第14話 外へ出たい
エマと落ち着いて話せたのは、それから一週間ほど経ってからだった。
顔を合わせても、あの朝に言いかけた話は出てこなかった。今度はエマの方から声をかけてきた。
「今日、うちに寄れる? お母さんもいるんだけど」
「うん。午後なら大丈夫だよ」
レイナが答えてから俺を見る。
「俺も空いてる。手もだいぶよくなったし」
「よかった。じゃあ、待ってるね」
歩くたびに胸をかばうことはなくなり、食事も右手でできるようになった。
まだ思いきり剣を振るのは怖いが、いつまでも宿で休んでいるわけにもいかない。そろそろギルドへ顔を出そうかと、レイナとも話していたところだ。
*
昼飯を済ませてから訪ねると、エマは扉を開けてすぐ、俺の手元へ目を向けた。
「その袋、持つよ」
「大丈夫。重くないから」
店で買ってきた小さな焼き菓子の包みを渡す。いつも食べさせてもらっているので、今日は何か持っていこうと二人で選んだものだ。
「ここの、私も好き。ありがとう」
包みを開きかけてから、エマは食卓の方を振り返った。
「お母さん、お菓子もらったよ」
「あら、気を遣わなくていいのに。二人とも、座って」
マルタさんが棚から器を出してくれる。エマも小皿を取り、菓子を四人分に分け始めた。割れたものを自分の皿へ置くのを見て、レイナがそちらへ手を伸ばす。
「私、それでいいよ。少しずつ食べたいし」
「じゃあ、半分ずつにしよう」
エマが欠片を分け、向かいへ座る。俺の前にも皿を寄せてから、膝の上で両手を重ねた。
まだ手をつけずにいるのを見て、俺も菓子から手を離す。
「この前、話があるって言ってたよね」
「うん」
エマは母親を一度見た。マルタさんは器を置き、娘のそばへ座る。
「私、冒険者になりたいんだ」
すぐには返事が出なかった。
隣のレイナもエマを見たまま動かない。
「冒険者って、ギルドに登録して?」
「うん。町の外へ出て、仕事をしてみたい」
レイナの問いにエマははっきり答えた。俺たちの顔を順に見てから、もう一度母親へ向き直る。
「昨日、お母さんにも話したの。二人にも聞いてほしくて」
「私はやめておきなさいって言ってるんだけどね」
マルタさんは菓子の載った皿を脇へ寄せた。
「今のお店は……」
「辞めるつもりはないよ。お休みの日からでも、少しずつ覚えたい」
「仕事が嫌になったわけじゃないの?」
レイナが尋ねると、エマはすぐに首を振る。
「お店も好き。できることが増えると嬉しいし、お客さんと話すのも楽しいよ。でも、外のことも知りたい」
「何か、やってみたい仕事があるの?」
「最初は、二人がやってた薬草採りとか。何ができるか、まだ分からないから」
エマはテーブルに置いた指を動かした。
「前に、魔物を倒した話をしてくれたでしょ。お父さんはどこに立ってたのかとか、どうやって教わったのかとか」
「うん」
「もっと聞きたかったんだ。私、お父さんが働いてるところって、見たことなくて」
コップを魔物に見立て、俺たちの位置を確かめていた日のことを思い出す。あのときは、初めて倒せたのが嬉しくて同じところを何度も話してしまった。
「家では泥だらけで帰ってきて、疲れたとか、靴が駄目になったとか、そんなことばっかり言ってたから。二人に教えてる話を聞いて、ちょっと羨ましかった」
エマはそこで笑おうとして、やめた。
「私も教わってみたかったなって。今になって、余計に思う」
宿で話しかけてきたときも、これを言いたかったのか。俺たちは父親を思い出してつらいのだろうと、それ以上聞かなかった。
マルタさんが膝の上の手を組み直す。
「エマ。お父さんがどうしてお店を紹介したか、分かってるでしょう」
「分かってる」
「危ない仕事をしなくても暮らせるように、計算を習わせて、お店の人にも頼んだんだよ」
「うん。だから、お店を辞めるとは言ってないよ」
「続けていればいいって話じゃないでしょう。外へ行けば、その日は危ない目に遭うかもしれないんだから」
エマは口を閉じた。皿へ落としていた目を上げ、母親を見る。
「剣も魔法も覚えたい。仕事だって、簡単なものからなら始められるでしょ」
「簡単だと思うの?」
「そうは言ってないでしょ。いきなりお父さんと同じことをしようとは思ってないよ」
返事が速くなった。
マルタさんは頷かない。エマもこちらを見なくなり、二人が向き合う形になった。
「お父さんは、何年この仕事をしてたと思ってるの」
エマの肩が小さく動いた。
「あの人だって帰ってくるために、いつも準備してた。それでも帰ってこなかったんだよ」
「……分かってるよ」
「分かってるなら、どうして今、そんなことを言うの」
俺は器へ伸ばしかけた手を戻した。
「今じゃなければ、いいの?」
エマの声が低くなる。
「しばらく待てば、話を聞いてくれる? 練習したら、考えてくれる?」
「私は、わざわざ危ない仕事を選ばなくていいと言ってるの」
「じゃあ、いつ言っても同じじゃない」
マルタさんが息を吸った。何か言おうとしたが、その前にエマが続ける。
「お父さんが心配してくれてたのは知ってる。お母さんも。でも、私がやってみたいかどうかは、聞いてほしい」
「聞いてるでしょう。聞いたうえで反対してるんだよ」
エマは椅子の縁を掴んだ。
