」
すぐに言い返すと、レイナとエマが揃って笑った。
マルタさんにも笑われ、俺は空いた皿を寄せた。次は俺から話そう。こいつに任せていたら、俺が負けた話ばかりになりそうだ。
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