第19話 リンゴ泥棒
朝飯を済ませてギルドへ行くと、昨日の受付にいた女性が俺たちを覚えていてくれた。奥から髪を後ろで束ねた年配の男性が現れる。
「転移者に会いたいそうだね」
「はい。元の世界へ帰る方法を探してるんです。何か知ってる人がいればと思って」
男性は机に地図を広げ、メアゴンリから北へ伸びる道を指で辿った。
「こっちの町に、道具の修理をしている人がいる。本人から転移者だと聞いたよ。ここへもときどき、部品を買いに来る」
「今も、そのお店に?」
「先月会ったときはね。ただ、帰る方法を知っているかは分からない。そこは期待させても悪いけど」
「いえ。話を聞けるだけでも」
隣でレイナがメモ帳を開いた。店の場所と、町までの道を聞きながら書き込んでいく。
ようやく、会いに行けそうな相手が見つかった。
その人も帰れずに暮らしているのかもしれない。でも、ここへ来たときに何があったかくらいは聞ける。やっぱり俺たちと同じように、気づいたら草原だったのだろうか。
礼を言って受付を離れる。レイナが書き留めた町の名前を、俺も覗き込んだ。
ひとまず一週間くらいで帰ると伝えてきた。行ってみたいが、今日このまま次の町へ向かうわけにはいかない。まずはここで働いて、今夜も泊まれるようにしよう。
昨日見た依頼書の前へ戻る。リンゴ畑に入り込む魔物の駆除。その下に書かれた名前を声に出して読んだ。
「ウェアドッグ、か」
「知ってる?」
「いや。犬っぽい名前だなとは思うけど」
受付で尋ねると、男性が別の紙を出して説明してくれた。二本足で立つ犬のような魔物で果実や畑の作物を食べるらしい。今回見つかっているのは三匹。追い払おうとした畑の人に噛みついてきたため、手を出せずにいるそうだ。
「小柄だが、歯には気をつけて。逃げるものを追うと、ほかの一匹に横から来られることがある」
「畑から追い払うだけじゃ駄目ですか」
「戻ってきてしまうから今回は討伐を頼みたいと。数が違ったら、無理に続けず知らせてほしい」
エマには周囲を見てもらい、戦うのは俺とレイナだと伝えると、一度に囲まれないよう念を押された。畑は門から近く、依頼主が小屋で待っているという。
「これなら、やってみるか」
「うん。三匹が離れてるか、先に見よう」
レイナと相談してからエマを見ると、彼女は依頼書から顔を上げる。
「私、何を見てればいい?」
「俺たちが見てる相手以外に、動くやつがいないか。どこへ行ったか分からなくなったら、それも言って」
「分かった。見失ったら、すぐ言う」
今日使う小盾はここのギルドで借りた。左腕へ留め、帯を引いてずれないか確かめる。右手で剣を抜きかけても、手首に痛みはない。
『俺にも見せろよ。下ばっかり向いてたら、何も言えん』
「分かってる。見つけたら頼む」
エマが俺の顔を見たので、おっさんも一緒に見るつもりらしいと伝えた。
「じゃあ、四人で行くんだね」
『おう。よろしくな』
よろしく、とそのまま返すと、エマはようやく笑った。
*
畑の小屋では、日に焼けた男性が空の籠を重ねていた。依頼書を見せると作業をやめ、木々の向こうを指す。
「朝もいた。あの奥の方だ。実を取っては食って、食わないのまで落とすんだよ」
言われた方へ目を向けると、低い枝が揺れていた。ここからでは葉しか見えないが、その下の地面には赤い実がいくつも転がっている。
「普段、畑で働いてる方は?」
「今は小屋の方へ戻してある。終わるまでは入らない」
「お願いします」
男性は木の間を通る道を教えてくれた。小屋から奥へ続く広い通路には荷車も入る。その先は柵で囲まれ、林に面したところの板が外れているらしい。
俺たちは小屋の壁際へ荷物を置いた。エマも外套を畳んで袋の上へ載せると、腰の剣が引っかからないかを確かめている。
「抜いておいた方がいい?」
「まだいいよ。まず、どこにいるか見よう」
木の列に沿って進むと、熟れたリンゴの匂いがした。昨日は食べることしか考えていなかったが、一本の木にずいぶんな数がついている。これを全部、人が採るのか。
前方で葉が鳴った。
枝の下に、犬がいた。
茶色い耳が垂れ、口の先が突き出している。そこまでは知っている犬だったが、後ろ脚だけで立ち、前脚でリンゴを抱えていた。腹のあたりまで見える姿勢で、しゃくしゃくと齧っている。
背丈は俺の胸にも届かない。けれど、食べ終えた実を片方の前脚へ持ち替え、空いた方で次のリンゴを引っ張る動きが妙に慣れていた。
「……立ってる」
「犬がほんとに立ってるな」
隣のレイナも同じ顔をして見ている。
家にいた犬がこんなふうに冷蔵庫を開け始めたら嫌だな。そう思いかけて、隣の木にも一匹いることに気づく。こちらはしゃがんで、落ちた実を両方の前脚で押さえていた。
「三匹目、あそこ」
エマが小声で教えてくれる。奥の幹の陰に黒い背中があった。彼女は剣の握りへ手を置いたまま、俺たちの顔を順に見る。
「あれ、こっち向いてるよ」
リンゴを抱えていた茶色の一匹が食べるのをやめていた。口の端から実が落ち、唇がめくれる。太い牙が上下に並んでいた。
変な犬だとか言っている場合ではなかった。
剣を抜いて盾を前へ出す。レイナは俺の右へ離れ、エマは二人の間より後ろに立つ。
「エマ、木の間へ入らないで。下がるときはこの道で」
