第6章 ミルソン家へ
ある日の朝
ドレッドは、ミルソン家の前に立っていた。
カカオ独占の話をしに来たわけではない。
今日、ドレッドがここへ来た目的は別にあった。
――チョコレートの製造方法についてだった。
ヴァルデン家には、すでに何人もの職人が集まっている。
しかし、納得のいくチョコレートは、まだ作れていなかった。
形にはなる。
食べることもできる。
だが、父ベルミンとハスパーが長い年月をかけて研究し、ようやくたどり着いたチョコレートには遠く及ばない。
味も、香りも、口当たりも違う。
「……これでは駄目だ」
ドレッドは何度も試作品を口にした。
職人たちも懸命に研究している。
それでも、思うようなものは完成しなかった。
そこでドレッドは、一つの場所に目を向けた。
――ミルソン家。
そこには、父ベルミンと共に研究を重ねてきたハスパーがいる。
ハスパーなら、どうすれば良いチョコレートを作れるのか知っているはずだ。
ドレッドは、ミルソン家の扉を見つめた。
カカオを集めるだけでは足りない。
チョコレートそのものを、もっと良いものにしなければならない。
そのためには――
ハスパーの知識が必要だった。
ドレッドはゆっくりと扉を叩いた。
「……ハスパーさんと話をさせてくれ」
しばらくして、扉が開く。
そこに立っていたのは、ハスパーだった。
「……ドレッド?」
「どうした? こんなところまで」
ドレッドは、ハスパーをまっすぐ見つめた。
「ハスパーさんに、お願いがあります」
「私に?」
「はい」
ドレッドは、はっきりと言った。
「チョコレートの製造方法を教えてください」
ハスパーは、しばらく黙ってドレッドを見つめた。
「……なぜ、私に聞く?」
「え?」
「チョコレートのことなら、ベルミンに聞けばいいではないか」
ハスパーは続けた。
「お前の父親と私は、長い間二人で研究してきた。ベルミンなら、私と同じように知っているはずだ」
ドレッドは黙って聞いていた。
「それに――」
ハスパーの表情が少し険しくなる。
「私たちはライバルだ」
「……はい」
「そんな私が、簡単に製造方法を教えるわけにもいかないだろう」
ドレッドは少しだけ目を伏せた。
しかし、すぐにハスパーを見た。
「それじゃ、ダメなんです」
「……何?」
「ハスパーさんに聞くから、意味があるんです」
ドレッドは、まっすぐに答えた。
「父さんとハスパーさんが長い時間をかけて作り上げたチョコレートだからこそ、ハスパーさんに教えてほしい」
そして、ドレッドは深く頭を下げた。
「お願いします」
ハスパーは何も言わなかった。
ドレッドは頭を上げる。
そして、もう一度頭を下げた。
「お願いします」
それでもハスパーは答えない。
ドレッドは、さらに深く頭を下げた。
「……頼みます。ハスパーさん」
普段のドレッドなら、人に何度も頭を下げることなどない。
自分の商才に強い自信を持ち、自分の考えを曲げることもほとんどなかった。
だが、今だけは違った。
ドレッドは、本気でチョコレートを完成させたかった。
ハスパーは、何度も頭を下げるドレッドを見つめていた。
しばらくして、ハスパーが口を開いた。
「……分かった」
ドレッドが顔を上げる。
「ついてきなさい」
ハスパーはそう言うと、ミルソン家を出た。
ドレッドも後を追う。
二人が向かったのは、町の外れにある古い建物だった。
そこは、チョコレートが完成する前――
ハスパーとベルミンが、長い年月をかけて研究を続けていた場所だった。
しかし、その場所をドレッドは知らなかった。
建物の前で、ドレッドは足を止める。
「……こんな所、知らないぞ」
ハスパーは何も答えなかった。
ただ、建物の入口へ向かう。
そして、そこにある大きな扉に手をかけた。
ギィィ……。
重い扉が、ゆっくりと開いていく。
中には、古びた机や棚が並んでいた。
そこには、二人が長い年月をかけて研究してきた資料や、チョコレート作りに使っていた道具が残されていた。
カカオを砕くための道具。
混ぜるための器具。
何度も書き直された研究資料。
そして――
ドレッドが集めた職人たちが、今使っているものとは違う道具もいくつか置かれていた。
ドレッドは辺りを見回す。
「……こんなものまで使っていたのか」
ハスパーは、部屋の奥を見つめながら静かに口を開いた。
「ここに入るのは、久しぶりだな」
そして、少し間を置いて続ける。
「私とベルミン以外の者が入るのは、初めてだ」
ドレッドは驚いた表情でハスパーを見る。
この場所には、自分の知らない父とハスパーの研究の歴史が残されていた。
ハスパーは、並べられた資料や道具を見つめながら、静かに口を開いた。
「すべてを教えられるわけではない」
ドレッドが顔を上げる。
ハスパーは、古い資料の一つを手に取った。
「だが……これが答えだ」
ドレッドは驚いた。
目の前に並ぶ資料や道具を、一つ一つ確かめていく。
そして、すぐに懐から紙を取り出した。
資料に書かれていることを読み、道具を手に取り、使い方を考える。
ドレッドは夢中になってメモを取った。
「この方法なら……」
「なるほど……そういうことか」
しばらくして、ドレッドは顔を上げた。
「ハスパーさん、ありがとうございます」
ハスパーは静かに答えた。
「私は、すべてを教えたわけではない」
「後は、自分でたどり着いてみなさい」
ドレッドは、その言葉を胸に刻むように頷いた。
そして、もう一度資料へ目を向けた。
一通り資料や道具を見終えると、ドレッドはハスパーに頭を下げた。
「ありがとうございました」
そう言って、研究場所を後にする。
ドレッドは帰路についた。
歩きながら、頭の中では先ほど見た資料や道具のことを何度も思い返していた。
一方、研究場所に残ったハスパーは、遠ざかっていくドレッドの背中を見つめていた。
「……」
ハスパーは、まだ違和感を感じていた。
ドレッドは賢い。
商売のことだけではない。
物事を見て、考え、そこから先を読む力がある。
だからこそ――
「……何を考えているんだ?」
ハスパーは、小さく呟いた。
ドレッドが本当に欲しかったものは、チョコレートの製造方法だけなのだろうか。
ハスパーの胸には、そんな疑問が残っていた。




