第34話 恋人
着替えを終え、脱いだ服を畳んで寝台へ置いた。いつも仕事で着るものより手元が明るい。リンダムでレイナが選んでくれたシャツだ。
袋を持って廊下へ出ると、レイナも部屋から出てきた。青い上着を着て、襟元を指で直している。
「それ、着てくれるんだ」
「今日着ないで、いつ着るんだよ」
「ほかの日も着ていいんだけど」
彼女が笑う。俺も笑って、部屋の扉を閉めた。
昨日は関さんに道と旅費を聞き、俺たちもまずこの町で仕事を続けることにした。次に何を確かめるかまで二人で話せた。午後に俺が買ってきたものは、まだ見せていない。
「行こうか」
「うん」
袋の上にある包みを確かめ、二人で階段を下りた。
食堂ではエマとテオが町の道を紙に描いていた。二人も店を見て回るらしい。
「楽しんできてね」
エマに見送られ、俺たちは宿を出た。
*
昨日見ておいた飯屋はまだ戸を開けたところだった。昼には早いので、その先の店を見ながら歩く。
「今日はどこ行くの?」
「昼はさっきのところ。あとは服とか見たいなと思って。レイナ、寄りたいところある?」
「服、見たい。来る途中で小物並べてたところも」
「じゃあ、そっちから行こう」
返事をしてから、袋に手を添える。
その前に渡したかった。
人の流れを避け、閉まっている店の軒先へ寄った。レイナも隣へ来る。俺が袋を開けるところを見て、何か忘れたの、と聞いた。
「いや。これ、昨日買ったんだけど」
布を開く。中で重なっていた二つを離すと、紐が指の間から下がった。
レイナが俺の手元を見る。
「ハート?」
「うん。よかったら」
片方を差し出した。レイナは手のひらに載せ、銀色の表を指で撫でる。もう一つは俺の手に残っている。
「二つ買ったの?」
「お揃いにできるかなって」
「コータもこれつけるの?」
「そのつもりだけど」
彼女は俺を見たまま、口元を押さえた。
「何だよ」
「ごめん。そこまで考えて買ってきたんだ、と思って」
笑っている。嫌そうではないが、こっちはどういう顔をして待てばいいか分からない。
「恋人だったら、こういうのもいいかなってさ」
「うん」
「あんまり大きいのだと邪魔かと思って、これにしたんだけど」
レイナは手の中のハートへ目を戻した。指で紐を持ち上げ、自分の胸へ当ててみる。
「ありがとう。つけたい」
「今?」
「うん。せっかくだし」
レイナが差し出した紐を彼女の首の後ろへ回す。髪を持ち上げて待ってくれているが、結ぶ指がもたついた。
「きつくない?」
「大丈夫。……結べそう?」
「今やってる」
普段、袋の紐なら何も考えず結べるのに。
ようやく手を離すと、レイナがこちらを向いた。青い上着の間に銀色のハートが下がっている。
「どう?」
「いいと思う」
「じゃあ、次コータね」
もう一つを取り上げられた。俺が手を下ろしている間に、レイナは紐を回して結んでくれる。
「はい」
自分の胸元を見下ろした。
少し照れる。買ったときは一緒に並べたところまではよく見た。でも、俺がつけたところは見ていなかった。
「変じゃないか」
「自分で買ったんでしょ」
「そうだけどさ」
レイナがまた笑う。
「いいよ。つけてて」
それならいいか。襟の中へ隠そうとした手を下ろすと、レイナは俺の手を取った。
*
服の店では上着とシャツが同じ台に並んでいた。
レイナは袖を広げたり、肩へ当てたりしながら、一枚ずつ見ている。俺も隣で布に触れた。仕事で着るなら傷みにくいものがいいが、今日はそういう服を選びに来たわけではない。
台の端にあった白っぽい服を持ち上げる。襟元に細かく布が寄せられ、前に小さなボタンが並んでいた。
「レイナ、これ」
渡すと、彼女は自分の見ていた服を戻した。
「これがいい?」
「うん。着てほしい」
口に出してから、いつもと違うことを言った気がした。似合うかと聞かれたわけでもないのに、俺の方から渡している。
レイナは胸の前へ服を広げた。
「こういうの、好きなんだ」
「たぶん。レイナが着たところ、見てみたい」
店の女性が、羽織ってみてもいいと奥を指す。レイナは俺の顔をもう一度見てから、そちらへ向かった。
待っている間、俺は隣の棚に並んだ帽子を眺める。おっさんがつばの広い一つを気にしているようだった。
