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映画だけ

映画だけ

005


「幸助。最近さ、なんか機嫌良いよね」


 昼休み。昼食は決まって六人で食べていた。購買へ向かった三人を、僕らは駄弁りながら教室で待っていた。


「……そう?」


「うん。いっつも素っ気ない返事しかしてこなかったのに、今は……ちょっと別人が混ざってるみたい」


 僕の太腿を制服の上からさすられる。何も不義理を働いているわけでもないのに、首筋に掛かる彼女の吐息が僕を責めているようで、なんとなく視線を逸らす。


「草川だろ」


 助けを求めて彼に目くばせをして、返ってきたのは助け舟ではなく銃口だった。きっと何気なく返しただけだったんだろう。僕にもたれかかった彼女の様子を見て、彼は申し訳なさそうに口元を歪めた。コイツはどうしても、この女の前では判断力が鈍る。


「草川? なんで草川が今出てくるの」


 みるみる不機嫌そうな声色へ変わる。最初に矛先が向かったのは僕ではなく彼だった。


「あぁ、いや。ほら、コイツ担任に頼まれてプリント持って行ってるみたいでさ。草川って、ほら。なんだかわかんないとこがある不思議ちゃんじゃん。この前だって急に教室飛び出して行ったり、かと思ったら骨折で当分自宅療養だろ。あの噂だってあるし……だから……なんか影響されちゃったんじゃないかなってな」


 なかなか、苦し紛れの言い分だった。けれど、伏せるべきところは伏せられた。


「全部、俺の勘だけどさ」


 そう言って彼は念を押す。これも半分正解で半分不正解だった。彼女は真偽を確認するため、僕に矛先を向けた。


「幸助」


「まさか」


 質問を待つ必要は無かった。彼女はこういう気持ちを先回りした返答がお好みだった。それで正解だったらしい、彼女の肩から露骨に力が抜ける。肩を竦めて見せる、追い打ちのパフォーマンスだった。なのにどうしてか、さっきの言葉が口に残った。


「だよね、あり得ない」


 怒気が通り過ぎていった。そんな力が抜けた声だった。バツが悪そうに彼がこちらを見ている。これでいい、こういうのは下手に刺激しないに限る。本人が納得するならそれで満点だろう。


「勘違いだったかもな。コイツが人に興味持つようには見えないし」


 ようやくまともな援護射撃だった。彼にはクッキーを草川からもらったことまで話しているのに、面の皮が厚くて助かる。


「でも草川なんか選ぶんだったら、絶対アタシのほうがいいから」


 飛躍した論理に思わず苦笑してしまう。そうかもな、なんて中身のない生返事を返す。さっさとこの話は流してしまいたかった。誰かを選ぶような面倒なことはしない。それなりの居心地のいい関係が続いてくれればそれでいい。


「そうだ、ねぇ幸助」


「なんだ」


 なんとなく嫌な予感がした。導火線に火が付いた爆竹が目の前にあるみたいな、たまに思い立ってそういう目をする女だった。


「次の日曜、空けといて」


 了承を取るより先に、彼女はスマートフォンの画面を僕の鼻先へ差し出した。上映時刻と座席番号、その下に二人分購入済みという文字が並んでいる。


「映画見に行くよ。二人分、チケット取ったから」


 彼女が好きそうな、若い人気俳優と女優が出ている、いかにもな恋愛映画だった。全く趣味じゃない。

「なんで取る前に聞かないんだよ」


「聞いたら断るでしょ」


「わかってるなら、尚更だろ」


「アタシに振り回されてるくらいが丁度いいでしょ」


 それは僕にとっての丁度いいではないらしい。彼女は僕の太腿から手を放す代わりに、今度は腕を抱え込む。体温も湿度も距離も、何もかもが近くて頬が引き攣る。


「お前も来いよ」


 彼に助けを求める。少しだけ目を泳がせて戸惑った表情を見せた。目の下に出来ていた瘡蓋はもう綺麗になくなっていた。


「行くわけないだろ」


「そんなこと言うなよ、恋愛映画は嫌か?」


 彼は短く息を吐いて、それから彼女のほうを一度だけ見た。


「趣味じゃない」それは知っている「いい機会だから、二人で行ってこいよ」また半分だけ意味の分からないことを言う。


「じゃ、決まりだから」


「決まってない」


「もう払ってあるから」


「キャンセルしたらいいだけだろ」


「無理」


「じゃあ一人で行ってくれ」


「それも嫌」


 押し問答を続けるだけ無駄だった。彼女は昔から、相手の都合なんか聞かず、自分の都合へ巻き込んでしまう。幾ら駄々をこねても不機嫌にならないのは、もうそれが彼女の中で決まってしまっているからなんだろう。


 もっとも、僕も本気で拒んだことなんてほとんどなかった。少し付き合えば機嫌がいい。断って面倒になるより、その方がずっと楽だった。


「……分かったよ。映画だけ、だからな」


「うん。映画だけでいいから」


 自分の思い通りに人を動かして、また満足そうに笑う。傲慢な女だった。傍観していた彼に恨めしい視線を送ったって、鼻を鳴らして肩を竦められるだけだった。諦めろ、そう言いたげだった。


 購買へ行っていた三人が、袋を鳴らしながら戻ってくる。誰が何を買えたとか、誰が横入りしてきてウザかったとか、来週から新しいラインナップが増えるとか、どうでもいい報告が一気に机へ雪崩れ込む。


 さっきまでの嫌な緊張感が、それだけで薄まった。日曜日の予定だけが、面倒な形のまま残ってしまった。

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