第二十四話
組織に来る前、私はどんな生活をしてたのか。家族は? 生まれた場所は?
何一つわからなかった。
記憶喪失……とでも言うのだろうか。
私という人格は、あの日黒く光る月夜の下で、長に出会った日からしか存在しない。
それまではただの闇の中。
光も……温度すらも感じない。
私としてはそれまで自分がどんな人間だったかなんて、知ろうとも思わなかったし、知ったところで何になると言うのか。
────どう足掻いたって、過去は変えられないのだから。
「ネメシスは、自分の過去のこととか知りたいと思わないの?」
私は首を縦に振った。
「そこに、何が書いてあったのかは存じ上げませんが、ヘリオス様がどう仰ったとしても、私は殺し屋で『終焉の眠り姫』ネメシスです。その前の自分のことなど、微塵も関心が持てません」
私は組織から与えられる任務だけをこなせばいい。
私があそこにいられる理由なんて、それだけのことなのだから。
「ダメだよ!!」
私の両方を掴み鬼気迫る表情で私をまっすぐに見つめる。
一体何がダメだというのだろう。
ヘリオス様にとって私の考えは気に食わないということでしょうか。
「ネメシス、人はね、自分の過去を知らなきゃ今の自分を変えられないんだよ。ネメシスは今の自分で本当にいいの? 満足してるの? あの組織で、ずっと道具のように毎日毎日人を殺して、自分で自分を汚す、そんなので……」
私はこのルミナ家にきた時からの記憶を頭の中で一つ一つ思い出してみた。
最初こそ、自分以外の人間のことが理解できず、異なる境遇で生きている彼らと境界線を引こうとした。
でも、ヘリオス様はその境界線を踏み越えて、私を外へと連れ出してくれた。
それは組織では見られなかった景色であったことも、人の優しさも暖かさも何もかも教えてくれたのも、ヘリオス様だった。
それが決して悪かったとは思わない。
でも、私は……。
「私は……ヘリオス様やヘリオス様の友人様とは違います。私はあなたたちといれません……いてはいけないのです。私は今まで通り、あそこで組織のために身を尽くすことに精進するべきなのです。だから……すみません」
────私は何に謝っているのだろう。
ヘリオス様の言葉を否定したから?
それとも……。
「変だよ」
ヘリオス様がポツリと呟いた。
その声は震えていた。
「そんなのは『普通』じゃない」
ヘリオス様のその発言に、私の中は一瞬で真っ白になった。
だから無意識に、口が動いていたのだ。
「どうしてですか? ヘリオス様は言っていたでしょう?」
『これから、もっと外の世界を……沢山の人達の『普通』を知っていけばいいんだよ』
あの時、確かに私の中で重くなった何かが取り払われたような……少しだけ体がスッと軽くなったのを覚えている。
「あなたはそう言ったのに、今まで私が生きてきた私の『普通』は違うと言うのですか?」
「え、あ……」
青ざめたヘリオス様が自分の口を抑えた。
あなたの笑顔は一生忘れない。
────心の底から嬉しそうに笑ったあなただから。
だから、否定された気がしたのだ。
今までの自分の生き方に。
「私は今の自分に不満などございませんし、私は1人でも生きていけます……たとえ、ヘリオス様がいなくても」
私は立ち上がりその場を去った。
背後からヘリオス様の呼び止める声が聞こえたが、私は決して振り返らなかった。
階段を降り、玄関の扉を開け外に出る。
扉が閉まると同時に、ドアベルがガランガランと派手な音を立てた。
やはり私は彼と一緒にいるべきじゃなかったのだ。
だから、忘れよう。
あの甘やかな時間へ依存することを脳が認識する前に────。
明日から彼の護衛から外すよう、長にお願いしてみよう。
まさか、護衛という任務がこんなにも困難なものだったとは、長の護衛は難なくこなせていたというのに。
長の護衛とヘリオス様の護衛……一体何が違う?
私には、暖かすぎるから? それとも、眩しいから?
ヘリオス様と私を隔てるこの壁は何……?
明日からは、ヘリオス様は私と違う護衛と一緒に過ごしてもらう。
その時、ズキッと胸が痛んだ。
違う、これはヘリオス様のためだ。
護衛が変わってもヘリオス様には何も問題はないし、これで事なきを得る。
そう思った。
「ネメシスはいますか?」
次の日、私が護衛から外されたその翌日、ヘリオス様が組織に訪れた。




