第35話 帰り支度
レイナと二人で町を回った日から、ひと月ほどが過ぎた。
朝飯を食べ終えた卓で、エマが昨日の報酬を四つに分けている。テオは自分の前に置かれた硬貨を数え、最後の一枚を指で弾いてから財布へ入れた。
「よし。今日は休めるな」
「昨日、帰る前から言ってたろ」
「金を見てから言う方が安心するんだよ」
それは俺も同じだった。宿代を払っても残る日が続き、道具の紐を買い替えるかどうかで悩まなくなった。
四人で仕事をするのにも慣れてきた。テオが前へ出れば俺は横を見て、採取では見張りを交代する。休みには関さんの店へ寄り、魔法を試した。テオが切れ味を見せようとして作業台まで削り、関さんに叱られた日もある。
レイナの風が、重いものを載せた板を動かせなかった日、ビッグボアのことを話した。あの胴を横から押せていたら、木へ逃げ込む前に何かできたかもしれない。
「そのときに強い風を作るのがきついなら、先に溜めとけないかな」
関さんが言うと、おっさんの声が弾んだ。
『蓄えたエネルギーをあとで使うわけだな』
いつもの、飯屋を見つけたときとは違う調子だった。
関さんは通うたびに小さな容器を直してくれた。詰めた空気は、魔素で留めを外すと一度に噴き出す。
『留めが閉まったら、もう魔法をやめていいぞ』
おっさんに言われて力を抜いても、空気は漏れなかった。
古い盾へつけて試すと、盾だけが飛んだ。
「……すげえな」
テオが土を跳ねる盾を目で追う。俺は空になった手を見せた。
「使う人、ここに残ってるけどな」
腕に固定したら、今度は肩を引かれた。鋭い痛みに盾を落とし、その日の試作は終わった。
「力が出たから、そのまま持てるわけじゃなかったな」
関さんにも止められ、翌日は腕を上げずに過ごした。痛みが引いても、同じ試し方はしていない。
レイナも容器から空気や水を飛ばしてみたが、途中で散ってしまう。
「私は、今の風の向きとか当てる場所を変えたいな」
「俺は押すやつを何とかしたい」
関さんが盾の留め具を外した。
「なら、防具を作る人にも見せてみよう。腕だけ引っ張られないようにな」
使い終えた容器は、今も布に包んで持っている。
そうしているうちに、朝の風はここへ来た頃より冷たくなっていた。
「そろそろ、一回リンダムに戻らないか」
俺が言うと、エマが顔を上げた。
「帰る?」
「うん。国を越える前に、マルタさんにも顔を見せておきたいし。預けてある荷物も、もう一回見直したい」
「私も薄い服は置いていこうかなって思ってた」
レイナが袖を引き、手首を覆う。
「私、お店にも寄りたい。みんなどうしてるかな」
エマの声が弾む。母親に何から話そうとレイナに相談し始めたので、俺までマルタさんの煮込みを思い出した。
『俺もあの家の飯はまた食いたいな』
「食わせてもらう前提で行くなよ」
『お前だって食いたいだろ』
さっきまで肉を思い浮かべていたので、言い返せなかった。何を言われたのかと聞くエマへ、おっさんもマルタさんの飯を食べたいらしいと伝える。
「私も久しぶりにお母さんの煮込みが食べたいな」
テオが空の皿を脇へ寄せた。
「俺も楽しみだな。エマの母さんの飯」
「だから、飯を食いに帰る話じゃないんだって」
俺まで笑ってしまう。レイナはメモ帳を開き、ギルドに南へ行く乗合馬車の案内があったと教えてくれた。
「帰り、それに乗らない? 四人分、払えそうなら」
*
出かける前に、俺は首の紐を引っ張った。服の中へ入っていたハートが出てくる。朝飯を食べている間に裏返っていたので、指で直した。
それをテオが見ていた。
「コータ、それ気に入ってるよな」
「まあな」
「レイナもつけてるし」
レイナが襟元へ触れる。服の下に入れていても、紐は見えていた。
「お揃いだからね」
俺が答えると、テオは紐の先を眺めた。
「でもさ。前から思ってたけど、ハートってダサくね?」
紐を持つ手が止まった。
「……何?」
「いや、形がさ。二人でつけるなら、ほかにもあるだろ」
レイナを見た。彼女はテオを見ている。
そういえば、渡したときにも笑っていた。
ありがとう。つけたい。
自分で買ったんでしょ。
いいよ。つけてて。
嬉しそうだった。今だってつけてくれている。けれど、形がいいとは一度も言われていない。
「ああああああ!」
思わず声が出た。隣の卓から見られ、俺は口を押さえる。
「おっさん!」
『何だよ』
「おっさんも、そう思ってたのか」
『ダサいぞ。でも、言うことじゃないだろ』
即答だった。
「買うとき、いいって言ったじゃねえか」
