第16話 面影
ギルドへ入ると、受付の前に見覚えのある後ろ姿があった。
エマだ。
声をかけようとして、腰に下がっているものに目が止まる。短い剣だった。肩には袋を掛け、上着の上から革の防具まで着ている。
「エマ?」
振り向いた彼女が俺たちを見つけ、顔を明るくした。
「おはよう。二人とも、今日も外へ行くんだよね」
「そのつもりだけど。その格好、どうしたの」
レイナの目も剣と防具を行き来している。
「揃えたの。まだ、少しだけど」
エマが腰の帯へ手を添える。その向こうで受付の女性が薄いカードを台へ置いた。
「こちらが登録証です。なくさないようにしてください」
「ありがとうございます」
エマが受け取って袋へしまうまで、俺はその手を見ていた。
隣のレイナが一歩近づく。
「昨日の話、大変だって分かってくれたと思ってたんだけど」
「分かったよ。草を見分けられるだけじゃ駄目で、周りも見なきゃいけないし、帰るときのことも考えないといけないんでしょ」
エマは俺たちを順に見た。
「危ないって聞いたから、何も知らないままやろうとは思ってない。分かってる人に教わりたいんだ」
話を聞いていなかったわけではない。けれど、その答えが今朝の登録になるとは思っていなかった。
受付の女性にも、外の仕事は経験のある人と始めるよう言われたらしい。
その言葉を聞いて、エマの顔がこちらへ戻る。
「コータさん、レイナさん。二人に教えてもらえないかな」
*
受付の脇へ移ると、エマは肩の袋を下ろした。
「それ、自分で買ったの?」
レイナが防具を見ながら尋ねる。エマは脇の帯に触れた。
「少し貯めてたお金で。新しいのばっかりは買えないから、使えるものを選んでもらった」
革の表面には細かな傷がある。袋の中には水袋と、布に包んだ食べ物も見えた。
昨日の帰りに思いついて、という格好ではない。
「剣は、使ったことある?」
「ないよ」
「教えるかはまだ分からないけど、抜くのは使い方を教わるときだけにしてね。自分の脚を切っても困るから」
エマは腰の剣を見下ろし、握りへ伸ばしかけた手を引っ込めた。
「うん。分かった」
今日は店の休みだという。エマが袋を閉じるのを見ながら、俺はレイナが言ったことを思い出した。教えることと、外へ連れていくことは違う。今だって、自信がついたわけではない。
隣のレイナを見ると、彼女も俺へ顔を向けていた。
「ちょっと、二人で話してもいい?」
「うん。待ってる」
エマを卓のそばへ残し、俺たちは奥の卓へと寄る。
腰を下ろすと、おっさんが声をかけてきた。
『その溝、何だ?』
「モリスっていう遊びに使うんだよ」
『遊び?』
「駒を並べたり動かしたりするやつ。三つ並べると相手の駒を取れてさ」
「コータ、今その話?」
レイナに言われ、顔を上げる。
「ああ、ごめん。おっさんが気になるって」
『あとで教えてくれよ』
「あとでな」
レイナがエマの方を見た。
「教えるなら、一人ずつついて、その間はもう一人が周りを見る?」
「うん。ただ、自分たちの採る量は減るな」
『最初から増やすつもりで行くこともないんじゃねえか』
おっさんの声で、肩の袋へ目を落とす。今日は教える日と決めてしまえばいい。昨日と同じ草地で、早めに帰る。
マルタさんへは、帰ってから俺たちも話しに行こう。レイナとそう決めて、エマの待つ卓へ戻った。
*
「今日は昨日俺たちが行ったところで薬草を採る。それなら、一緒に来てもいい」
エマの手が袋を握った。
「本当に?」
「でも町の近くだし、長くはやらない。剣で魔物を倒す練習もしないよ」
「うん。ありがとう」
レイナも隣から声をかける。
「途中でも、帰ろうって言ったら帰るからね。たくさん採れてなくても」
「分かった。ちゃんと聞く」
「お母さんには、外へ出るって伝えてある?」
「ギルドへ来るとは言ってあるけど、場所はまだ」
「じゃあ、先に伝えてきて。俺たちと一緒に行くことと、場所と、昼過ぎには戻ること」
レイナがメモ帳で草地までの道を示す。エマが家へ向かったあいだに、俺たちは受付で昨日と同じ依頼を受け、今日は彼女に教えながら採ると伝えた。
戻ってきたエマから、母へ同行者と行き先を話したと聞く。歩くと剣の鞘が膝へ当たっていたので、帯を一緒に直した。
レイナが自分の袋を背負い、俺はエマが歩き出すのを待った。
ギルドの扉を抜けたところで、振り返る。
レイナと、その少し後ろにエマがいる。
昨日までは、こんな並びで歩くと思っていなかった。
*
