第26話 道の先へ
「そこ、石あるよ」
敷物を広げかけたところで、エマに言われた。
手を止めて地面を撫でる。土から丸い頭が出ていた。ちょうど腰が来るあたりだ。指で掘り起こして脇へどけると、エマはもう自分の寝床を広げている。
「昨日もあったから」
「寝てからだと、気になるよな」
「うん。どっちを向いても当たる気がして」
レイナも敷く前に足元を念入りに確かめる。
リンダムを出て三日目の夕方だ。今日は街道脇の野営地で夜を越す。踏み固められた広場に荷車が並び、商人たちが張った天幕の下に俺たちも場所を分けてもらっていた。
初日はメアゴンリの宿に泊まり、昨日の朝、初めてその北側の門を出た。リンゴ畑が途切れてからも、道はまだ続いていた。当たり前なのだが、丘を越えるたびに先が見えるのは面白かった。
ただ、歩く方は楽しいばかりでもない。
昼休みのたびに靴を脱ぎたくなるし、荷台から水袋を取るなら、荷車が止まったうちに済ませなければならない。昨日は干した肉を齧りながら歩こうとして、息を吸うたびに口の中が乾いた。レイナから、座って食べればよかったのにと言われたが、それは食べ始めてすぐ俺も思った。
今日は水を確かめ、明日の朝に使うものを袋の上へ寄せておく。支度を終えたレイナが靴を脱いで両脚を伸ばした。
「座るって、いいね」
「昨日も言ってた」
「毎日思うんだよ」
俺も隣へ腰を下ろす。まだ明るい空を見ながら脚を伸ばしていると、このまま寝てもいい気がしてきた。
『飯を食ってからにしろよ』
「分かってるって」
「おじさんもお腹すいた?」
エマに聞かれ、俺は首を傾げる。
「おっさん、お腹はすくのか?」
『お前が腹を鳴らしてるのは分かるぞ』
「じゃあ俺と同じか」
『食いたいものは違うけどな』
昨日も、片づけた鍋にまだ肉が残っていないか見たがっていた。エマにそう伝えると、立ち上がりかけていたレイナまで笑った。
*
夕飯は持ってきたパンと、商人たちから分けてもらった野菜の汁だった。一杯分の金を払い、器によそってもらう。干した肉も入っていて、汁を吸わせたパンなら喉につかえずに食べられた。
食べ終わった頃には、荷車の向こうが暗くなり始めていた。火のそばではまだ話している人もいるが、護衛の一人は離れたところに立っている。
俺は二人に声をかけ、一緒にそちらへ向かった。
「あの、夜の見張りって、どうやってるんですか」
昼間も列の脇を歩いていた男だ。俺たちを見ると、持っていた水袋に栓をした。
「どう、とは?」
「俺たち、泊まりながら歩くのは初めてで。これから自分たちで旅することもあると思うので、見せてもらえたら」
「ああ。だったら、こっちへおいで」
手招きされたのは火から離れた荷車の陰だった。言われた場所へ並ぶと、男が広場の外を指す。
「あそこに何があるか、見える?」
目を細めてみる。道の脇に何か並んでいるが、黒い塊にしか見えない。
「木、ですか」
「馬をつなぐ杭だよ。着いたとき、あそこで馬を休ませてただろ」
「あ、あそこ」
レイナの声で俺も思い出す。けれど、今はその奥の草と重なって、どこまでが杭なのか分からない。
「さっきまで明るい火のそばにいたからね。火の方を見ずに待ってれば、暗さに目が慣れてくるよ」
言われたとおり広場の外を見ていると、黒い塊の輪郭が分かれてきた。杭が二本。その奥には草がまとまって生え、さらに向こうを街道が横切っている。
「見えてきた」
「私も。さっきより分かる」
エマが答えたところで、背後の荷車から、がたんと音がした。
俺たちは三人とも振り返った。御者が荷車の下から桶を引きずり出しているだけだった。
夜の音は思っていたほど少なくない。草が擦れ、馬が鼻を鳴らし、どこかで金具が当たる。そのたびに気にしていたら、何もかも怪しくなりそうだ。
「音だけで、魔物かどうか分かるんですか」
「分からないこともあるよ。ただ、確かめるときも、みんなで同じ方を向かないようにね。誰かは外を見ていないと」
俺は広場の外へ顔を戻した。
「三人とも、荷車を見てましたね」
「まあ、気になるよな。一人が何の音か確かめて教えてくれれば、ほかの人は見張りを続けられるだろ」
男は笑った。俺たちが桶を見ている間も、この人は外を見ていたのだ。
レイナが見ている方と重ならないよう、俺は街道の続きへ顔を向ける。