『それ、被ると前が見えなくならんか』
「下向いたら、なるんじゃないか」
『お前、そういうのはやめとけよ』
「俺が被るつもりで見てたんじゃないよ」
声を落として言い返したところで、後ろから呼ばれた。
レイナが戻ってきていた。青い上着を腕へ掛け、その下の服を替えている。明るい色の上でさっきのハートが揺れた。
「袖、ちょっと長いかな」
腕を伸ばして見せてくれる。俺は手首の方を見てから、顔へ目を戻した。
「そこは直してもらえるんじゃないか。……似合ってる」
「ほんと?」
「うん。これ、いいな」
レイナは鏡の前へ行き、左右へ体を動かしてみた。鏡越しに俺と目が合うと、笑った。
「じゃあ、これにする」
袖の長さを店の女性に見てもらい、帰りに受け取ることになった。レイナは元の服に着替えて代金を払い、店を出てからも新しい服をどう着るかの話をしている。
「次、これで出かけようよ。上着、あれに合わせてもいいかな」
「いいと思う。俺も別の服、探しとけばよかったな」
「今日のも好きだよ」
彼女が俺の袖を引いた。
「私が選んだんだから」
*
昼は昨日おっさんが行きたがった店へ入った。
焼いた肉のほかに太い腸詰とパンが出てくる。レイナは何が入っているのかと腸詰を切り、俺はまずよく焼けた端を口へ運んだ。
皮が弾け、中から熱い汁が出る。
『ああ、これにしてよかったな』
言われる前に俺もそう思っていた。
「おじさん、何て?」
「これでよかったって。昨日、あそこで焼いてるの見つけたの、おっさんなんだ」
「じゃあ、店はおじさんが選んだんだ」
「俺も外から見たよ」
レイナは笑いながら自分の分を食べた。
「うん。おいしい」
横に添えられた漬けた葉物は酸っぱい。肉のあとに食べると口の中がすっきりして、もう一切れ取ってしまう。
レイナも同じように食べていた。皿へ目を落とした拍子に、首のハートが卓へ当たりかける。彼女は指で持ち上げ、服の中へ入れた。
「なくさないようにしないとね」
「紐、ほどけそうなら言って。結び直すから」
「うん」
俺も胸元を確かめる。まだある。当たり前なのに、触ってみると嬉しかった。
昼飯のあともしばらく通りを歩いた。小物を売る店でレイナが足を止め、俺が用途の分からないものを見つけて聞く。気づけば服を受け取る時間になっていて、二人で引き返した。
買った服の包みは俺が持った。レイナの空いた手がまた伸びてきたので、今度は俺から握る。
*
宿へ戻ると、エマたちも帰ってきていた。
食堂から声をかけられ、先に荷物を置いてくると答える。レイナたちの部屋まで包みを運ぶと、彼女が受け取り、机の上で広げた。
「ちゃんと短くなってる」
「よかったな。俺、水もらってくる」
「私の分もお願い」
階段を下りると、食堂の奥からテオの声が聞こえた。
「でも、何で昨日あんなに言ってたんだよ。デート、デートって」
「レイナさんに頼まれたから」
最後の段で足が止まる。
「自分で誘えばよくない?」
「コータさんから誘ってほしかったんだってば」
「ああ。そういうのか」
テオが納得したような声を出す。その先は宿の人に呼ばれて聞こえなかった。
「お水かい?」
「……はい。二人分、お願いします」
俺はコップを受け取り、階段へ向き直った。
昨日、声をかけたときの顔を思い出す。
俺にも言ってくれればいいのに。そう思ったが、それでは、俺から誘ってほしいという話にならない。
レイナのところへ戻ると、彼女は服を畳み直していた。机の空いたところへコップを置く。
「ありがとう」
「うん」
彼女が水を飲む間、俺も隣へ座った。
「次の休みも二人で出かけような」
レイナがコップから口を離す。
「……もう次の話?」
「うん。今日、楽しかったから」
彼女は俺の顔を見て、それから机の上の服を見た。
「私も。次はこれ着ていく」
服の中へ入れていたハートを引っ張り出し、紐を直している。俺も襟元へ手を入れると、レイナがこちらを見て笑った。
「それもね」
掌に載せたハートはずっとつけていたせいで温かかった。
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