ずっと覚えてた
ずっと覚えてる
015
「今からさ、幸助君が信じられないようなこと、いっぱい話すから。私が最低なこと、もう隠さないから。だからお願い、最後までちゃんと受け取って欲しい」
誰もいない、田舎の河川敷を二人で歩く。信じられないような出来事なんて、散々経験してきた。それでも彼女の横顔は、硬かった。怯えじゃない、恐れでもない、もっと何か芯があるような、そんな顔だった。
「多分、幸助君は怒ると思う」
「それは、聞いてから決めるよ」
いったい何を伝えようとしているのか、僕には分からない。それでも、何があっても彼女を受け止めたいと思った。
「そういうとこ、大きくなっても変わらないまんまだったね」
栞は少しだけ笑った。けれど、こちらを見てはいなかった。
「幸助君はさ、どれくらい前の事まで、覚えてる?」
彼女は僕に問う。
「小学校の最後らへんはなんとなく、ちゃんと覚えてるのはもっと先。昔、大きな事故にあってから、その辺が曖昧で」
「だから、忘れちゃったんだよ」
彼女は僕の言葉に被せる。
「私ね、幸助君の事。ずっと覚えてた。幸助君が私の事を忘れた後も、ずっと」
その言葉の意味を理解するまでに、少しだけ時間が掛かった。
「僕は、栞と会ったことがあった?」
「会ったことがある、なんてものじゃないんだけどね」
栞は川の方を向いたまま歩いていた。夕日を受けた水面が細かく揺れている。少し先を歩いて、僕が遅れれば歩幅を緩める。手はつないだままだった。それでも、僕の顔だけは見ようとしなかった。
「小さいころは、こうやって何度も一緒にここ通ったんだけどね」
「何度も?」
「そう、家が近かったから。学校から帰る途中で、幸助君の家に寄ったり。私の家に来て遊んだり。夏休みとか毎日一緒に外で走り回ってて」
何も浮かばなかった。
栞の小さな手も、幼い声も、その頃の彼女の顔がどうだったとか。僕の頭の中には、どれも見当たらない。
「ごめん、思い出せない」
「謝らなくていいよ。幸助君のせいじゃない」
栞は間を置かずに続ける。
「それにね、私のこと忘れちゃってるのは知ってたんだ。幸助君のお母さんからも聞いてたし」
足が、止まりそうだった。
教室で隣に座った時も、僕が彼女の名前すら知らずに過ごしてきた間も。陰気な女だと、勝手に決めつけていた時も。栞は僕を知っていた。
「だったら、どうして。言ってくれればよかったのに」
「……そんなの、言えないよ」
消えそうな声だった。
栞はようやく、僕を見た。夕日に照らされたその顔は、怒っているようにも、泣き出すのを必死で堪えているようにも見える、そんな悲しい顔だった。
「幸助君が私を忘れたのは、きっと私のせいだったから」
せせらぎが、遠くなる。
「幸助君が事故にあったときね、私も一緒だった」
胸の奥で、何かが小さく引っかかった。
大型トラックに撥ねられた。数日間死の淵を彷徨うような大きな怪我で、何とか一命を取り留めたけれど。僕はその代償に、記憶を失くしてしまった。なんども両親から聞かされた、僕自身の過去だった。
「栞も、そこにいたのか」
「いたよ。だって、幸助君と一緒に遊んでたから」
栞が短く答えた。
「私が道路に飛び出した」
「どうして」
「覚えてない。何かを追いかけてた気がする。ボールだったかもしれないし、猫だったかもしれない、そこだけは曖昧」
栞は自分の指先を見つめる。
「でも、幸助君が追いかけてきたことは覚えてる」
夜の風が吹き込んで、河川敷の草を流れるように倒していく。
「車が来てた。凄い大きな音がして、誰かが叫んでた。そのころから鈍くさくてさ、私、動け無くなっちゃって。でも私は撥ねられなかった」
握った手に少しだけ力が入った。
「幸助君が突き飛ばしてくれて、だから私は助かった。そのせいで幸助君は大怪我をして、記憶まで無くなって」
彼女のせいだとは、思わない。今だって同じ状況だったら、そうするだろう。
「幸助君ね。何日も目を覚まさなかったんだよ。お医者さんも助かるかどうかは五分五分だって言ってた。やっと、目を覚まして。でも私の事は覚えてなくて」
彼女が会いに来てくれた記憶は、やっぱり見当たらなかった。
「だから、もう会わないって決めてた」
「どうして」
「私が近くにいたら、次はきっと死んじゃうって。そう思ったから」
栞は川辺へ視線を落とした。
「それからはね、遠くで邪魔にならないように。でもちょっとだけ見てた」
「僕を?」
「うん。幸助君さ、中学に入ってから、足早くなったよね。体育祭でアンカーしてるのを見てた時、自分の事みたいに熱くなっちゃった。昔は私より遅かったのにね」
「見てくれてたんだ」
「見てたよ、背も高くなったし。顔も、なんだかカッコ良くなって。周りに人が増えて行って」
どれも、僕の知らない場所から見た、僕の話だった。
「昔は毎日隣にいたのに。私は幸助君の事は何でも知ってたはずなのに、いつの間にか遠くに行っちゃって、私の名前すら知らなくて、わたしも幸助君がわからなくなってて」
でも。と彼女は続ける。
「それでいいって、思ってた。だって、いつも周りに誰かがいたから。私がいなくても幸助君は笑ってられたから。私の事忘れても、それでいいって」
同じ学校に進んでも、同じ教室で席が隣になっても。
栞だけは覚えていた。
「これからも、ずっとそうするつもりだった」
彼女は人差し指を立てる。
「でも、あの日。幸助君の指から、この子が飛んできた」
「この子?」
「うん。私の傷が、君から戻ってきた」
立てられた指先には、もう傷跡なんて残っていなかった。
「ねぇ、幸助君」
彼女は胸をなだめるように、一呼吸置く。まるで大事なものを手放すみたいに、それでも優しい顔だった。
「私がもう死んじゃってるって言ったら、信じる?」




