アルコン
鞘からワンドを取りだした。
それだけで周りの空気が鉛のような重さを帯びて行くのがわかる。
「そんな棒切れで何をするつもり……」
ゲルトフの口から出かかった嘲笑が喉の奥に消える。
「無礼者。敬意を払え」
我はワンドを大きく地面に向かって振った。
沸き立つように土が、砂が、石が踊る。
ここではない次元から、カタカタと骨を鳴らして風が吹く。
偽の主の視線を感じる。
これならば。
吹き荒べ。
『地獄風』
我はオールドワールドでの自分の得意魔法をこの世界に解放した。
懐かしいがおぞましい魔力の迸りを感じる。
だが、次の瞬間。
「またか」
またしても我は煉獄にいた。
煉獄は以前よりいくらか広く、四方の闇もさらに深くなっているようだった。
中天から差し込む黒い光線が闇の中で蠢く何者かを幻のように照らし出す。
ジェスターは前回と同じ、そこにいた。
黒焦げの竜人の姿のままだ。
「何のつもりだ。ジェスター」
「なぜ、あの武器をわざわざ使った?」
声がこころなしか冷たい。
「あんな小物に使うべきものじゃないよ」
大げさに苦悩を装った仕草をしてみせる。
「そもそも、あんたは偽の主を憎んでいるんじゃなかったんですか。旧主から少々骨を投げられたからって(ジョークですよ!)尻尾を振って臣下に逆戻りとは、幻滅してしまいますよ」
ジェスターは我の目を覗き込むようにした。
「それとも、それがあんたの本性だったのかい?」
我は睨み返した。
「それがしはお前を偽った。しかしお前もそれがしを偽っているであろう」
「何の事かな……」
「お前が天人か、それに近い天界の住人であるということを、だ」
そう言うと、彼の全身にかすかな波立ちが起こったように見えた。
「つまらない推理だな」
「状況を鑑みての推測だ」
我は美しく輝く左手を差し出した。
「これは天界からの貸しだろう」
そして右手に握った病み骨の短杖も差し出した。
「これは地獄界からの貸しだ」
「借りだらけだね」
ジェスターは軽口をたたいた。
しかしその目はこころなしか真剣になったように見える。
「お前がどういう経路でこの世界に入り込んだのかは知らぬが、破戒僧であるそれがしの後悔につけこんでこの世界を天界の影響下に置こうとしていたのであろう。だが、そうはさせぬ」
「バランスを取ろうってのかい?あんた個人がそんなバランスを取ることが何の役に立つ?」
「理由か。それはお前たちの方がよく知っているであろう」
「あんたが疑う理由はそれだけ?ずいぶん薄弱な根拠だね」
「偽の主が手を出して来ているのに、天界がそれを放置するなどあり得ない。根拠と言えばそれが根拠だ」
「ははは……あーあ」
ジェスターはあきらめたように大きなため息をついた。
「あんたは今まさに混沌の滝壺に落ちようとするこの世界に撃ちこまれた楔だ。そして、あんたの魂はいったん地獄に堕ち、その体は大部分悪魔のものだ」
「このまま行けばこの世界は偽の主のものになるのだな。以前言っていた、それがしの抵抗力についての話は、嘘か」
「嘘じゃない。あんたがその気になれば抵抗はできるよ。ただし、その気になればってところで、うちの上司はあんたを信じられないんだ」
「裏切り者の破戒僧を信じられぬか。当然ではあるな」
「天界の者としては、後悔して回心しようとしてるあんたを信じないのは器が狭すぎないかとも思うんだがね。なにしろ疑り深いから。いくらか天界のほうがこっちに近いからっていうんで大挙してアルコンやら天使やらを送り込んだんだが、実際についたのは次元移動に長けたこのジェスターだけ。しかも体の大部分は置いてこざるを得なかった」
「なぜいまさらそんなことをする。ほかにも混沌に飲み込まれる世界はあるのだろう」
「あんたが偶然この世界についちまったからだよ。まさか、あんな適当な次元跳躍で見事命中するとは誰も思わなかった。おかげで偽の主は労せずして世界一つ回収成功ってわけで、うちの上司の怒ることといったら!」
「それでこんな迂遠な方法でそれがしを天界側に引き寄せようとしたのか」
「うん。この煉獄はあんたのものだから、せいぜい門番くらいの役目しか出来なくてね。あとは口八丁でなんとかするしかない。偽の主が化身とはいえ、直で来てしまったときは死ぬかと思ったけど、あの笑い方は間違いなく向うも知ってて余裕を見せてるな」
「世界の行方をゲームにしているのか」
我は遣り場のない怒りを感じて拳を握りしめた。
「よくわかった。早く戻せ。」
「……あー。嘘をついてたのは謝るよ。でも、このままだと偽の主の思うつぼになっちまうよ?」
「バランスを取る、と言ったぞ。戻せ」
「今後に期待ってことかな……。了解、あんたの良心に期待しよう。もうこんなむさくるしい格好はやめだ」
ジェスターは手を振った。
その体が光で覆われた。
我は目を見開いた。
煉獄から戻る前に攻撃を受けているのではないかと思ったが、杞憂だったようだ。
『地獄風』は完全にその力を発揮した。
竜人らの死体を処理する者は極めておぞましい思いをすることであろう。