町の門を出ると、エマは道の先を見て、それから足元へ目を落とす。
歩きながら何度も周りを見るので、こちらも気になる。
「何かいた?」
「ううん。何もいないか、見てた」
エマは袋を掛け直し、照れたように笑った。
「昨日、二人が話してたから」
「足元も見てね。石に乗ると、足をひねるから」
レイナが道のくぼみを避ける。エマも同じところを通り、俺たちのそばを歩いてきた。
草地へ着くと、俺は二人に待ってもらい、まず周りを見た。街道へ戻る方にも何もいない。昨日採った場所の隣に、目当ての草も残っている。
「最初、俺が教えてもいい?」
「うん。私、見てる」
レイナが立つ場所を確かめてから、エマと一緒にしゃがんだ。
俺が一枚の葉を裏返すと、彼女も顔を近づける。
「今日はこれを採る。似てるのがあるから、そっちも一緒に見よう」
すぐそばに生えているもう一本を示す。エマは両方を見比べ、首を傾けた。
「こっちも、茎は赤いんだね」
「うん。色だけで決めると間違える。葉の裏も見て」
エマが手を伸ばし、途中で止める。
「これは触って大丈夫?」
「大丈夫だよ。分からないことは聞いてね。分からないまま手を出す方が大変なことになるから」
言ってから、ギルドの卓で聞いた声を思い出した。
レイナを見ると、彼女もこちらを見ている。口元へ寄せた指の陰で、笑いをこらえていた。
俺は咳払いし、葉へ目を戻した。
「採るのは、裏が白くない方の育った株だけ。根は残しておくんだ」
一本摘んで見せると、エマも隣の草を裏返し、確かめてから採って差し出した。
「うん。それでいい」
彼女は袋の底へそっと草を置く。
「採れた」
小さな声だったが、嬉しそうなのは分かった。俺も最初の一本を袋へ入れたとき、安心した覚えがある。
確かめてやるたび、自分が採ろうとしていた株を見失う。エマの袋は増えていくが、俺の方はほとんど空だった。
「レイナ、そろそろ代わろうか」
「うん」
立ち上がった俺と入れ替わり、レイナがエマの隣へしゃがむ。
「今日は確かめながらでいいよ。間違ったのが混じる方が困るから」
聞き覚えのある言葉に、俺はレイナを見た。さっきは俺を見て笑っていたけど、そっちも同じじゃないか。
目が合うと、レイナも口元を緩めた。それからエマの差し出す草へ顔を戻す。
俺は二人から少し離れ、周囲を見渡した。
*
エマが一度立ち上がったとき、歩き出す前に膝へ手を当てた。
「脚、疲れた?」
「少し。お店だと立ってることが多いから、しゃがみっぱなしは慣れてなくて」
エマは答えてから、まだ草の残っている方を見た。
「でも、もうちょっと採れるよ」
俺はレイナを見る。彼女もエマの脚へ目をやってから、こちらへ頷いた。
「今日はこれくらいにしようか」
「もう帰る?」
「うん。帰りも歩くからね」
エマは袋の中を一度見た。口を閉じ、紐を結ぶ。
「分かった」
「歩き出す前に、少し休もう」
レイナが水袋を示す。エマも腰を下ろして水を飲み、俺たちはしばらく休んでから袋を持ち上げた。
帰り道では行くときよりエマの歩幅が小さかった。俺たちも速さを合わせ、町の壁へ向かう。
門をくぐってから、俺はようやく剣の握りから手を離した。
*
ギルドではエマの採った草も一緒に確かめてもらった。
受け取ってもらえると分かった途端、隣で小さく息を吐く音がした。エマだ。受付へ出したときから、ずっと草の束を見ていたらしい。
報酬を受け取り、採った分を確かめながら分ける。エマは自分の前に置かれた硬貨へ指を伸ばし、裏返してから財布へしまう。
「お店で受け取るのと、ちょっと違うね」
「違う?」
「これが、あの草の分なんだと思って」
袋の底を覗き、残っていた葉の欠片を拾う。エマはそれを指の上へ載せて眺め、それから袋の口を閉じた。
「二人とも、今日はありがとう」
このあとマルタさんのところへ行くと伝えると、エマは掲示板を見てから帰ると言った。
「お母さんとは、帰ったら私も話す」
俺たちは先に二人で行くことにした。
袋を持って立ち上がる。採り方を教えているあいだは、目の前のことに精いっぱいだった。
今から何を話すかは、門を出る前よりはっきりしている。けれど、あの家の扉を叩くことを考えると、歩き始めるまでに時間がかかった。
*
扉を叩くと、中で椅子を引く音がした。少し待ってから、マルタさんが顔を出す。
「おかえり。……エマは?」
「ギルドにいます。依頼の紙を見てから帰るって。三人とも、怪我はありません」
レイナが答えると、マルタさんの手が扉から離れた。
「そう。二人とも、上がって」