「お父さんがいなくなったから、何もしちゃいけないの?」
「そんなことは言ってないよ」
「でも、お父さんが嫌がってたからって言われたら、私、何も言えなくなる」
マルタさんの口が閉じた。
壁には持って帰った外套が掛かっていた。縫い目のそばに細かな傷がある。あれを抱えて走っていたときは、町で本人に返せると思っていた。
マルタさんは誰に言うでもなく呟く。
「……あの人がいないのに、あんたまで帰ってこなかったら、私はどうしたらいいの」
エマの指が椅子から離れる。
「死にたいわけじゃない」
「私も分かってるよ。お父さんだって、死ぬつもりで出ていったわけじゃない」
俺もレイナも、何も言えなかった。
エマは母親の顔を見ている。何度か唇が動き、ようやく声が出た。
「……私も、教わりたいんだよ」
その目が俺たちへ向いた。
「コータさんたちは、また外の仕事をするんだよね」
「……うん。そのつもりだけど」
「私にも、教えてもらえないかな」
隣でレイナが息を止めたのが分かった。
「二人がお父さんに教わったことからでいいの。道具のことも、どこを歩くかも、ちゃんと聞くから」
頼まれた途端、俺が前に立ち、後ろに二人がいるところを考えてしまう。右手首を押さえた。鉈を持った男の前で、立つこともできなかった手だ。
「俺は一緒に行けば大丈夫、とは言えない」
自分が思っていたより硬い声が出た。
エマは俺の手元へ目を落とし、顔を上げる。
「危ないときは言うことを聞く。二人の邪魔にならないようにするから」
「そうじゃなくて。俺たちだって、ハロルドさんに助けてもらったんだ」
口にすると、マルタさんの方を見るのがつらかった。
「あの日も、薬草を採りに行ってた。いつもの場所だったし、変だと思って帰ろうとしてた。それでも魔憑きに会って」
エマは黙って聞いている。俺は手首から手を離した。
「ハロルドさんが残ってくれたから、逃げる時間ができた。俺たちだけで何とかできたわけじゃない」
レイナが膝の上で手を握った。
「私たちも、まだ教えてもらってる途中だったんだよ」
エマは頷きかけたが、途中で止まる。
「だから、教えられない?」
今すぐ、そう答えればいい。マルタさんだって、それを望んでいるだろう。
けれど、レイナは考えてから口を開いた。
「覚えたことを話すのと、一緒に外へ連れていくのは、私たちにとっても違うから。今ここで、いいよとは言えない」
マルタさんがこちらへ向き直った。
「ごめんね。こんなことを頼むつもりで呼んだんじゃないんだよ」
「お母さん。頼んだのは私だよ。それに、呼んだ理由を勝手に決めないで」
「二人だって困ってるでしょう」
「分かってる。だから、私がちゃんと聞きたいの」
エマが俺たちを見た。
「今すぐ連れていってとは言わない。怪我だって、まだ治ったばかりだし。何から始めたらいいかだけでも、考えてもらえないかな」
これ以上聞いたら、期待させることになるかもしれない。そう思って、返事が遅れた。
「エマ」
マルタさんが強く娘の名を呼んだ。
「今日は、もうここまでにしよう」
「まだ、話してるところだよ」
「私も聞いたよ。二人にも聞いてもらった。すぐに返事をもらわなくてもいいでしょう」
エマは何か言いかけ、母親の顔を見て口を閉じた。
皿の上には菓子が残っている。さっき分けた欠片にもまだ手がついていなかった。
「……ごめん。来てもらったのに」
エマが俺たちへ頭を下げる。
「ううん。話してくれてありがとう」
レイナは答えたが、その先は続けなかった。俺も外套の方へ顔を向けかけ、やめる。
*
帰り際、エマは扉まで送ってくれた。
マルタさんは食卓の器を集めている。俺たちが礼を言うと、こちらを見て頷いてくれた。
「気をつけて帰ってね」
「はい。お邪魔しました」
外へ出てから振り返ると、エマは扉に手を掛けたまま立っていた。
「また、話してもいい?」
「うん」
それには頷けた。
レイナも頷いてから手を振った。エマが家へ入り、扉が閉まる。少し歩くまで、俺たちは話さなかった。
「俺たちを逃がしてくれた人の娘を、今度は俺たちが外へ連れていくんだぞ」
言いながら、足が遅くなった。あの家の空いた席を、もう一つ増やすかもしれない。
「でも、エマが自分で覚えたいっていうのも、分かるんだよね」
レイナが足元を見ながら言う。
「私も、何もできないままでいたくなかったし。ハロルドさんが教えてくれたの、嬉しかったから」
俺だって同じだ。初めて魔物を倒せたときのことを、エマにも得意になって話した。
『お前ら、二人だけで外の仕事をしたことはあるのか』
おっさんが口を挟んだ。
「いや。外へ出るときは、いつもハロルドさんがいた」
『そうか。そりゃ、すぐ返事なんかできんわな。お前らも、これからだろ』
「……そうなんだよな」
レイナにもおっさんに聞かれたことを伝える。彼女は考えてから頷いた。
「まず、二人で仕事に戻ろうか」
「うん。近いところからね」
手首がどこまで動くかばかり気にしていた。ハロルドさんがいなくても、教わったとおりにやればいいと思っていた。
エマに何を言えるのか、俺たちだけで外へ出てみてから考えたい。
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