『お前が自分で選んだんだろ。レイナも喜んでたし、俺の好みを聞かれてもな』
「今聞いたら、すぐ言ったくせに」
『聞くからだよ』
何も言い返せずにいると、テオが俺の顔を覗き込んだ。
「オヤジも同じこと言ってる?」
「……言ってる」
「ほらな」
「何がほらなだよ」
今さら、店で隣に並んでいた飾りまで思い出してきた。輪っかとか、葉っぱとかもあった。あれにすればよかったのか。でも、あのときはこれがいいと思ったのだ。
俺は隣へ向き直る。
「レイナは?」
恐る恐る聞くと、彼女は自分のハートを服から出した。
「お揃いで嬉しかったよ。今は形も好きだよ」
「……今は」
「うん」
そこを否定してはくれないらしい。
出かけるつもりだったのに、俺はもう一度椅子へ腰を下ろした。
エマは笑いをこらえながら、レイナの手に載った飾りを見ている。
「でも、いいなあ。彼氏にプレゼントもらえるの。ハートはあれだけど」
「エマまで……」
「だって、レイナさんのために選んできたんでしょ。それは嬉しいよ」
それは。
さっきから誰も形の方を助けてくれない。
レイナが俺の隣へ来た。
「私、気に入ってるんだからね」
「……うん」
「次に出かけるときも、つけててよ」
俺は手の中のハートを見下ろす。今、別のものにしようと言ったら、そっちの方が嫌そうな気がした。
紐を直して立ち上がると、テオが先に入口へ向かう。俺はその背中へ、次は買う前にお前に見せると言った。
「任せろ。俺、そういうの選ぶのうまいから」
あの大剣に有り金を使ったやつへ、何を頼んでいるのだろう。
『俺にしとけよ』
おっさんが言った。
*
南の門の乗り場で聞くと、明朝出る馬車ならリンダムへ三日で着くという。宿と食事は別でも、四人とも払えそうだ。
「半分じゃないか」
来るときは六日かかった。靴を脱ぐたびに足の裏を確かめた道を、座って通れる。
エマも賛成した。テオは中へ首を伸ばして「モリスできるかな」と言うので、揺れたら駒が動くだろと返した。
「押さえてれば」
「お前の駒だけ?」
大剣も刃を包めば積めると聞き、代金を払った。遊ぶ方は乗ってから考えよう。
帰りの足が決まると、エマがすぐに店の並ぶ通りを指した。
「じゃあ、お土産見よう。お母さんのと、お店の人たちの」
*
土産にはクルミの入った焼き菓子を選んだ。
味見に分けてもらった一片は硬かったが、噛んでいると甘さが出てくる。おっさんは道中の分も買おうと言い、テオも同じことを言った。母親に渡す前に減らされたら困るとエマが別の袋を頼んだので、俺たちはそちらの分を払った。
昼過ぎに関さんの店へ寄ると、裏庭には修理待ちの戸が二枚立て掛けてあった。
「今日は挨拶に来ました。明日、一度リンダムへ戻ろうと思ってます」
「そうか。もう出るのか」
関さんは工具を台へ置き、手を拭いた。
「あの人にはそのあと会いに行くつもりです」
関さんは奥の棚から紹介の手紙を出してくれた。住所もある。俺からも何か分かったら知らせると約束し、レイナがメモ帳へ挟んだ。
「リョースケ、また来るよ」
テオが大剣を担ぎ直す。
「次までにもう少しうまく使えるようにしとく」
「台を切らないようにな」
「あれ、まだ言う?」
関さんが笑う。テオも笑って、店の戸を開けた。
俺たちも礼を言って外へ出る。ひと月前には場所を聞きながら探した店なのに、通りへ出てから何度も振り返ってしまった。
*
宿へ戻り、部屋で荷物をまとめた。
カウンターの数字は相変わらず一つずつ増えていた。布を巻いて袋の奥へ入れ、口を閉じると、胸元のハートが揺れた。
「それ、しまわないの?」
大剣に布を巻いていたテオが聞いた。俺はハートを服の上へ戻す。
「つけててって言われたんだよ」
「そっか」
今度は余計なことを言わず、テオは自分の袋を戸口へ寄せる。
「エマの母さんって、どんな人?」
「優しい人だよ。俺たちも、ずいぶん世話になった」
「そっか。ちゃんと挨拶しないとな」
支度を終えたレイナとエマが部屋へ来た。帰ったらテオも一緒に家へ来てねとエマが誘い、その大剣を見て笑う。
「お母さん、びっくりするかな。仲間が増えてて、馬車で帰ってきて」
まだ冒険者になるなと言われていた頃、エマが馬車代を数えて払うところを想像したことはなかった。俺だって、一緒に乗れるくらい稼げるようになっている。
「仕事の話、いっぱいあるもんな」
「うん。何から話そうかな」
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