第17話 少し遠くへ
エマと初めて採取へ行ってから、二週間ほどが過ぎた。
店の休みに合わせて外へ出る日もあれば、俺たちだけで稼ぎに行く日もある。仕事のない時間にはギルドの裏で剣を振り、エマにも握り方から教えた。
エマの木剣はまだ思ったところで止まらない。隣で振ってみせるうち、俺も自分の動きを確かめたくなった。
「そろそろ休もう。二人とも、ずっと振ってる」
レイナに言われてようやく剣を下ろす。エマも肩を回した。
「明日、腕が痛くなりそう」
「俺たちも最初はそうだったよ」
「最初だけだった?」
レイナに聞かれ、俺は考える。
「……今も、たまに」
エマが笑った。その指にも、握りの跡が赤くついていた。
採取では少しずつ俺たちの手を借りずに済むようになった。まだ見張りを一人で任せることはないが、採った草を全部見せてもらわなくても、迷ったものだけ確かめればよくなってきている。
「じゃあ、今日は先に帰るね。店の人に、午後ちょっと来られるかって聞かれてたから」
「うん。お疲れさま」
レイナに手を振り、エマは袋を肩へ掛ける。俺たちも道具を戻し、明日の仕事を見てから帰ることにした。
*
依頼の紙を眺めていると、薬草の募集の隣に荷運びの手伝いが貼ってあった。
行き先はメアゴンリ。
俺は紙へ顔を近づける。荷車に同行し、出発前と到着後の積み下ろしを手伝う仕事らしい。出発は三日後の朝と書いてある。
「レイナ。メアゴンリって、隣の町だったよな」
「うん。前に調べたところ。リンゴがおいしいんだって」
返事をしながら彼女も紙を読む。
「朝に出れば、その日のうちに着くって書いてたよ」
「これなら、向こうのギルドにも寄れるかな」
レイナの目が紙から俺へ移った。
「転移者のこと?」
「うん。ここで待ってても、なかなか会えないし」
帰る方法を探していることは、受付にも伝えてある。けれど、知っている人を紹介してもらえるような話はまだ来ていなかった。おっさんにも聞いたが、そもそも俺たちがどうやって来たのか分からないと言う。
隣の町へ行けば見つかるという当てもない。それでも、聞ける相手は増えるはずだ。
受付で尋ねると、護衛は別につく仕事だった。俺たちは積み下ろしや、道中で荷が緩んだときに手を貸せばいい。三人で報酬を分けるなら、エマも一緒に受けられるという。
彼女の返事を聞いてから申し込むことにして、出発の時刻を書き留めた。
*
宿へ戻ると、レイナは机の上でメモ帳を開いた。
「この辺に書いたんだけど……あった」
並んだ宿の名前の横に、小さな丸がついている。俺も隣から覗き込んだ。
「ここ、ご飯がおいしいって言ってたところ?」
「そう。二人で本を見たときの」
あのときは地図の線を辿るだけで、町まで歩くところまでは考えられなかった。今日は出発する朝と荷車の集合場所までメモしてある。
報酬は向こうで一泊して食べるくらいにはなりそうだ。長くいるなら、着いてからの仕事も要る。
「向こうで何日か仕事をしながら、人を探せるといいな」
「うん。ひとまず一週間くらいで戻るつもりにしようか」
まだ行ったことのない町だ。宿も仕事も、着いてからでなければ分からないところはある。俺は頷き、紙に書かれた食事の欄へ目を移した。
焼いたリンゴの菓子。リンゴを入れた肉の煮込み。それから、果実の酒。
『ちょっと待て。今のところ、もう一回見せろ』
おっさんが急に口を挟んだ。
「どこだよ」
『肉と煮るってところ。その下にも何か書いてあるだろ』
メモへ顔を戻す。リンゴを練り込んだパン、とレイナの字で書いてあった。
『いいな。そこの宿にしよう』
「お前、飯のところしか見てないだろ」
『寝る場所はお前らが決めればいいが、食う場所は俺にも関係あるからな』
レイナがこちらを見る。
「そこの飯を食べたいって。すごい乗り気」
「私も。わざわざ書いたんだし」
味方が増えたおっさんが早く行こうと言い出す。出発は三日後だと答えてから、俺ももう一度料理の名前を読んだ。
「肉とリンゴか。うまいのかな」
「おいしいんじゃない? 果物のソースとかあるし」
「そうか。甘いだけじゃないか」
向こうにいた頃、初めて入った店で何を頼むか迷うのも好きだった。知らない町へ行ったら、今の宿とは違うものも食べられるのだろう。
帰る手がかりは探したい。でも、それだけ考えて歩くのも惜しい気がしてきた。
*
その日の夕方に仕事の話をすると、エマはすぐに行きたいと言った。
