第5章 疑念
ヴァルデン家によるカカオの買い付けは、日に日に大きくなっていた。
高い買い取り価格。
長期にわたる契約。
そして、安定した取引。
多くの商人にとって、それは魅力的な条件だった。
しかし、その動きを遠くから見ている者たちの中には、少しずつ疑問を抱く者も現れていた。
その一人が、アルベルトだった。
アルベルトは、カカオを扱う商人の一人だった。
ミルソン家とは昔から付き合いがあり、ハスパーとも親しい。
一方で、ヴァルデン家とは昔から折り合いが悪かった。
だが、アルベルトとドレッドの関係は少し違っていた。
ドレッドとは、これまで何度か仕事を共にしたことがある。
ドレッドにとって、アルベルトが最も信頼できる相手だったわけではない。
それでもアルベルトは、商人として信用できる人物だった。
約束したことは守る。
数字をごまかさない。
そして、取引の場では感情よりも商売を優先する。
だからこそ、今回の動きが気になった。
「……おかしい」
アルベルトは帳簿を見ながら呟いた。
ヴァルデン家からのカカオの注文量が、あまりにも多い。
チョコレートの生産量を考えても、明らかに多すぎる。
しかも、ヴァルデン家は一つの商人だけではなく、次々と別の商人と契約を結んでいる。
「ドレッド……いったい何を考えている?」
以前、一緒に仕事をしたときのドレッドを思い出す。
抜け目のない男だった。
だが、無意味なことをする男でもなかった。
これほど大量のカカオを集めるからには、必ず理由がある。
アルベルトはしばらく考えた。
そして、ある結論にたどり着く。
「……カカオを買っているんじゃない」
アルベルトは静かに帳簿を閉じた。
「カカオそのものを、支配しようとしている……」
その頃。
ミルソン家でも、ハスパーは同じような疑問を抱いていた。
そこへアルベルトが訪ねてきた。
「ハスパーさん。少し、話があります」
ハスパーはアルベルトの顔を見る。
「どうした、アルベルト」
「ヴァルデン家のことです」
ハスパーの表情が変わった。
アルベルトは、これまでの取引の状況を話した。
「俺はヴァルデン家が好きじゃありません。それは昔から変わらない」
「……そうだったな」
「ですが、ドレッドとは何度か仕事をしています。商人として、信用できるところはありました」
ハスパーは黙って聞いている。
「だからこそ、今回の動きが気になるんです」
アルベルトは続けた。
「ドレッドは、何かを始めようとしている」
「……やはり、そう思うか」
ハスパーは低く呟いた。
二人の間に、短い沈黙が流れた。
まだ、何が起きるのかは分からない。
ただ一つだけ確かなことがあった。
ヴァルデン家は、これまでとは違う動きを始めている。
ハスパーはドレッドの動向も気になるがベルミンの事も気にしていた
二つの家が、同じカカオを見つめながら、それぞれ別の道へ進み始めていた。
静かな商いの裏側で、
チョコレートをめぐる争いは、少しずつ形を変え始めていた。
その夜。
ヴァルデン家の屋敷では、ドレッドがチャリスを呼び止めていた。
「チャリス。少し頼みがある」
「……何?」
チャリスは兄の顔を見る。
ドレッドはしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「父さんを説得してほしい」
「父さんを?」
「ああ」
チャリスはすぐに答えなかった。
何についての説得なのか。
聞かなくても分かっていた。
カカオのこと。
そして、チョコレートのこと。
父ベルミンが、チョコレートをできるだけ多くの人に届けたいと考えていることも。
ドレッドが、その考えとは違う道を進もうとしていることも。
チャリスは知っていた。
「兄さん……俺は父さんの考えに賛成だよ」
ドレッドは静かに頷いた。
「分かってる」
「だったら、どうして俺に?」
「だから頼んでいるんだ」
チャリスは黙った。
ドレッドは続ける。
「俺が父さんに言っても、聞いてもらえない。けど、お前なら……」
「俺なら?」
「父さんは、お前の話を聞く」
チャリスは兄を見つめた。
それは、ドレッドからの願いだった。
自分の考えを押し通すためではない。
父を説得するために、弟の力を借りようとしている。
「……兄さん」
「頼む」
短い言葉だった。
チャリスは大きく息を吐いた。
