第21話 デート
朝、左腕を上げようとしてやめた。昨日より動くが、肩に近いところが痛い。すねに巻いた布も、足を曲げると皮膚を引っ張る。
今日は仕事を休もう。
昨日のビッグボアの報奨金もある。何日か休んだくらいで、宿代に困ることはなさそうだ。
食堂でそう言うと、レイナもエマも賛成した。昨日はよく眠れたか、怪我はどうかと話しながら朝飯を食べる。エマは途中でパンを持つ手を開いてみせた。
「私、指が疲れてる。昨日、剣をずっと握ってたからかな」
「握ってたな。もう下ろしていいって言われても、なかなか離せないんだよ」
「二人もそうだった?」
「うん。最初は、しまったあとも変な感じがした」
レイナが答え、俺も右手を見た。昨日の剣を押し込んだ感触はまだ覚えている。
食べ終えて皿を下げてもらうと、することがなくなった。食堂には空いた席が多い。仕事へ向かう人を見送ってから、俺は卓の表面へ目を落とす。
「ここには、モリスの溝ないんだな」
『この前言ってた遊びか。教えてくれるんじゃなかったのか』
「教えるよ。レイナ、紙一枚もらっていい?」
メモ帳の後ろを一枚使わせてもらい、盤を描く。駒はなかったので宿の人に聞くと、欠けた陶器を丸く削ったものを出してくれた。白っぽいものと茶色いものが九つずつある。
エマと向かい合い、おっさんへルールを説明しながら始めた。俺が駒を取って得意になっていると、その次に二つの並びを作られる。片方を塞いでも、もう片方が揃ってしまう。
『そこへ置いてよかったのか?』
「今、駄目だったと思ってる」
エマは笑いながら俺の駒を取った。
「これで、おしまい?」
「……うん。もう一回」
「ちょっと、私もやりたい」
レイナに席を譲ると、おっさんが俺にだけ次の置き場所を言ってきた。自分で打たずに見ている方が、よく分かるらしい。俺も口を挟むのをこらえた。
二人の勝負がついたところで、紙を裏返した。今度は縦横に線を引く。
「別のもやらないか。五つ並べるやつ」
「今度は五つ?」
「これは駒を取らない。その代わり、途中で動かせないんだ」
駒が足りなくなりそうなので、丸とばつを書いていくことにした。エマへ説明しているうちに、隣でレイナが笑う。
「コータ、休みでも忙しいね」
「休んでるだろ。座ってるし」
「そうだけど」
寝台で一日天井を見ているより、よっぽどいい。俺はペンを受け取り、エマが並べかけた丸の先にばつを書いた。
*
昼が近づき、借りた駒を返した。紙はエマがまたやりたいと言うので渡しておく。
「午後、どうする?」
レイナに聞かれ、俺は窓の外を見た。人が行き来している。町の中を歩くくらいなら大丈夫そうだが、遠くまで行く気にはなれない。
「昨日通った店、覗いてみるか。変な形の瓶があったところ」
「ああ、私も見たい。中に何が入ってるんだろうね」
「エマも行く?」
「私は革細工のお店に行きたいんだ。袋に小さいポケットをつけられないか、聞いてみようと思って」
宿の人に場所を教えてもらったという。細かいものを袋の底から探すのが大変なのは、昨日も感じたらしい。
「じゃあ、そっちから回るか」
「いいよ、二人で行ってきて」
エマは畳んだ紙をしまい、俺とレイナを見比べる。
「デートしてきなよ、デート」
「何だよ、その言い方」
「せっかく休みなんだし。私がずっと一緒じゃ、二人で出かけられないでしょ」
「別に、エマがいたって困らないよ」
レイナが言うと、エマは笑った。
「知ってる。でも私も、お店でゆっくり聞きたいことあるから。夕飯までには戻るね」
俺たちが返事をすると、エマは椅子を戻して階段へ向かった。レイナもバッグを取りに部屋へ上がり、俺は食堂に残る。
『デートだってよ』
「聞こえてたよ」
おっさんに返してから、卓の端に残っていたペンの蓋を拾った。
デート。
前にも、この関係のことをおっさんに聞かれた。そのときに、ちゃんと話すと答えたのも覚えている。あれから何日経っただろう。
今日、言おうか。
予定の一つみたいに考えた途端、腹のあたりが落ち着かなくなった。さっきまで遊んでいただけなのに、紙に書く順番を決めるのとはずいぶん違う。
