第31話 言いすぎ
夕飯の席でも、テオは切った木の話をしていた。
「押しただけだったんだよな。今まで、何であんなに振ってたんだろ」
「それは、振らないと切れなかったからでしょ」
レイナが答えると、テオはパンを持ったまま考え込む。
「そうなんだよ。だから明日は、押す方でやってみる」
「今日もやったじゃん」
「もうちょっと長く」
俺が笑うと、隣のエマも口を挟んだ。
「また気持ち悪くなるまで?」
「なる前にやめるって」
『今の、覚えとけよ』
おっさんの言葉を伝える。テオは、オヤジまで言うのかと文句を言い、それから自分でも笑った。
四人で座った卓は狭い。パンの籠を寄せてもらい、自分の皿を引く。昨日はこの隣に座っていたやつと、これからも一緒に行くのかと考えていた。今日は明日どれだけうまく切れるかで張り合っている。
食べ終わったエマがコップをどけ、レイナが開くメモ帳の場所を空けた。
「で、首都の方には、いつ行く?」
テオが聞いた。レイナの手元を覗き込んでいる。
「まだ決めてない。しばらくこっちで仕事して、関さんにも魔法を教わってからかな」
「しばらくって、どれくらい?」
レイナに聞かれ、顔を向ける。
「そこまでは、まだ」
「紹介してもらう人のことも、もう少し聞いておきたいね。あと、途中で泊まれるところ」
「うん。関さんのところ、また行くし」
彼女は紙の端へ何か書いた。テオが道の線を指し、この辺りまでは来たことがあると話し始める。
俺も聞きながら、残ったパンを口へ入れた。
急いで出て、また危険な相手に出くわすのは怖い。剣でも魔法でも、もう少しできることを増やしておきたい。四人で仕事をするのだって、昨日始めたばかりだ。
それは、俺なりに考えていることだった。
「じゃあ、明日も朝飯のあとでいい?」
テオの声で顔を上げる。
「ああ」
「今日は、まだ時間あるよな。モリスやらない?」
テオが駒を借りに行ったところで、レイナがメモ帳を閉じた。
「明日聞くこと、部屋でまとめておくね」
「俺も行くよ」
「じゃあ、私が先にやってていい?」
エマが聞いた。戻ってきたテオが駒を半分彼女の前へ寄せる。
「いいよ。コータ、先に遊んでるぞ」
俺は返事をして、レイナと階段を上がった。
*
レイナたちの部屋へ入ると、彼女は机の上の荷物を端へ寄せ、さっきのページを開いた。
俺は腰の剣を外し、レイナに勧められて寝台の端へ座る。靴の紐を解いていると、彼女がこちらを見た。
「明日、関さんのところに行くなら、帰る方法を探してる人のことも聞くんだよね」
「そのつもりだけど」
「じゃあ、一緒に行く。聞きたいこと、まとめておくね」
ペンが動く。
俺は靴から足を抜いた。もう一方の紐へ手を伸ばしてから、さっき食堂で聞かれたことがまだ引っかかっているのに気づく。
「俺だって、何も考えてないわけじゃないよ」
レイナのペンが止まった。
「そんなこと言ってないじゃん」
「さっき、いつ出るのかって聞いたから」
「しばらくって、どれくらいかなと思って聞いただけだよ」
「まだ分かんないって。今日やっと、テオの剣のことも分かったところだし」
「うん。だから、明日聞くことの話をしてるんだけど」
合っている。その説明は合っているのに、俺の返事を一つずつ直されているようで、面白くなかった。
「練習もしたいんだよ。できること増やしてから行った方がいいだろ」
「私もしたいよ。駄目って言ってないでしょ」
「でも、先に帰る話を進めろって聞こえる」
レイナはペンを置いた。
「コータがどう考えてるか分かんないから、聞いてるんだよ」
「だから、まだ決められないって」
「決まってることだけ聞きたいんじゃないよ」
解きかけた靴の紐を引く。片方だけが抜け、結び目が残った。
いくらかかるのかも、どれだけ歩くのかも、まだ聞けていない。関さんが十五年探しても見つからなかった帰り方を、次の人なら知っているのだろうか。そんなことも気になっている。
何から話せばいいか、自分でも分かっていないのに。
「行くってなったら、どうやって行くか考えなきゃいけないじゃん。金もいるし、向こうで仕事できるかも分かんないし」
「だから、一緒に考えたいって言ってるの」
「でも、結局どうするかは俺が決めるみたいになるだろ」
レイナが黙った。
そこでやめればよかった。返事がなくなったのを、ようやく言いたいことが伝わったのだと思ってしまう。
「人に話しかけるのだって、俺からばっかりだし」
「……私も、聞いてるよ」
机の上には開いたメモ帳がある。
知っている。俺が聞き逃したことまで、レイナが確かめてくれることもあった。それなのに、今は俺のしてきたことも分かってほしかった。
「戦うときだって、前に出るのは俺だし。俺ができること増やしとかないと、困るじゃん」
言ってから、口が止まった。
前に出ると言ったのは、俺だ。
