第25話 旅立ち
翌朝、エマと一緒に店へ行った。俺たちに代わりに話してほしいわけではないけれど、そばにいてほしいと言う。
話があると切り出したエマを見て、店主の女性は数えていた布から手を離した。
「お母さんと話がついた?」
「はい。二人と、北の町へ行こうと思ってます。そのあとも、旅を続けたいんです」
「お休み、長くなるんだね」
「いつ戻るか、まだ決められなくて。だから、辞めさせてください」
エマが頭を下げる。
女性はすぐには返事をせず、数えていた布を一枚ずつ重ね直した。
「そうか。せっかく慣れてきたところだったのにね」
「はい」
「お客さんも、あんたの顔を覚えてくれたし」
エマの唇が動いたが、声は出なかった。
「出るのは、いつ?」
「これから荷車を探します。お店でやっておくことがあれば、先に終わらせたいです」
「三日後に荷が入るんだ。その日までは頼めるかい」
「はい。もちろん」
エマはそのまま店に残った。出発の日はあとで相談しようと伝え、俺たちはギルドへ向かう。
*
北へ向かう商隊はエマが店を終えた翌朝に出る予定だった。護衛もつき、料金を払えば荷物を預けて一緒に歩いていける。三人分を引いても、向こうで仕事を探すまでの金は残りそうだ。
途中まではメアゴンリへ行く道と同じだが、今度は泊まりながらの旅になる。
集合場所と時刻を聞いてから、俺たちは医者のところへ寄った。
旅に出ることを話し、左腕とすねも診てもらう。腕は言われた向きへ動かせたし、脚の傷もふさがっていた。ただ、かさぶたが引っかかるからと、上に当てる布をもらった。
それから、目が覚めた日にレイナが伝えてくれた声のことを、自分でも話した。
「あのあとも、ずっと聞こえるんです。頭の中に、もう一人いるみたいで」
医者の手が止まった。
いつから、どんなふうに聞こえるのか。夜は眠れるか。自分の意思で体を動かせるか。倒れる前のことは覚えているか。順に聞かれ、俺は分かる範囲で答えた。
「そばで見ていて、以前と違うところはあるかね。人柄や、人への接し方は」
医者に聞かれ、レイナは俺の顔を見た。
「声の人と話す以外は、変わってないと思います」
医者は考え込み、ほかに似た例は知らないと言った。
「今のところ、君自身が変わった様子はない。声が聞こえるだけで魔憑きだとは決められん。ただ、その声が何なのかは分からんよ」
俺は膝へ目を落とす。話せば何か分かるかと思ったが、この人にも初めてのことらしい。
具合や受け答えが変わったら、旅先でも医者へ相談するよう言われた。ほかに似た話を聞けば覚えておくとも言ってくれる。俺たちは礼を言い、診察代を払って外へ出た。
『お前を困らせに来たつもりはないんだがな』
しばらく歩いてから、おっさんが言った。
「それは、もう分かってるよ」
『そうか』
「でも、分からないことは聞けって教わったし」
何も返ってこなかったが、嫌がっている感じはしなかった。レイナにも今の話を伝えると、彼女は頷く。
「北の町のお医者さんも、場所は聞いとこうね」
「うん」
*
それから三日、エマは店へ通った。俺とレイナは近場の採取で宿代を稼ぎ、空いた時間に荷物をまとめる。
出発の日を伝えに行ったとき、マルタさんから、持っていかない荷物はどうするのかと聞かれた。
「また宿で預かってもらおうかと」
「それなら、うちへ持っておいで。宿に置いておくと、お金もかかるでしょう」
俺たちは礼を言い、お願いすることにした。
露店で買ったあの箱は服に包んで袋の奥へ入れた。歩くたびに中で動かないよう、脇にも布を詰めておく。
服を一枚減らしたのに、袋は前より重い。レイナも、何を置いていくか迷っているようだった。
「青いのは持っていこうよ」
「うん。それは持ってく」
「そこは迷わないんだな」
「休みの日もあるでしょ」