「……今日、話そうと思う」
『そうか』
「そのときは、黙っててくれよ」
『おう』
それ以上は言われなかった。俺はペンの蓋を持って、自分の部屋へ戻った。
*
出かける前に、いつものシャツから持ってきた明るい色のものへ着替えた。左腕を袖へ通すときだけ手間取ったが、鏡で襟を確かめる頃には痛みも引いている。
レイナは階下で待っていた。青い上着を着て、バッグを肩に掛けている。ペンの蓋を渡すと、なくしたと思っていたと礼を言われた。
「歩くの、平気?」
「うん。疲れたら座りたいけど」
「じゃあ、近いところから見よう」
宿を出て、通りを並んで歩く。剣も防具も置いてきたので、腰が軽い。向こうから来た籠を避けると、レイナも俺のそばへ寄った。
肩が触れそうな距離だ。
いつもこのくらいだった気もする。気にしたことがないから、よく分からない。俺だけが妙に歩きにくくなっている。
「あれだよね、瓶」
「ああ」
店先には腹の丸い瓶が並んでいた。長い首が横へ曲がり、口のところを布で縛ってある。何に使うものか店の人へ聞くと、リンゴを使った酢だと教えてくれた。
「酒かと思った」
「飲まなくてよかったね」
「売り物を勝手に飲まないだろ」
使い道のない瓶を棚へ戻しても、すぐには店を出られなかった。次の棚へ目を移す俺に、レイナもついてきてくれる。
もう一軒、布や留め具を売る店へ寄ったところで腹が鳴った。今日は宿で昼飯を頼んでいない。
「先に食べようか」
「そうだな」
通りの角で丸い生地を鉄板に押しつけて焼いていた。焼けたものへ肉と刻んだ野菜を挟み、紙で包んで渡している。匂いにつられて並ぶと、おっさんが口を出した。
『肉が多い方にしようぜ』
「それ、別の値段だろ」
「何?」
「おっさんが、肉増やせって」
「今日は振り回されてないんだから、普通のでいいでしょ」
レイナに言われ、俺も普通のを頼んだ。おっさんの分まで食べる必要はない。
店の脇に長い腰掛けがあり、二人で座った。温かいうちにかじると、肉汁が紙へ染みる。レイナも両手で持ち、端から食べていた。
「おいしい。もうちょっと酸っぱくてもいいかも」
「さっきの酢、買えばよかったか」
「一本はいらないよ」
話していると、いつもの調子に戻れる。けれど会話が途切れれば、さっき決めたことが頭へ戻ってきた。
今は飯を食ってる。食べ終わってからでいい。
そう考えて、残りを口へ運ぶ。あと二口でなくなると分かった途端、急に食べるのが遅くなった。
*
包み紙を店の人へ返し、通りの先にあった広場へ移った。端には木陰があり、石を並べた腰掛けも空いている。まだ足を休ませたいと言うと、レイナも隣へ座ってくれた。
すねの布が気になって、ズボンの裾を直す。怪我をしたところより、心臓の音の方がよほど気になる。
「疲れた?」
「脚は、座れば平気」
「そっか。帰りにエマの分のお菓子でも買ってこうか」
「うん」
レイナは広場を挟んだ向こう側の店を見ている。軒先に菓子らしいものが並んでいた。
その横顔を見て、口を開く。
「レイナ」
「何?」
こっちを向いた。
それだけで、息が詰まった。
何て言おうとしていたんだっけ。ちゃんと考えてきたはずなのに、好きだという言葉しか出てこない。その前に何か話した方がいいのか。
いや、それを言うんだろ。
遠くで子供が笑っている。荷車の音も、人の話し声も聞こえるのに、レイナが次に何と言うかばかり気になった。まだ俺が何も言っていないのだから、返事があるわけもない。
「俺、レイナのことが好きだ」
言えた。
でも、これだけじゃ違う意味に取られるかもしれない。
「俺と、付き合ってほしい」
レイナは俺を見たまま黙っていた。
まつ毛が長い。
今まで知らなかった。光を映した目が丸くなって、半分開いた口までかわいく見えた。
あ。
腹の底が冷えた。今まで一緒にいたことと、そういう相手として見てもらっていることは別だ。そんなのは分かっていたはずなのに、急に顔が熱くなる。いや、血が引いているのか。自分でも分からなかった。
「え、いいよ」
返事が来た。
俺は口を開けかけたまま止まる。
「……いいの?」
「うん」
レイナは不思議そうに俺を見た。