レイナが押し出したわけではない。横から魔法を当ててもらい、彼女が斬る間には俺が相手を見ていた。昨日の洞窟では、道を覚えてもらって帰ってきたばかりだ。
『コータ。それは、言いすぎじゃないか』
分かってる。
そう返しかけて、黙った。おっさんに言い返してどうする。
レイナは机に向いたまま、こちらを見ていた。
「私、後ろにいればいいと思ってるように見えた?」
「そういう意味じゃない」
「じゃあ、どういう意味?」
困った。困るくらいなら言わなければよかったのに、言った言葉は口には返ってこない。
「俺も練習しないと、また――」
「私だって、コータが怪我しないように練習してるよ」
声が大きくなった。
「分かってるよ」
「分かってたら、今の言わないでしょ」
彼女の顔を見た。
怒っている。けれど、それだけではないような顔だった。いつもなら言い返すうちに笑ってしまうことだってある。今回は、その続き方が分からない。
「ずっと、そう思ってたの」
「違う。今、腹が立って」
「私が何もしてないって?」
「そうじゃなくて」
否定ばかりしている。本当に違うのに、さっき自分が言ったことから、一つも先へ進めなかった。
*
「前に出てくれるのが当たり前なんて、思ってないよ」
レイナは膝の上で手を握った。
「あのときだって、コータが来てくれると思った。助けてほしかった。でも、そのあと倒れたじゃん」
街道で、倒れた。そこから先のことを、俺は知らない。
「三日も起きなくて、息してるか何回も見たよ。寝てるだけだって言われても、次に見たら止まってるんじゃないかって。目が覚めても、私のことが分からなくなってたらって、それも怖かったんだよ」
「……うん」
「起きたら、私の首見て、無事でよかったって言ったでしょ」
覚えていた。
「嬉しかったよ。コータも喋ってるって思った。でも、私のせいでああなったのは、なくならないじゃん」
「レイナのせいじゃない」
「そう言ってくれると思ってたから、言えなかったの」
レイナが息を吸った。続きが出るまでに、口元が二度動く。
「私、またあんなことになったらって、ずっと怖いんだよ。魔法の練習で手が止まっただけでも、具合悪いのかなって見るし。コータは、平気だって笑うけど」
俺には、平気だったときのことしか思い浮かばない。
そのとき彼女が何を見ていたのかは、知らなかった。
「それなのにさ、顔が近くなっただけで、びっくりしたりするんだよ」
話についていけず、レイナを見る。
「枕、入れてあげたとき。コータがこっち向いて、私、変な声出したの。怪我してるのに、何でそんなこと気にしてるんだろって、自分でも嫌だった」
「そんなの、気づかなかった」
「そうでしょ。コータは普通にしてるんだもん」
彼女は声を上げ、それから俯いた。目元を指で拭う。
「前から好きだったよ。一緒にいるならコータがいいって。でも、あのあとからは、ちゃんと恋人になりたいと思ってたんだよ」
俺は、何も言えなかった。
「服だって、似合うって言われたら嬉しいし、選んだのを着てくれたら、また嬉しくなるし。そういうの、いちいち言えないじゃん」
「……言ってくれてよかったのに」
「今だって、うまく言えてないでしょ!」
肩が跳ねた。
何か返そうとするたびに、余計なところへ触れてしまう。言いたいことはある。でも今は、彼女が話すのを待とうと思った。
「コータは、おじさんとばっかり話してるし」
「それは、違うだろ」
今度はすぐに声が出た。
レイナの口も止まる。俺は息を吐き、握っていた靴の紐を放した。
「……今、レイナと話してる。聞いてるから」
おっさんは何も言わなかった。
廊下を誰かが歩いていく。二人とも扉を見ず、その足音が階段へ遠ざかるまで黙っていた。
「私だって、どうしたいか言えてないのは分かってるよ」
レイナが言った。さっきより声が低い。
「行くって決めるのも、コータに任せちゃってることあるし。でも、何も考えてないわけじゃないよ」
「うん」
「帰り方を聞きに行くのだって、危ないところを通らなきゃいけないなら、どうしようって思う。でも、コータが帰りたいって言うから、何か分からないかなって探してるのに」
顔を上げた。
「俺が?」
「うん。コータが、帰る方法を探そうって」
言った。何度も言った覚えがある。
レイナも帰りたいのだと思っていた。メモを取っているのも、ギルドで聞いてくれるのも、俺より真剣に考えているからだと。
だから、俺も何とかしなければと思った。
「俺は、レイナが帰りたいんだと思ってた」
彼女がこちらを見る。
「……何それ」
もう、怒った声には聞こえなかった。
どう答えればいいんだろう。さっきまでの言い返すための言葉は出てこない。
「ごめん。今の、ちょっと待って」
俺は言って、片方だけ履いたままだった靴を脱いだ。
ずっと目の前にいたのに、まだ聞いていないことがあった。
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