俺たちを中へ入れ、食卓に載っていた布をまとめて脇へ置く。いつもの椅子を勧められたが、俺は座る前に口を開いた。
「今日、エマと一緒に外へ行きました。俺たちが教えると決めて。先にこちらへ相談に来なくて、すみません」
「朝、あの子から聞いたよ。二人と一緒だって。場所も」
マルタさんは水差しを持ってきた。俺とレイナの前へコップを置き、水を注いでくれる。
「それで、どうだったの」
責めるような声ではなかった。だからといって、これで話が済んだとも思えない。俺は椅子へ腰を下ろし、足元に袋を置いた。
行った場所と、交代で周囲を見ながら教えたことを話す。分からない草には手を出す前に聞いてくれたと伝えると、マルタさんはコップへ添えた指を止めた。
「もっとやるって、言わなかった?」
俺は迷った。
「言いました。脚が疲れてきたときに、もう少し採れるって。でも、帰ろうと言ったら袋を閉じてくれました」
マルタさんはコップへ目を落とした。
「そう。しゃがんで仕事なんて、慣れてないからね」
草が売れたことを伝えると、マルタさんは俺たちの袋を見た。
「教えながらじゃ、自分の手が止まったでしょう」
棚から小さな金の袋を持ってこられて、俺は慌てた。
「今日は俺たちが考えて一緒に行ったので。お金は、大丈夫です」
「二人だって生活があるでしょう」
昨日も今日も、部屋代まで十分に稼げたわけではない。助かるのは確かだ。それでも、このために報告に来たわけではなかった。
「はい。俺たちだけで稼ぐ日も作ります。エマにも、そこは話します」
マルタさんはしばらく袋を持っていたが、やがて自分の前へ置いた。
「無理はしないでね」
俺は頷き、水をひと口飲む。採取から戻って喉が渇いていたはずなのに、それまで一度も口をつけていなかった。
「昨日、エマに話してくれたんだってね」
マルタさんの声にコップを下ろす。
「あれで少しは考え直すかと思ったんだけどね」
「俺たちも、そう思ってました。分かったと言ってくれたので」
「今朝はもう、ちゃんと教わるからって」
マルタさんが短く息を吐いた。
「こうなると止まらないんだよね。……若い頃のあの人も、そうだった」
俺は顔を上げる。
「ハロルドさんも、ですか」
「止めても、どうしたら行けるかって話になるんだよ」
ハロルドさんまでそうだったと言われると、すぐには結びつかない。
「俺たちには、いつも無理するなって」
「昔は、もう少し困る人だったんだよ」
マルタさんは笑った。
「……エマが生まれるまではね」
コップに掛けていた指が止まる。レイナも何も言わなかった。
マルタさんは俺たちの顔を見てから、手元の布の端を折り直した。
「今のは、エマには言わないでよ」
「……はい」
それ以上、昔のことを尋ねる気にはなれなかった。
ハロルドさんは、俺が先に手を出そうとすると止め、慌てていると待たせた。その人にも誰かに止められていた頃があったのか。
見てみたかった。
帰り際にも、二人とも怪我はもういいのかと聞かれた。俺たちは礼を言い、家を出る。
通りを歩きながら、俺はレイナへ顔を向けた。
「これからのこと、もう少し話した方がよかったかな」
『今日は、そっとしとこう。あの人も、お前たちがエマのためにしたことは分かってるさ』
俺は小声で聞き返す。
「そう思うか」
『話はちゃんと聞いてくれたんだ。今すぐ返事まで欲しがらんでもいいだろ』
返事を求めに来たつもりはなかった。それでも、何か言ってもらえれば安心できると思っていたのかもしれない。
俺はレイナへ顔を向け、おっさんに言われたことを伝える。彼女は考えてから頷いた。
「エマも、帰ってから話すって言ってたしね」
「うん」
前から来た荷車を避け、二人で道の端へ寄る。通り過ぎるのを待つ間、俺はさっきのマルタさんの言葉を思い出していた。
「ハロルドさん、若いときはどんなだったんだろうな」
「今朝のエマみたいに、教わればいいんでしょって言ってたのかな」
レイナの返事に笑いそうになる。
「あの人が?」
「だって、止められなかったんでしょ」
そんなふうに言い返すハロルドさんを想像すると、少しだけエマと顔が重なった。
『俺も、話してみたかったな。その先生と』
おっさんが言った。
俺たちの話しか聞いていないおっさんにも、そう思ってもらえたのが嬉しかった。俺は前を向いたまま答える。
「うん。会わせたかったよ」
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