第十六話
リリアナ・ヴェルディ。本名はメーディア・ヴァレンティス。
組織の調べによると、彼女は我が組織と協力関係にあるグループの社長令嬢だった。
あの出来事については、彼女の独断によるものだったため見過ごすとのことだった。
実の娘だからと言って今頃は、酷い仕打ちを受けているところだろう。
契約を結んでいる組織のものに手を出したのだから当然のこと。
そんな中、無事退院した私は組織に呼び出されていた。
「ネメシス。この頃のお前はどこか気が緩んでいるように見える」
今、ヘリオス様は学校へ登校し、私は休みをもらって、ここ長の部屋にいる。
「ターゲットが狙われたという話を聞いた。それは事実だな」
「はい」
「いくら大事なパートナーの娘だとはいえ、以前のお前ならそんなもの事前に防げたであろう?」
普段見せない怒りをあらわにし、私を見下ろす。
どことなく威圧感があり、上からおもりが乗っかっているように体が重い。
泣く子も黙るとはこのことをいうのだ。
「もしや、ターゲットとなにかあったのか?」
息が詰まる。
なにも言うなと私の本能が訴えている。
台座から腰をあげ、目の前までコツコツと歩いてくる。
きっとこれから言うことは大体理解できる。
長が私や部下、そして下働きの者にもいうこと。
「情は捨てろ」
私の顎を右手で持ちクイッとあげる。
一体何歳なのか疑ってしまうほど、この人を支配するような目は出会ったときから何一つ変わらない。
「それが組織の掟であり、命令だ。情は人を弱くし、任務に致命的な支障をきたす。それはずっとお前の体に教えてきたはずだ」
私は返事もできずカタカタと震えることしか出来ない。
この目を見るといつも思い出す。
血反吐を吐くような訓練の中で瀕死になったとき。体がボロボロになるまで立たされたとき。意識がなくなってムチで叩かれたとき。
その他の生活は保証されていたが、それが帳消しになるほどの重い日々を。
「お前は『普通』とは違う。だから一般人との生活は安心できると思っていたが……やはり無理か」
私の顎から手を離し、コツコツと秘書の前まで歩く。
そして、こう言った。
「護衛役を交代させろ」
その言葉に一気に自分の顔が青ざめるのを感じた。
護衛役を交代させられたら、ヘリオス様とはもう会えなくなるのだろうか?
嫌だ嫌だ嫌だ……!
その言葉だけが私の頭を埋め尽くす。
私はヘリオス様と約束したことがあるのだ。
それが果たせるまで、その座は絶対に誰にも譲れない。
譲りたくない。
そして秘書が、承知しましたというよりさきに、自分でも信じられないような大きな声で叫んだ。
「やります!!」
ハアハアと息切れがするほど、この重たい空気の中で叫ぶなどもちろん初めてのことだった。
気持ちを伝え合うのは会話をすることだとヘリオス様に教えられたから。
「やらせてください。今まで通り情を持たず、そして必ずや任務を遂行してみせます」
少しの沈黙が流れた。
「二度はないからな」
そう吐き捨てるように呟いた長の声を受け、私は長の部屋をあとにした。
あの歪んだ空気から解放され、少し落ち着きを取り戻したと思ったら、入口にいるある人影に気づき、ハアとため息をこぼす。
さっさと通り過ぎようと思ったら肩をガッと掴まれた。
「おいおい、俺の顔を目の前にして無視とかそりゃあないぜ?」
「ヘルメス……」
この飄々とした感じの男の名はヘルメス。
彼は私と同じぐらいの時にスカウトされた、いわゆる同僚で主に女性の相手を専門とする殺し屋だ。
なぜなら、雪のように白い肌と切れ長の目、鼻筋がスッと通っているこの美貌、そして180センチ以上の身長と鍛えられた体の魅力が女性にうってつけだからだ。
それを本人も自覚しているからか、俺を目の前にして靡かない女はいないと思っており、私はそれが心底気に入らない。
「用がないなら、さっさと離れてください。不愉快です」
「ひどいなぁ。周りの女なんて俺に掴まれた瞬間に堕ちるっていうのに」
手を離し、やれやれという表情で首を振る。
こういうのを自意識過剰というのだろう。
組織内では私とヘルメスは同僚というだけで、仲のいいバディというイメージが蔓延っている。
それを初めて部下から聞いたときは、その部下を半殺しにしたほど私は彼と肩を組んで仕事をしていると思われることに吐き気がした。
「そういやあ、ターゲットのヤツが狙われたらしいじゃねぇの?」
現在組織では、必ず任務を遂行すると謳われる私がヘマをしたことに周りが大騒ぎになっている。それに関しては私も重々承知している。
「お前にしては珍しいな。ターゲットに絆されでもしたか?」
入口にある花壇に腰掛け、膝の上に肘をつく。
周りの女性達はこんなやつの何がいいのかさっぱりわからない。
そしてそれを考えるのはとうの昔に放棄した。
「よく長が許してくれたもんだ。まあ長は昔からお前には甘いからなぁ」
このねっとりした声も私には不快にしか思わない。
彼と長話するのも時間の無駄なので、私はそそくさと彼から離れようとした。
しかし、次の彼の言葉に私は頭に血が上る感覚がした。
「俺だったらそんな人間ごとき、さっさと殺せるのに。今から長に護衛役を交代させるよう頼んでみようかな」
その瞬間、私は彼の口元にナイフを突き出した。
しかし、彼も実力は確かなもの。私の動きにも俊敏に反応し武器を私の方に突きつける。
「それ以上口を開いたら、このまま口を掻っ捌きますよ」
「おおっと、怖い怖い」
よくそんなヘラヘラと笑いながら、心にも無い言葉が出てくるものだ。
「お前の本性は結局それだろ?」
サアとこの季節には似つかわしくない冷たい風が私と彼の体を撫でる。
花壇に咲いている花の花弁が地面に落ちる。
「そんな殺気を出した目で、一般人とわかりあえると思ったのか? 普通になれるとでも思ったのか? つくづく哀れだな」
私に突きつけている武器を静かに下ろす。
「俺らにはそんなことは許されないんだよ。それはこれからもずっと、一生だ」
クルッと踵を返し、建物内へ入っていく。
「それを頭に入れといたほうがいいぜ? 組織のためにも……お前のためにも」
最後の部分は、小さく呟くようにそういった。
「あなたに言われなくても、私は私の任務を遂行するまでです」
彼の背中が見えなくなったあと、私はルミナ家へと向かった。




