さらに第三の道
エーテル実体化はステータスから消えていない。
つまり、我の身体はいまだに肉と骨で出来てはいないのだ。
だが、この身体に当たる武具の感触。風の匂い。
忘れていたが、人間の身体と言うのはかなりうるさいものだ。
血液が耳の傍を流れる音、心臓の鼓動、胃袋や腸が空気に膨らむ音など、常人は無視しているが、新生児に等しい今は大河のざわめきの様にも思える。
我は今、この世界に再誕した。
「ヨーハン様……?」
「だよね……?」
「鏡を持ってきてくれ」
「「声は同じなんだ!?」」
アリスとフェイに信じてもらうことはできたようだ。
フェイが持ってきた鏡は武具の大きさを調べるための姿見で、歪んではいたが全身を映すことができた。
身長はアリスより少々高い程度。
この世界の男性としてはごく普通だ。
体格もどちらかと言えば細身で、以前の如き威圧感は望むべくもない。
だが、どこか見覚えがある。
武具は悪魔騎士の身体と同じ煤色。
今はそこに銀でアラベスクのような繊細な幾何学紋様が入っている。
奇妙な紋様だ。
これは何だ。
地獄でも天界でも歓迎されない図柄のように見える。
あまり見入っていると無限に続く紋様のパターンに飲み込まれてしまいそうだ。
左手のガントレットは変わらずエナメルめいた白だが、そこには同じアラベスクが金で描かれている。
そのガントレットを脱いでみた。
アリスとフェイに見られていることももう気にならない。
違う。
以前月明かりで見た手ではない。
力強さがない。戦士ではなく文官の手だ。
皮膚は若いが、皺もあり、ごく当り前の見かけをしている。
この手にも、見覚えがある。
我は確信を持って面頬を外し、兜を脱いだ。
歪み、曇った鏡に映った顔は、確かにヨーハン・ハイデンベルクのものだった
非常に若い。
まだ僧職につき、ヨハンネス・トリミテウスになる前、貴族のドラ息子としてばかげた騒ぎを繰り返していた頃の顔だ。
目だけが違う。
軽薄なハシバミ色だった目は、虹彩もない金色。
これだけは変わっていない。
「ジェスター……これは何だ」
我は呟いた。
「ジェスターって誰?」
「し、しりません……」
アリスとフェイがこそこそと話しているのが、遠く聞こえた。
ジェスターを召喚しよう。
今ならばできるはずだ。
『ジェスター。来るべし』
しかし、召喚魔法は効力を発揮しなかった。
代わりに足元から鎧と同じアラベスクが無限に吹き出し、目の前の一切を塗りつぶした。
落ちている。
上下左右も定かでない。
感覚器官は全て混乱の極みにある。
しかし、厳然として落ちていることだけがわかる。
目も耳も鼻も皮膚も正しい何物も伝えてこない。
時間の感覚さえない。
失われたのではなく、ここには通常の意味で言う時間が存在しない。
「ここは混沌の領域」
声ではない何かが脳に直接押し込まれた。
「汝を慈悲深き混沌に導かん」
そんなことは求めていない。
言おうとしたが、口を動かすことさえ出来ない。
また恩を押し売りされようとしている。
しかも今度は混沌そのものからだ。
混沌もこの世界を欲している。
欲望と意思を持つ混沌というのは名辞矛盾ではないのか!
我はそう叫ぼうとしたが、無論かなわなかった。
この世界を巡るゲームプレイヤーが増えたことだけが否応なく分かった。
混沌の渦などと名乗るのがよくなかったのか。
「素晴らしき名なり。寿ぐべし」
聞いてはいるのか。自分の興味のあることしか答えないのだな。
いいから元の世界に戻せ!
「いずれ会見すべし。さらば」
我は再構成された。




