第18話 リンゴの町
しばらく歩くと、後ろを振り返ってもリンダムの門は見えなくなった。
荷車は思っていたよりゆっくり進む。馬の脚に合わせて車輪が回り、荷台の縄が軋む。俺たちは最後尾の荷車の脇を歩いていた。
隣でエマが外套の袖口へ指を添える。折り返す必要のない袖を一度引き、それから手を下ろす。
「それ、マルタさんに持っていくって話したの?」
俺が尋ねると、エマは首を振る。
「ううん。勝手に持ってきちゃった」
「そうだったんだ」
「お父さんのもの、何か持っていきたくて。袖は折ればいいと思ってたんだけど」
エマは腕を少し伸ばしてみせた。手の甲がちゃんと出ている。俺が抱えて走ったときには、余った布を落とさないよう押さえるだけでも大変だったのに。
「着たら、この長さだった」
それきり、エマは黙った。
道の端に水たまりがあった。エマは裾を少し持ち上げて避け、乾いた土の上へ足を置く。向こう側へ渡ってから手を離すと、布は踵より上で揺れた。
俺とレイナもそのあとへ続いた。
*
いつもの採取へ向かう分かれ道を通り過ぎ、見たことのない畑の間へ入る。
街道の脇を、水を張った細い溝が走っている。向こうから荷車が来ると、先頭の商人が手を上げた。俺たちも端へ寄り、積まれた籠が通り過ぎるのを待つ。
林へ入るときとは違う。見えるところに人がいて、道の先からも人が来る。草が動くたび身構えなくていいだけで、ずいぶん歩きやすい。
それでも、休憩の声が掛かったときにはほっとした。歩き続けた脚が重い。
途中の村で休むとき、エマは道脇の石へ腰を下ろした。靴の先を浮かせ、足首を回している。
「採取より歩くね」
「あっちは、しゃがんでる時間もあるからな」
「帰りも同じだけ歩くんだよね」
「帰りのことは、今日考えたくない」
レイナが言うと、エマが笑った。俺も水を飲んでから、持ってきたパンを取り出す。
先頭を歩いていた護衛は、村へ入ってくる道を見ていた。もう一人と交代で食べている。俺たちが座っていられるのも、あの人たちが周りを見てくれているからだ。
出発前には、ずれた布の包みを三人で支え、商人に縄を締め直してもらった。休んだばかりの腕がもうだるい。
*
昼を過ぎてしばらくすると、道の両側に低い木が並ぶようになった。
枝の先に赤いものがある。近づくにつれて、一つや二つではないと分かった。葉の間にも、枝が重なった奥にも、丸い実がついている。
「ほんとにリンゴだ」
道の反対側には黄色っぽい実をつけた木が続いていた。柵の内側で人が籠を運んでいる。
『あれは、そのまま食えるのか』
おっさんまで食いついてきた。俺が返事を迷っている間に、前を歩く商人が振り返る。
「もうすぐ着くぞ。最初の倉庫で布を下ろすからな」
「はい」
危ない。もう着いた気になっていた。食べるのは荷物を下ろしてからだ。
木の列が途切れると、町を囲む壁が見えた。門の前には荷車が二台待ち、籠の中を確かめてもらっている。その脇を空の籠を背負った人が何人も通り抜けた。
メアゴンリ。
門の脇に彫られた文字を読む。レイナのメモで何度も見た名前の町についた。
門をくぐると、甘い匂いがする。すぐ近くの店で、切ったリンゴを大きな鍋へ入れていた。反対側には山盛りの果実。その向こうにも籠がある。
「すごいな。どこ見てもある」
「コータ、荷車」
レイナに言われて前へ向き直る。商人たちは通りを曲がろうとしていた。
俺は袋を背負い直し、置いていかれないよう足を速める。
布と道具を下ろし終え、商人から完了の印をもらってギルドへ向かった。三人で報酬を分けると、ようやく今夜の宿代を稼いだ実感が湧く。
「あの、転移者の方に会えないかと思ってるんですけど」