「今言われるとは思わなかったけど」
「ああ。いや、俺も、今日言おうって決めたばっかりで」
何の説明をしているんだろう。もっと言うことがありそうなのに、頭の中がうまくまとまらない。
「そんな、あっさりでいいのか」
「あっさりって……嫌なら、いいよって言わないでしょ」
「そうだけどさ」
レイナはバッグを膝へ載せ直した。
「リンダムでも、ずっと同じ部屋で暮らしてたじゃん」
「うん」
「嫌な人と、あんなに一緒にいられないよ。着替えだってあるんだし」
「それは、昔から知ってるからかと思ってた」
そこまで言うと、レイナが俺の顔を見た。
「……それだけじゃないよ」
さっきより声が小さかった。
「私も、コータのこと好きだよ」
俺は手元へ目を落とした。指を握ってみて、ほどく。まだ胸の中がうるさいが、さっきとは違う。顔が勝手に緩んでしまう。
「そっか」
「うん」
「……よかった」
ようやく息を吐けた。レイナが笑う。
「そんなに心配してたの?」
「したよ。今、すごい緊張した」
「全然気づかなかった。足が痛いのかと思ってた」
それでさっきから、座れるところを気にしていたのか。俺は笑い、レイナもつられて笑った。
いつもの顔だ。なのに、さっきまでよりちゃんと見ていたくなる。
好きだと言ってくれた。
何年も一緒にいるのに、初めて聞いた。
おっさんは何も言わなかった。俺も今は、頭の中へ話しかける気にならない。
レイナがバッグの紐を肩へ戻す。
「そろそろ行く? 座ってたら、眠くなってきた」
「……ああ。菓子、買うんだっけ」
「そう。エマの分も」
立ち上がると、脚の痛みが戻ってきた。そっちは別に治っていなかったらしい。
*
宿へ戻ると、エマは食堂の端で袋を広げていた。横には小さな革の袋と紐が置いてある。
「おかえり」
「ただいま。それ、つけてもらえた?」
「縫うと高くなるから、紐で下げたらどうかって。ほら、これなら中で動かないでしょ」
見せてもらうと、袋の口の近くへ小袋が吊ってある。いちいち底まで手を入れずに取り出せそうだ。
「いいな。それなら俺も欲しいかも」
「お店、あとで教えるね。それで、二人は?」
レイナが菓子の包みを卓へ置いた。
「これ買ってきたよ。リンゴが入ってるって」
「ありがとう。……そうじゃなくて、デートは?」
俺はレイナを見た。彼女もこちらを見ている。これは言っていいんだろうか、と迷いかけて、隠すことでもないと思い直す。
「付き合うことになった」
エマの手が袋から離れた。
「えっ。今まで、違ったの?」
「そういう話は、してなかったから」
レイナが答えると、エマは俺たちを交互に見た。それから笑い、よかったねと言ってくれる。俺も照れくさかったが、ありがとうと返した。
椅子へ座って菓子の包みを開く。切り分けた四角い菓子が三つ。レイナが一つ取ると、エマも手を伸ばした。
「これ、手で食べていいの?」
「店の人はいいって言ってたけど。崩れるから気をつけて」
俺は皿を寄せてかじった。甘いリンゴの下に薄い生地が何枚も重なっている。端がぱらぱらと落ちた。
『お、うまいな』
「今は喋るんだな」
『もういいだろ』
思わず笑うと、レイナが何を言っているのか聞いてきた。菓子がうまいと言っていると伝えると、レイナも同意した。
「これ、もう一つ買ってくればよかったね」
「まだ半分残ってるだろ」
「あとで食べる分も欲しいんだよ」
エマが食べかけの菓子を持ったまま俺たちを見ていた。
「……二人とも、さっき付き合い始めたんだよね?」
「うん」
「いつもどおりすぎない?」
「そう?」
レイナは俺と目が合うと、嬉しそうに笑った。
「そうだよ。もっと、何かあるのかと思った」
何かと言われても、俺たちだって初めてだ。レイナは気にせず残りの菓子を食べ、俺の皿に落ちた欠片を指さした。
「こぼれてる」
「分かってる。あとで食べる」
エマが呆れたように息を吐き、おっさんが頭の中で笑った。
俺も欠片を拾いながら、口元が緩むのを止められなかった。
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