「うん」
茶色の一匹が吠えた。
すぐに左からも吠える声がして、しゃがんでいた一匹が立ち上がる。抱えていたリンゴを放り出し、前脚を広げながらこちらへ来た。
*
最初に飛び込んできたのは、茶色の方だ。
俺の剣へ前脚を伸ばしてくる。叩き落とそうとする爪を避け、切っ先を相手の顔へ戻すと、今度は口を開けて噛みつこうとした。
盾を間に入れる。歯が縁へ当たり、腕に重さがかかる。
近い。リンゴを食ってた口が、目の前にある。
押し返そうとして、横から来ていたもう一匹を見失う。
「左、回ってる!」
エマの声で顔を向ける。木の向こうを通った一匹が俺の左側へ出ようとしていた。
『そっちへ下がるな。道へ戻れ』
俺は盾に力を入れたまま、斜め後ろへ足を引く。茶色の一匹が追いすがるが、回り込んでいた方との間に距離ができた。
「レイナ、前のやつに風!」
「離して!」
盾を引くと、噛みつこうとした口が追ってきた。そこへ右からレイナの風が当たり、茶色い体が左へ流れる。
片脚が浮いた。逃さず肩口へ剣を振ると、前脚が下がった。まだ牙を向けようとする顔をかわし、首へ刃を通した。
倒れた一匹へ目が行きかける。
まだ二匹いる。
剣を引き戻すと、左にいた一匹は歯を剥いたまま止まっていた。俺の切っ先と、倒れた仲間を見比べている。
「黒いのが見えない!」
エマが言った。奥の木を見ても、さっきの背中はない。
「レイナ、寄って。エマも道の真ん中へ」
俺たちは木から離れた。幹の陰から飛びつかれるより、広いところで見た方がいい。レイナが下がりながら左手を上げると、目の前の一匹も身を引いた。
風が来ると思ったのか。まだ放っていないのに。
『さっきの風を見てたんだな』
「覚えなくていいのに」
勝手に言葉が出た。相手が何をしてくるか、こっちだって覚えているのだから同じことなのだろうが、ありがたくはない。
後ろで土を蹴る音がする。
「こっち!」
振り向くと、黒い一匹が反対の列から出てきていた。エマは抜いた剣を前に出し、後ろへ下がっている。腕は伸びきっているが、切っ先は相手へ向いていた。
そいつの足が止まる。
レイナがその横へ回ると、もう一匹も彼女を追おうとした。二匹を一緒に行かせるわけにはいかない。俺は盾を出して行く手を塞いだ。
「こっちは見てる!」
レイナが黒い一匹の足元へ風を放つのが横目に見えた。片脚が滑り、体を支えようと前脚が下がる。彼女がそこへ踏み込んで剣を振り下ろす間も、俺はもう一匹に盾を向けていた。
悲鳴のような鳴き声がした。
目の前の一匹が俺から離れようとする。剣を届かせたいが、追えばまた木の間へ入ることになる。俺は道を外れず、盾を構えたまま相手を見た。
そいつは幹を背にして止まり、歯を鳴らした。
「こっち終わった。コータ、そのまま」
右へ戻ってきたレイナが剣を構える。二人で離れて立つと、相手の顔が忙しく動いた。
レイナが左手を上げた瞬間、そいつは俺へ向かって飛び込んだ。
来るなら、こっちだと思った。
盾で顔を受け、片足を引いて体をずらす。横へ抜けようとする胴へ剣を入れると、盾に掛かっていた重さが落ちた。
膝をついた相手から一歩離れ、剣を戻す。
しばらくして、三匹とも動かなくなった。
*
「ほかには?」
「見えない。鳴き声も、今はしない」
レイナの返事を聞き、俺も木の列を見渡した。葉が風に揺れている。エマは剣を下げず、倒れた黒い魔物を見ていた。
「エマ、怪我してないか」
「してない。……近かった」
声に出してから息を吐き、ようやく剣を下げた。
「あそこで下がってくれて助かった。追いかけなくてよかったよ」
「振ろうかと思ったけど、届く気がしなくて」
「こっちからは、ちゃんと止めてくれてるように見えた」
レイナが言うと、エマは自分の切っ先を見た。俺も盾へ目を落とす。縁に歯の跡が残っている。あの口でリンゴを食べていたのかと思うと、さっきより嫌だった。
『回り込むやつ、見ておいてもらってよかったな』
「ほんとにな」
エマにも伝えると、彼女は困ったように笑った。
「途中、いなくなったけど」
「いなくなったって言ってくれたから、二人とも気にできたんだよ」
俺は剣を下げ、右手の指を握り直した。疲れてはいるが、傷めたところは痛くない。レイナも魔素酔いはないと言う。
犬が立っているところを見たときは変な気分だったが、戦えばやっぱり魔物だった。それでも今回は、誰かに前へ立ってもらわずに倒せた。三匹も。
よし。依頼主に知らせて、残っているやつがいないか一緒に確かめてもらおう。
小屋の方へ声をかけようとしたところで、奥から板の割れる音がした。
林に面した柵が内側へ傾いている。もう一度大きく揺れ、横板が外れた。その下から黒い鼻先が突き出す。
イノシシだった。
ただ、俺が知っている大きさではない。木の間へ入ってきた背中は俺の胸ほどもあり、太い胴が枝を押し広げている。口の両側から反った牙が生えていた。
そいつは地面のリンゴを一つ噛み潰してから、顔を上げた。
鼻がこちらへ向く。
『コータ、剣を下げるな』
俺は握り直した。盾の縁についた歯の跡が目に入る。
あれを、これで受けるのか。
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