受付の女性が顔を上げた。
俺たちも転移者で、帰る方法を探していると話す。女性は帰り方までは知らないというが、奥の卓へ目を向けた。
「長くここに勤めている者なら、何人か知っているかもしれません。今日はもう帰りましたが、明日の朝にいらっしゃいますか」
「はい。お願いします」
帰る方法が見つかったわけではない。それでも、来て聞かなければ、その人を訪ねる約束もできなかった。
受付を離れる前に、明日受けられそうな依頼も見た。薬草の採取や荷運びのほかに、リンゴ畑に入り込む魔物の駆除がある。柵を壊され、実も荒らされているらしい。
今夜は休もう。相手や場所を確かめるのは、明日来てからでいい。
*
目当ての宿に空きはあった。
レイナとエマで二人部屋を使い、俺は隣の小さな部屋を取った。夕飯代も合わせて払うと、今日の報酬はほとんど残らない。寝台へ袋を下ろしたところで、ようやく肩が軽くなる。
服を着替え、靴の中へ入った土を払った。窓を開けると、通りの向こうでもリンゴを売っている。
『さっきの鍋、何を作ってたんだろうな』
「気になってたのか」
『そりゃ気になるだろ。こっちへ来てから、あんな匂いは初めてだ』
俺は窓枠へ肘を置いた。甘い匂いはこの宿の下からも上がってくる。
「夕飯にも出るって言ってたし、楽しみにしとけよ」
『夕飯を楽しみにする以外に、俺ができることあるか?』
「文句を言わずに待つこと」
扉が叩かれた。返事をするとレイナが顔を出し、後ろからエマも覗き込む。
「着替えた?」
「うん。もう下りる?」
レイナは返事をせず、俺のシャツを見ていた。
「何か変?」
「ううん。やっぱり、それ似合うね」
「そうか?」
「うん」
後ろからエマが部屋の中を覗く。
「今、誰かと話してた?」
俺はレイナを見る。彼女も俺を見てから、エマへ顔を向けた。
「コータ、まだ話してなかったよね」
「……うん。二人とも、ちょっと入って」
椅子をエマへ勧め、俺は寝台の縁に座る。何から言えばいいか考えて、結局そのまま話した。
「俺、頭の中に、男の人がいるんだよ」
エマが俺を見たまま止まる。少し待ったが、返事はない。
「俺にも理由は分からないんだけど。倒れたあと、目が覚めてから声が聞こえるようになって」
「頭の中って……今も?」
「今も。さっきは、夕飯の話をしてた」
エマはレイナへ顔を向けた。
「それ、大丈夫なの?」
今度は俺の方を見る。夕飯を食いたがっているから大丈夫、と言いかけたが、それでは説明にならない。
「私には聞こえないけど、知らなかった魔法の使い方を教えてもらったことはあるよ。コータに取り次いでもらって」
俺も、今まで勝手に体を動かされたことはないと付け加える。まだ分からないことは多いが、話はできる。
「その人にも、今の話は聞こえてる?」
『聞こえてるぞ。よろしくな』
「聞こえてるって。よろしく、だってさ」
「……よろしくお願いします」
エマは俺へ頭を下げかけ、途中でやめた。
「どこ見て話せばいいの?」
「俺にもよく分からん。今みたいに喋ってくれれば聞こえるよ」
レイナが笑った。
「私も最初、困った」
エマはもう一度俺の顔を見る。まだ納得したようには見えなかったが、部屋の中に誰かを探すのはやめた。
『挨拶も済んだし、飯にしないか』
俺は額へ手を当てた。
「何て?」
「飯にしないかって」
「……ずっと、その話してるの?」
「今日は特に」
エマが小さく吹き出した。レイナも笑いながら扉を開ける。
「じゃあ、続きは食べながらにしよう。私もお腹すいた」
*
食堂の卓につくと、深い皿に入った煮込みが運ばれてきた。
肉の間に薄い色をした塊がある。芋かと思って匙ですくうと、端に赤い皮が残っていた。