そう言って畳み直す手を見ていると、俺も着替えを減らすのが惜しくなる。結局、古くなったシャツの方を残した。明るい色のものは袋の一番上だ。
エマの最後の仕事が終わる夕方、店へ迎えに行った。
入口の近くにはまだ紐を切っていない荷が積んである。奥ではエマが客へ品物を渡し、釣り銭を数えていた。
「しばらく顔、見られないんだってね」
「はい。明日、出るんです」
「気をつけて行っといで。お母さんにもよろしく」
客が出ていくと、エマは台を拭き、使った布をいつもの場所へ掛けた。俺たちを見つけて手を振りかけたところへ、奥から店主が来る。
エマは棚へ目をやり、一つだけ傾いていた包みを直した。
「ほかに、何かありますか」
「今日はもういいよ。あとの分は、明日こっちでやるから」
返事をしかけたエマが口を閉じる。
明日は、もうここへ来ない。
最後の給金を受け取り、エマはその場で確かめる。
「合ってます。ありがとうございます」
「そこは、ちゃんと見なきゃね」
店主が笑う。エマもつられて笑ったが、そのあと顔を下げたままになった。
「長いこと、お世話になりました」
「こちらこそ、助かったよ」
俺とレイナは店の外へ出た。中から声は聞こえていたが、何を話しているかまでは追わず、通りの荷車を見て待つ。
やがてエマが出てきた。小さな包みを胸に持っている。
「終わった?」
「うん」
そう言って歩き出したのに、二歩目で足が止まる。振り返った先で、店主が棚へ手を伸ばしていた。
「明日も行きそう」
エマが笑った。
「朝、いつもあそこ曲がってたから」
「明日は迎えに行くよ。門と反対へ歩かれたら困るし」
レイナが言うと、エマは顔を戻した。目の縁が赤かったが、声はいつもの調子だ。
「帰ってきたら顔を出してって」
「うん。土産、探そう」
「この前、お母さんの分を選んだばっかりなのにね」
店は、角を曲がるまで見えていた。
*
翌朝は空が明るくなり始めた頃に宿を出た。
今回も部屋は空けた。旅の袋とは別に、マルタさんへ預ける荷物の包みも持っていく。
マルタさんの家へ着くと、エマはもう外套を着ていた。袋を足元へ置き、母親が持っている包みを見ている。
「これも?」
「今日の昼の分。上へ入れなさい」
「自分でも用意したよ」
「じゃあ、二人にも分ければいいでしょう」
俺たちが挨拶すると、マルタさんはエマからこちらへ顔を向けた。
「おはよう。ちゃんと寝た?」
「はい」
「私も」
レイナと答えてから、預ける包みを示す。
「荷物、お願いします」
「そこへ置いて。あとでしまっておくから」
玄関の隅へ包みを下ろし、エマが袋を閉じるのを待つ。立ち上がるとき、外套の裾が靴に触れずに揺れた。
マルタさんが娘の肩を払った。何かついていたのかと思ったが、その手はすぐには離れなかった。
「行ってきます」
エマが言う。
「うん。行っておいで」
肩から手が離れた。エマは扉を出てから一度振り返り、俺とレイナも頭を下げる。
「行ってきます」
「二人とも、気をつけてね」
大通りへ出るまで、エマは何度か後ろを見た。角を曲がってから前を向き、袋の紐を引き直す。
集合場所で三人分の料金を払い、荷物を預ける。肩が軽くなったところで前の荷車から声がかかり、列が動き始めた。
最初の道は、もう知っている。村で休んで、リンゴ畑を通って、その先へ行く。
門をくぐったところで、レイナが歩く位置を俺の隣へ寄せた。エマも反対側へ並び、昼飯の包みはちゃんと上に置いたかと聞いてくる。
「置いた。今から食べるなよ」
「そこまで言ってないでしょ」
『昼は早めでもいいぞ』
こっちには今から食べたそうなやつがいる。
俺は笑いながら前を向き、動き始めた荷車のあとを追った。
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