本当なら、行きたくはなかった。
父の考えに賛同している自分が、父を説得する。
それが簡単なことではないのは分かっている。
それでも――
「……分かった」
チャリスは立ち上がった。
「兄さんの頼みだから」
ドレッドは何も言わなかった。
ただ、小さく頷いた。
チャリスは父の部屋へ向かう。
重い足取りだった。
自分がこれから何を言うのか。
父を納得させられるのか。
それは分からない。
ただ一つ分かっていることがある。
父と兄。
二人の考えの間に立つことになる。
チャリスは扉の前で一度立ち止まった。
そして、ゆっくりと扉を叩いた。
「父さん。俺だけど……少し話をしてもいいかな」
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こうしてチャリスは、兄の願いを受けて、父ベルミンの説得に向かうことになった。
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チャリスは、父ベルミンの部屋へ入った。
「父さん……」
「どうした、チャリス」
ベルミンは机に向かったまま、顔を上げた。
「いや……その……」
チャリスは言葉を探した。
兄に頼まれた。
父を説得してほしい。
そう言われてここまで来た。
しかし、いざ父を目の前にすると、なかなか口に出せない。
父が何を大切にしているのか、チャリスには分かっていた。
チョコレートを自分たちだけのものにするのではなく、多くの人に届けたい。
それが父の考えだった。
「……」
沈黙が続く。
ベルミンはそんなチャリスをじっと見た。
そして、ふと口を開く。
「……ドレッドか?」
チャリスの肩がわずかに動いた。
「え……」
「ドレッドに頼まれたんだろう?」
チャリスは何も言えなかった。
ベルミンは小さく息を吐く。
「やはりな」
「父さん……」
「お前が自分から、こんな話をしに来るとは思わなかった」
その言葉に、チャリスは俯いた。
ベルミンは続ける。
「ドレッドがお前を向かわせてくることくらい、分かっていた」
「……最初から?」
「ああ」
ベルミンは椅子から立ち上がった。
「ドレッドは、自分で私を説得するより、お前を通したほうがいいと考えたんだろう」
チャリスは黙っていた。
図星だった。
「でもな、チャリス」
ベルミンは息子の目を見る。
「お前がここに来た理由は、もう分かっている」
「……」
「だから、無理に言葉を探さなくていい」
チャリスは顔を上げた。
父の表情には怒りはなかった。
ただ、少し寂しそうだった。
「お前は、私の考えに賛成なんだろう?」
チャリスはしばらく黙った。
そして、小さく頷いた。
「……うん」
その答えを聞いて、ベルミンは静かに目を閉じた。
「そうか……」
部屋には、また静寂が戻った。
父と息子。
二人とも、何を話すべきなのか分かっていた。
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チャリスは、しばらく俯いたままだった。
父の考えに賛成している。
それはベルミンも分かっている。
そして、チャリス自身も分かっていた。
兄の考えに反対していることも。
だからこそ、言葉が出てこなかった。
それでも――
チャリスはゆっくりと顔を上げた。
「……父さん」
「なんだ?」
一度、息を吸う。
そして、チャリスは言った。
「一度でいいから……兄さんと話をしてくれないか?」
ベルミンは黙った。
チャリスも、それ以上は言えなかった。
兄を説得してほしいわけでもない。
父の考えを変えてほしいわけでもない。
ただ、一度だけ。
兄と父が、真正面から話をしてほしかった。
「……お願いします」
それが、チャリスにできる精一杯だった。
ベルミンは息子を見つめた。
チャリスが自分の考えに賛成していることは、最初から分かっている。
それでも兄のために、ここまで来た。
ベルミンは静かに椅子へ腰を下ろした。
「……分かった」
短い返事だった。
「ドレッドと話そう」
チャリスは何も言わず、深く頭を下げた。
その胸には、わずかな安堵があった。
これで、父と兄が話すことができる。
それだけでよかった。
そうしてチャリスは父の部屋を出た。
この先父と兄の関係がどうなっていくのか
チャリスはまだ知らない