「これもリンゴ?」
「そうだよ。肉と一緒に食べてごらん」
宿の人に言われ、肉を崩して一緒に口へ入れる。
甘い。けれど、それだけではなかった。肉の脂と塩気のあとに、少し酸っぱい味が来る。柔らかく煮えた果肉がほどけ、次のひと口をすくいたくなる。
『うまいな、これ』
おっさんが言った。
「うまい」
「ね。肉と食べると違うね」
添えられたパンにも細かく切った果実が入っていた。焼けた端をちぎって食べると、こちらは甘い匂いが強い。
『そのパン、煮込みにつけてみてくれ』
言われるままパンを汁につけ、柔らかくなったところを食べる。
『ああ、こっちもいいな』
次はもう少し肉の汁を吸わせろと言い出す。俺はパンを持ったまま、小声で返した。
「自分の順番で食わせろよ」
エマが匙を止める。俺はパンを持ち上げた。
「つけろって。今度はもっと汁を吸わせろってさ」
「あ。その人が?」
「うん。おっさんは俺が食べた味も分かるんだよ」
エマはパンと俺の顔を見比べた。
「じゃあ、一人分で二人が食べられるんだ」
「俺が食べる順番に文句を言うやつが増えるけどな」
『うまいものを勧めてるんだろ』
そういうところだぞと思いながら、残りのパンを汁へ入れた。
皿を空にする頃、隣の卓へ小さな焼き物の器が運ばれていく。中にあるのは、丸いリンゴだった。上から匙を入れると、皮が裂けて湯気が上がる。
『あれだ。あれも食いたい』
来ると思った。
レイナもそちらを見ていた。エマと目を合わせ、俺へ顔を向ける。
「三人で一つ、頼んでみない?」
「私も食べたい」
夕飯とは別料金らしい。値段を聞いて二人を見ると、どちらも頷いた。
「じゃあ、一つ。匙も三本もらおう」
運ばれてきたリンゴは、芯のところに甘い汁が溜まっていた。レイナが匙で崩すと、表面がへこんで汁が流れる。
「熱そう。気をつけてね」
俺も端をすくって吹いた。食べると、煮込みとはまるで違う。柔らかい果肉の甘さに、少し焦げた皮の匂いが混じる。
『こっちもうまいな。真ん中は?』
「待てよ。俺ばっか食えないだろ」
二人が笑った。エマは自分の分を取ってから、真ん中に残っているところを指す。
「ここ、コータさん食べていいよ」
「おっさんに甘くしなくていいから」
「私もどう違うか聞きたいんだけど」
レイナまでそう言うので、俺は匙を伸ばす。
芯のそばは汁を吸って、さらに甘かった。おっさんも満足したように唸る。俺はそれを伝えてから匙を置き、椅子の背へ体を預けた。
「もう入らん」
『まだ、酒があっただろ』
「明日」
『一杯くらい』
「今日はもう終わり」
聞こえていないはずの二人にも、今度は何を話していたか伝わったらしい。
「明日のお楽しみだね」
レイナが言い、エマは空になった器を名残惜しそうに見た。
「帰ったら、お母さんにも話そう。リンゴが入ってる煮込み、おいしかったって」
「私たちも作り方、聞いてみようか」
そう答えたレイナを見てから、俺も頷く。外套のことを話したときには俯いていたエマが、今は台所の方へ目を向けていた。
明日はギルドで話を聞いて、リンゴ畑の依頼の相手も確かめよう。今日食べたものが採れるところなら、見てみたい。
階段を上りながらも、レイナとエマは煮込みの話をしている。俺は手すりへ手を置き、少し重くなった腹をかばって続いた。
『コータ。酒のことも忘れるなよ』
「分かってるって」
小声で返すと、前を歩く二人が振り返って笑った。
お読みいただき、ありがとうございます。
「面白かった」「続きが気になる」と思っていただけたら、ブックマークや☆からの評価をいただけるとうれしいです。
感想も楽しみにしています。