『これで俺にも見えるな』
おっさんの声がした。
そうだった。この人まで俺と一緒に桶を見ていたのだ。
あの草の陰から何かが来ても、今なら気づけるだろうか。さっきまで黒く潰れていた道を、耳も澄ませながら眺めた。
「あそこ、何か動いた」
エマが広場の右を指した。男がそちらを確かめ、荷車の反対側にいる護衛にも場所を伝える。俺は街道の続きを見たまま、何がいたのかを待った。
「ウサギだね。今、離れていった。しばらく、あっちは気にしとこう」
男の返事を聞いても、すぐに肩の力は抜けなかった。エマが先に見つけてくれてよかった。
もうしばらく並んで見てから、今日は戻って休むようにと言われた。
「明日も歩くんだから、張り切って起きてなくていいよ。今夜はこっちの仕事だから」
礼を言い、火に照らされた天幕へ戻ると、急に外が見えなくなった。
「明日は寝床を作る前に、まわりも見ておこうか」
レイナに頷き、寝床へ横になる。今夜は腰へ石が当たらない。
眠ろうと目を閉じたところへ、おっさんが話しかけてきた。
『しかし、歩いて寝るだけで一日終わるな』
「歩いてないやつが言うなよ」
『俺だって景色はずっと見てるぞ』
「明日、休憩でモリスでもやるか」
『いいな』
「寝る前に始めないでよ」
レイナに言われた。まだ何も広げていないのに。
*
次の日は村の宿に泊まり、その翌日はまた野営だった。途中で雨に降られ、濡れた布を荷台へ掛けて乾かす日もある。
寝床を作る手は早くなった。レイナのメモには宿の名前が増え、俺は食べたものなら大体思い出せる。
モリスは昼の休憩で一度だけできた。地面に線を引き、拾った石を駒にしたのだが、おっさんが長く考えているうちに出発の声がかかってしまった。勝負は次の休みへ持ち越しだ。
ベルカの門が見えたのは、リンダムを出て六日目の午後だ。
屋根の間から細い煙が何本も上がっている。門をくぐり、荷物を受け取って商人たちへ礼を言うと、見張りを教えてくれた男が笑った。
「今夜は寝台だね」
「はい。ずっと楽しみにしてました」
「俺もだよ」
通りには金物を並べる店や工房があり、ハンマーの音に顔を向けると、別の店から燻した肉の匂いがする。
『あそこ、何を食ってるんだ』
店先の卓には湯気の立つ深皿が並んでいた。
「先に宿だろ」
『場所だけ覚えとけ』
「コータ、お腹すいた?」
レイナに聞かれるまで、足が止まっていることにも気づかなかった。
「……すいた」
「私も。荷物置いたら来ようよ」
エマも同じ方を見ていた。三人とも昼は軽く済ませただけだ。
宿では俺とレイナで一部屋、エマに一部屋取れた。寝台に座った途端、立つのが惜しくなったが、おっさんに急かされてさっきの店へ戻る。
運ばれてきた煮込みには厚切りの肉と、さやごと切ったインゲンがたっぷり入っていた。肉の脇には赤紫の皮がついた実が半分ずつ並んでいる。
「小さい桃みたいなの、入ってるな」
「スモモみたいじゃない?」
言われてみれば、確かにそっちの方が近い。
この辺りで採れる実をインゲンと燻した肉に合わせて煮たものだと、店の人が教えてくれた。
『汁と一緒に食ってみろ』
「今そうしようとしてたんだよ」
匙で切った肉を口へ運ぶ。燻した香りが鼻へ抜け、脂身は舌で潰せるほど柔らかい。熱くてすぐ飲み込めず、俺は口を閉じたまま息を吐いた。
『うまいな、これ』
返事をする代わりに、もうひと口食べた。
レイナも匙を止めず、エマは柔らかい実を肉と一緒にすくおうとしている。豆にも肉の味が染みていて、俺は皿に残った汁まですくった。
「コータ、それパンで拭って食べたら?」
「いいな。パンも頼もう」
『二つな』
「まず一つだよ」
エマが笑う。
「おじさん、気に入ったんだね」
「俺も。この町にいるうちに、もう一回食べたい」
「まだ着いたばっかりだよ」
レイナはそう言って、自分も皿にパンを浸した。
俺は最後のパンで皿を拭った。明日の朝もここで食べられるか、帰り際に聞いておこう。
店を出る前に、レイナがメモ帳へこの店の名前を書き足した。すぐ上にあるのは、メアゴンリで聞いた修理店の場所だ。
明日は、ようやくほかの転移者に会える。
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