店を何日か離れることになると伝えると、考えてから、明日話してくると答えた。
翌日の昼過ぎ、宿へ来たエマは座る前に俺たちへ頭を下げた。
「一緒に行かせてください」
「え、うん。お店は大丈夫だった?」
レイナに聞かれ、ようやく顔を上げる。
「頭、下げてきた。しばらく冒険者の仕事をしてみたいって。籍は残してもらえることになったから」
「戻ったら、また働けるってこと?」
「うん。教わったことを忘れないようにって言われた」
エマは椅子へ腰を下ろし、バッグを膝に置いた。
「計算も、忘れないようにしないと」
「買い物するたびに使うんじゃないか」
「それはそうだけど。お客さんを待たせないように計算するの、結構大変なんだよ」
話してから、笑った。エマが店のことを話すときの顔だ。
「お母さんには?」
俺が尋ねると、彼女はバッグの持ち手へ目を落とす。
「行き先も、戻る予定も話した。やめておきなさいって。それは変わらない」
レイナも黙って聞いていた。
エマが顔を上げる。
「それでも、行きたい。行ってみて、仕事をしてみたいんだ」
俺は昨日書き留めた依頼の条件を卓の上へ広げた。
「じゃあ、一緒に受けよう。荷物の積み下ろしもあるから、重かったら言って。無理に一人で持ち上げなくていい」
「うん。分かった」
エマの指が紙の端を押さえる。集合する場所を確かめ、持っていくものをレイナと話し始めた。
*
商人と顔を合わせ、三人で仕事を引き受けた。水袋と道中の飯も用意する。
出発前日には、俺とレイナからもマルタさんへ、仕事の内容と戻る予定を伝えた。
「あの子から聞いてるよ」
マルタさんはそう答えた。俺たちが持っていく水や食料の話には頷いたが、エマをよろしくとは言わなかった。
宿へ帰ると、荷物を床に広げた。部屋は出発の朝にいったん空け、旅に持っていかないものは、少しの預かり代で宿に置かせてもらうことにした。
レイナは畳んだ服を袋へ入れかけ、下にあるものを取り出した。あの休みの日に買った青い上着だ。
「それも持ってく?」
「町に着いたら着替えたいし。コータも、こっち持っていけば」
俺の荷物の脇に置いてあるシャツを指す。レイナに勧められて買った少し明るい色のもの。
「汚さないかな」
「歩くときは着なくていいんだよ。町に着いたら、宿で着替えれば」
「いつものでもいいけど」
「私は、そっち着てほしいな」
「じゃあ、持ってくか」
受け取り、畳み直して袋へ入れた。二人で服を選んでいたときは、今度どこへ着ていくかまでは決めていなかった。
明日の夜は知らない町でレイナと飯を食う。エマもいて、頭の中ではおっさんが注文をつけてくるのだろう。
袋の口を縛りながら、笑ってしまった。
*
翌朝、町の門の近くへ行くと、荷車が並んでいた。
商人に声をかけ、レイナと二人で積み込みを手伝う。箱は見た目より重く、一つ運ぶだけで腕がだるくなる。
エマが来たのは、残りが布の包みだけになった頃だった。
「おはよう。遅くなった?」
「いや、まだ時間前だよ。これ、一緒に持って」
彼女は背負っていた袋と、腕に抱えた布を脇へ置いた。俺と両端を持ち、包みを荷台へ上げる。
積み終えた商人が縄を締める間に、俺たちも自分の荷物を持った。門の外から風が吹き、汗の引きかけた首元が冷える。
エマが置いていた布を広げた。
外套だった。
見覚えのある留め具に目が止まる。エマは袖へ腕を通し、肩に掛かった布を直した。
ハロルドさんのものだ。
俺がそれに気づいたとき、エマの手が止まった。
袖口から出た自分の指を見ている。もう片方の手で袖の端へ触れ、それから裾へ目を落とした。
長くない。
ハロルドさんが着ていた外套なのに、エマが着ても地面を引きずることはなかった。肩も大きく余らず、手を下ろすと袖口が手首のところで収まる。
裾の折り返しに縫い目が一本増えていた。糸の色が周りより少しだけ新しい。
エマはしばらく裾を見ていた。それから留め具を留め、町の中へ顔を向ける。
何も言わなかった。
俺もそちらへ目をやった。いつもの通りが家々の間へ続いている。
「出るぞ」
商人の声がした。
エマが顔を戻し、袋を背負う。門へ向き直ったその背中に、一瞬、頼もしさを感じた。
レイナと目が合う。
彼女も何も言わず、俺は口を閉じたまま頷いた。
荷車の車輪が動き始める。エマがその脇へ歩き出し、俺とレイナも続いた。
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